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タンジーの花嫁
ハピネスは、ショートヘアーの似合う、小柄な子どもです。
ハンサムな父親と、体の弱い母親の三人で暮らしています。
父親が休みで家にいる時は、父親のズボンを握り、くっつき虫のように離れません。
ソファーでくつろいでる時も、寄り添い、いつの間にか夢を見ているのです。
母親は、そんな微笑ましい光景を見ながら、しあわせが、いつまでも続くように、おいしい料理を作ります。
三人で食卓を囲み、それぞれのスプーンで、ビーフシチューを口に運びます。
父親が「旨いな」と言った時です。
母親が椅子から落ち、床に倒れ込みます。
ハピネスは、驚き、父親は駆け寄ります。
母親は、病院に運ばれ、治療を受けてベッドに眠らされました。
命の管が繋がれ、しばらくは家に帰って来られません。
父親は、ハピネスを連れて、肩を落としながら、家に帰ります。
ハピネスは、「もう、ママは帰ってこれないの」と悲しい声で訊きます。
父親は、「元気になったら帰ってくるよ」と無理に笑って見せました。
その翌日、二人は病院へお見舞いに向かいます。
白い雲のベッドに青ざめた顔が見えます。
ハピネスは、心配そうに「ママ」と呼びかけます。
その頬を母親に優しく撫でられ、ゆっくりと微笑みます。
手に持っていた手作りの花束を見せて、母親の手に握らせました。
タンジーの黄色の花が小さく笑って見えます。
この花は、虫除けに使われていて、母親の病がどこか遠くへ飛んでいくことを願い、家の花壇から摘んできたのです。
母親は嬉しくなり涙ぐみます。
希望の光が差し込んだかのように、表情が明るくなります。
父親に、家事は出来ているか、仕事は順調かしらと、訊きます。
父親は、「大丈夫さ、隣の奥さんも協力してくれるし、ベビーシッターを雇う予定なんだ、もしも、ダメならハピネスも一緒に仕事に連れて行くさ」
何も心配ないさと、母親に顔を近づけ、おでこにキスをしました。
母親は、ハピネスに、おいでと手を差し出し、優しく包み込み、
「ハピネス、ママが帰ってくるまで、パパのことをよろしくね」
ハピネスは、そっと母親の腕から離れると、パパの手を握り「ママは、病気を治すことだけ考えてね」と伝え、家に帰りました。
その夜、ハピネスは子ども部屋から抜けだすと、夫婦の寝室の扉を開きます。
ベッドには、寂しそうな父親が独りで寝ています。
冷たい父親の大きな手を、小さな両手で包み込み、その顔を見つめながら眠りました。
父親の仕事が休みの日。
ハピネスは、父親と公園に出掛けます。
公園には沢山の子どもたちの遊ぶ声が響いています。
ハピネスは、父親の投げたボールを受け止めて、父親に投げます。
ですが、父親は、よそ見をしていたのでしょう。
ボールは、父親の直ぐ横をポンポンと飛び跳ねます。
父親はボールを追いかけます。
そして拾い上げ、ハピネスを待たせたまま、あるロングヘアーの女の子に話しかけます。
その横顔は、どこか寂しそう。
ハピネスも、少し離れた場所から、心配そうに見守ります
父親が話を訊くと、その子は、パパが入院しているのと、言うのです。
父親は、うちはママが入院しているんだよと言い、ハピネスを呼びました。
ハピネスは、人見知りをしますが、親が入院している者同士、話が合い、日に日に仲良くなっていきます。
次第に女の子のことが可愛く思えてきます。
ハピネスは、自分の父親と仲良く話をする女の子に、頬を膨らませます。
良い友だちになれると思っていたのに、やはり相手は、おしゃまさん。
ハピネスより、ハンサムで背の高い父親とばかり遊んでいるのです。
本当のパパがいるのに・・・。
ハピネスは「次は、ボール遊びをしようよ」と二人に言い、微笑みました。
三人は、少し離れて、トライアングルの形を作り、ボール遊びを始めます。
投げて、受けて、投げて、まるで恋の駆け引きのよう。
父親が、女の子にだけ下投げをした時、ハピネスも女の子には優しくすることを学びます。
ハピネスは、女の子に向かって、父親の真似をし、ボールを下投げしました。
だけど、やはり何かが足りないのか、ボールは、女の子のすぐ横をポンポンと転がっていきます。
ボールは公園の外へ出て、女の子はそれを追いかけていき、父親が走り出します。
ものすごく大きな音がし、ハピネスが行った時には、女の子の姿は見えません。
女の子は病院に運ばれ、軽傷で済みますが、もうあの二人には会わないと、自分の父親が入院している病院で大泣きするのです。
家に帰り、ハピネスと父親は落ち込みます。
二人はソファーで寄り添い、ハピネスは、うつろな眼をします。
女の子とは、難しいものです。
いくら背伸びをしても、相手にその気が無ければ、あんな風にボールも受け取ってもらえないのですから。
ハピネスは、父親の腕をギュッと抱いていました。
ある日の、小腹が空いた三時ごろのこと。
ハピネスが、毒キノコの絵を描いてると、家の呼び鈴が鳴ります。
もう誰が来て、何を作ってきたのかは、少し前から知っています。
何故なら、窓の向こう、隣の家から、クッキーの焦げた香りがしていたからです。
扉を開けると、花柄エプロンの似合う、艶のある奧さんが微笑みかけます。
「こんにちは、ハピネス」
甘い香りをフリフリとさせながら、クッキーの包みの入ったバスケットを食卓に運びます。
おそらく、父親に頼まれてもいないのに、三時のおやつを口実に、ハピネスの様子を見に来てくれたのです。
チャーミングな奧さんとの、しあわせなひとときが始まります。
普通の男性なら、心臓にキューピットの放つ矢が突き刺さり、うっとりするでしょう。
ですが、描きかけの毒キノコの絵を邪魔されたハピネスは、他のことにドキドキしていました。
もしも、こんなに優しくて母親よりも健康な奧さんが、ママになったらどうしょう。
一緒に暮らし始めたら心臓が持ちません。
きっと、父親だって、お腹を空かせて、レンジに入れたままの、卵のようにパン!!とはじけるかも。
ハピネスは、首を横に振り、家の掃除までしてくれる奥さんを眼で追います。
テキパキ部屋の掃除をして、キッチンから夕食のスパイシーな香りを漂わせます。
今日の晩ご飯はカレーライスよと、優しい奥さん。
だけど、ほんの少し、あわてんぼう。
時計を見て驚き、急いで家に帰ります。
キッチンの戸棚を閉め忘れたことに気付きません。
隣の奥さんは、次の日も、その次の日も、おせっかいを焼いて、開けたままの窓から、おやつの甘い香りを漂わせます。
香りから推理すれば、この日はチェリークロワッサンに、今日はアップルパイ。
ハピネスは、毎日が名探偵の気分でした。
ある日の三時頃。
今日のおやつは何かなと、ハピネスがお行儀良く食卓の椅子に腰掛けます。
窓の向こうからは、ほろ苦い香りが漂います。
この香りはカラメルソースでしょうか。
だけど、幾ら待っても、家の呼び鈴は鳴りません。
ただ、隣の奥さんの慌てる声が聞こえます。
窓を開けて隣の家を見ると、隣の窓から黒い煙がモクモクと出ています。
火事です。
おそらく、あわてんぼうが招いた不幸です。
「ハピネス!!たすけて!!!」
隣の家の玄関から叫び声がします。
しかし、玄関前の傘立てが倒れていて扉が開かず、奥さんは出てきません。
ハピネスは、急いで傘立ての中身を取り出し、力をふりしぼり、傘立てを退かします。
飛び出てきた奥さんは、病院に運ばれ、家を焼き続けた炎は、かけつけた消防士たちにより鎮火します。
消防士は、不安そうにしているハピネスのことを心配してくれますが、「パパが、帰ってくるから」と微笑みます。
しばらくすると、父親が急いで家に帰ってきます。
ハピネスは父親に抱きつかれ、ギュッとされます。
火傷はしていないかと、体のあちこちに触れられます。
ハピネスは、大好きな父親に心配されて嬉しくなります。
今まで我慢していた涙が、ポロポロと出てきます。
ハピネスは、もう独りは嫌だと、離れません。
父親は、泣いたままのハピネスの顔を見て、次からは独りにはさせないと、約束します。
ハピネスは、また不安そうな顔でいました。
父親は、次の日、電話とチラシを両手に持ち、直ぐに雇えるベビーシッターを探します。
電話で忙しい父親を見て、ハピネスは何やら心配そう。
「ああ、そうですか、では、明日に」
どうやら、次のお相手が決まったようです。
父親はホッとしていましたが、ハピネスは頬を膨らませていました。
次の日、家の呼び鈴が鳴ると、父親に案内された、ベビーシッターの女が食卓の椅子に腰掛けます。
ソファーに腰掛けたままのハピネスのことをちらっと見て、微笑みます。
父親に「可愛い子ですね」と耳打ちします。
ハピネスは、少しだけ照れて、その様子を見ていました。
ベビーシッターの話し方は、あの三段腹のように柔らかく、気遣いも出来ていて父親からの顔を見るに好印象です。
父親との話が終わり、ベビーシッターがソファーの前に跪いて、ハピネスと同じ目線で話しかけてきます。
話をしてみると、とてもいい人。
まだ雇ってもいないのに、夕食のクリームパスタを作り、家の掃除までしてくれます。
父親は、ベビーシッターを笑顔で見送り、あの人なら信用できると思い雇います。
父親が仕事でいない日は、ハピネスとババ抜きで遊んでくれ、家の中を掃除してくれます。
ハピネスは、夕食を作るベビーシッターに、母親の影を重ねます。
もしも、このまま入院している母親が帰らずにいたら、父親に気に入られた、このベビーシッターが新しい母親になるかもしれません。
しかし、母親まであと一歩足りません。
まだ叱られていないのです。
お利口なハピネスは、食器棚からお皿を取り出し、微笑みました。
父親が家に帰ってくると、ハピネスが泣きそうな顔で、父親に抱きつきます。
理由を訊かれると、お皿を割ってしまい、少し叱られたと、小さな声で話すのです。
ベビーシッターは、今日の出来事を謝り、申し訳なさそうに帰っていきます。
ハピネスは、家の玄関に鍵をかけると、父親の前で袖をめくり、つねられたあとを見せました。
ひとつ、ふたつと、その痕を見つける度に、声に出せない思いが父親の顔を真っ赤にします。
父親は、偽りの優しさに激怒し、あのベビーシッターを首にしました。
もうハピネスを他人に預けて、傷つけはさせません。
父親は、仕事で野鳥を撮影しに行く時、ハピネスにも手伝ってほしいことがあると言い、山に連れて行きます。
父親は名の知れた写真家なので、休みの時以外は、美しい景色に夢中です。
そんな父親が、今、隣にいて、二人っきりで歩いてくれているのです。
ハピネスは、鳥が歌い、木々がお喋りをする山の中を夢心地になり、その景色を眺めていました。
しばらくすると、後ろの方からガサツな足音が近寄ってきます。
パシャリ。
シャッターの音がして振り返ると、「仲良し親子いただき」とメガネをかけた写真家の若い女が、ニカッと笑っています。
父親に盗み撮りはダメだと叱られても、小さくて可愛いハピネスに夢中です。
写真家の女は、ハピネスの頭を子犬のように撫でます。
父親と次の計画の話をしていても、鳥の鳴き声がすると、カメラを手に、鳥探しに夢中。
個性的で面白く、仕事熱心な性格。
だけど、少し抜けているようです。
左右の靴が違います。
今も、目の前でステンと転び、父親に起き上がらされています。
これまでにも、何度も助けられているのかも。
あんな世話の焼けるお姉さんを父親ばかりに任せるわけにはいきません。
ハピネスも、何か困っていたら手を差し伸べてあげたいのです。
父親と写真家の女が、別々の鳥を撮影することになった時、ハピネスは父親から離れて、写真家の女の手を掴みます。
ハピネスは、写真家の女の顔を見上げ、お手伝いするねと微笑みます。
二人は、父親とは反対方向に話をしながら歩き出します。
ハピネスは、家では何をしているのと訊かれ、「パパとババ抜き」と答えます。
「でも、二人でババ抜きって面白い?」
「パパとなら何でも面白いよ」
「そっか、じゃあ今度はお姉さんもやらせてね」
「うん、ママが退院してからね」
二人で山の奥に進んでいくと、ピューと鳥の鳴き声がします。
写真家の女は、ここで待っててねと声のした方へ、早足で向かいます。
ハピネスも、追いかけますが大人の足の速さには敵いません。
直ぐに見失ってしまいます。
突然、一人にされて不安なハピネスは、グルグルと回転して泣きそうです。
「ハピネス!!」
そう遠くから声がします。
声の聞こえる方に行ってみると、崖から落ちそうになってる写真家の女を見つけます。
ハピネスは、どうしたらいいのか分かりません。
写真家の女は、父親を呼んできてと必死に叫びますが、今ここを離れてしまえば、このまま落ちてしまいます。
ハピネスは、言うことを聞かず、手を伸ばしますが、「子どもの力では無理よ!!」と叫ばれ、手を掴んではくれません。
手が無理ならばと、首にかかっているカメラのストラップを掴み、力いっぱい引っ張ります。
カメラは女の首からスルスルと離れてゆき、眼を見開き、叫びます。
その叫び声に、近くまで来ていた父親が気付きますが、二人の居場所が分かりません。
父親は、ハピネスの泣き声を頼りに駆けつけます。
ですが、そこには一人しかいません。
父親は、おそるおそる、崖の下を見ると、何も言わず、ハピネスを抱きしめました。
母親が入院してから不幸続きの二人。
父親は休みの日も外には出ず、ソファーに腰掛け、頭を抱えるようになります。
何故こんなにも周りで不幸が起きるのか、思い返せば、はじめの女の子の事故から、隣の奥さんのボヤ騒ぎ、ベビーシッターの暴力、同僚とのお別れ、全て共通するのは女性です。
父親は、自分の女運の無さに怯え始めます。
自分と関わる女性は、みんな不幸になる。
そこにハピネスが、そっと寄り添います。
「大丈夫、ハピネスがついているから、あのねパパ・・」
そう言いかけた時、電話の呼び鈴が鳴ります。
ハピネスは、電話を不安そうに見つめ、父親は、母親の死を感じたのか、もう電話には出ません。
俯いたままです。
受話器を取ったのは、ハピネスでした。
話を終え、父親に背を向けたまま受話器を下ろし呟きます。
「ママが帰ってくる」
ハピネスの手が震えます。
父親は希望の光が差し込んだかのように元気になり、嬉しさで泣いていました。
二人は、母親が退院する日を待ち望みます。
毎日、お見舞いに行きます。
だけど、退院の日が近づくにつれ、母親の様態が悪化していきます。
そして、退院前日の夜。
母親は息を引き取りました。
ハピネスは、不安そうな顔で「ママ」と体を揺さぶりますが、声は返ってきません。
父親は、ただ泣いています。
心配事が、呆気なく、なくなります。
三人で歩くはずの道を二人で帰り、家に着きます。
それから父親は、眠れない日が続き、母親のように薬を飲み始めます。
そんなある日。
父親が、ソファーに腰掛け、俯いたまま動きません。
ハピネスは、そんな父親を見て、悲しそうな顔でリビングから出て行きます。
しばらくすると、父親の隣に、ふわりとしたものが腰掛けます。
そこには、真珠色のタオルを体に巻き、レースカーテンのベールで顔を隠した、小さな花嫁が、タンジーのブーケを両手に持ち、静かに待っていました。
「パパは独りじゃないよ、ボクがそばにいる」
父親は、ベールの下で眼を潤ませる男の子には気付きません。
俯いたまま、しあわせな夢を見ているのです。
それでも、ハピネスは、そっと寄り添い、父親の大きな手に、小さな手を重ねるのです。
ハピネスは、愛する人の隣で眠れる、しあわせな子どもでした。
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