仇敵の影

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仇敵の影

外が何やら騒がしく、轟音が聞こえた瞬間には、住み慣れた家が吹き飛んでいた。その瓦礫から運良く這い出した時には、生き延びられた希望ではなく絶望を突きつけられる。 目の前で、小さな妹が食いちぎられていた……。 眼前には、四人家族が慎ましく住んでいた家よりも大きな体つき。 人間の血を浴びて回ったかのような、深く赤い鱗が凄まじく、吐息が灼熱とも思えるほどに熱気を孕んで白く吹き出している。 村の噂話や、古びた文献によって知ってはいたものの、 初めて目の前にするドラゴンだった。 こんなにも恐ろしく、こんなにも禍々しいなんて。 子供の想像力であっても、考えもつかない造形だった。 少年はドラゴンと目が合う。 あまりの恐怖に失禁していることも気づかない。しかし、逃げ出すことも出来なかった。妹が惨殺された恐怖と同時に起こる初めての感情。心の奥底から湧き上がった、燃え上がるような怒りの激情だった。 突きつけられた絶望に、何も出来ないことがわかっているため、飛びかかる勇気も無謀さもない。しかしながら、その怒りの力は、視線に籠もる殺意となって竜を抹殺し得るのではないかと思えるほどに熱を帯びていた。 それもそのはずだ。少年は、血涙を流していた。 「お前、俺を喰え……。でないと、いつかお前を殺す。よくも、妹を、エミィを……」 少年の声に、ドラゴンは小さく唸ることで応えた。 ドラゴンは何を思ったのか、少年に手を出すことはなく、その背にあるには少々心許ない小さな翼をはためかせてどこかへと飛び去っていった。 少年は、自身の虚勢をあざ笑うかのようなドラゴンの挙動に、より怨讐の心を強めながらその場に崩れ落ちた。 そして物言わぬ妹の亡骸に触れながら、天に吼えるように泣き喚いた。 その突如現れたドラゴンは、村を滅ぼしたのを皮切りに、人類に対して凶悪な牙をむき出しにする。やがてそのドラゴンは、ヴェルガドと名付けられ、征竜ギルドによって《災厄級》に認定される。 サイアスは気がつくと、両の拳を握りしめながら、薄暗い天井を凝視していた。またあの夢だ。全身にずっぷりと汗をかいている。さすがに失禁はしていないものの、それに匹敵するほどの発汗量とも言える。 「う……、んんっ……」 隣から艶やかな、それでいて愛らしい声が聞こえる。 「すまない、起こしたな……」 「別にいいけど……。また昔の夢を見たの?」 「……ああ」 「そう、可哀想に……」 サイアスの隣で、裸で寝ていた女性がベッド脇にかけてあった布を取る。そして、サイアスの頬を優しく撫でてくれた。 年の頃は二十代後半くらいであろう。髪の長い、美しい女性だった。 彼女の名はネアン。行きつけの酒場の主人であるダインの一人娘だ。 彼女はよくダインの店でウェイトレスをしていた。客として通っていると、自然と会話する機会も増えていき、いつしかこのような関係になっていた。 サイアスは大人しく、彼女に汗を拭いてもらう。 「はい、おしまい。もう一眠りする?」 「いや、今日はこのまま起きて修練を始める。お前は寝てていい」 「わかった。んじゃ、もう少し横になってから、朝ご飯作って待ってるね」 「……ああ」 サイアスはベッドから起き上がり、簡素な修練着に着替える。 寝室の壁に無造作に置いてある、使い慣らした斧を持ち上げ、部屋を出ようとする。 「そうだ……。あのね、私……」 「なんだ?」 「ああ、うん。いいや。修練、がんばって!」 サイアスが部屋から出て行く。 ネアンはその姿が消えるのを待ち、横になって下腹部を少し撫でながら、 また深い眠りへと落ちていった。 修練を終えたサイアスは、征竜ギルドの中央支部へと向かった。 近辺の征竜ギルドの中ではかなり広い施設だ。支部などの場所によっては、依頼掲示板があるだけという簡素な場所も多いが、ここは違う。 受付が整っているし、会議室や資料室、食堂や修練場なども完備している。 もちろん、ある程度ギルドに貢献している者でないと使えないサービスばかりではある。 サイアスは受付を素通りし、掲示板の前に立っているニノを見つける。 ニノの方もこちらに気づき、少しけだるそうな顔で話しかけてきた。 「旦那、おはよう。いやー、昨日は飲み過ぎたよ。ぜんっぜん記憶なくって。あれだけ飲み食いしたのに損した気分」 「お前は一銭も払ってないんだから、損したわけないだろう。たまにはお前が料金を持ったらどうだ?」 「うーん、まあそうですね。次に《災厄級》を仕留めたときには、ごちそうしますよ。《災厄級》の報奨金なら、百回おごったっておつりが来ますからね」 「いつのことになるやら」 サイアスはあきれた声で返す。 確かに、ニノは若手にしては見込みのある屠竜士だが、サイアスから見ると《災厄級》に立ち向かうにはまだ至らない腕前だ。生きて帰れればいい方だろう。 「しかし、次はいよいよ百匹目の得物ですからね。そこら辺の《邪知級》じゃあ締まりませんぜ。とはいえ、最近はあまり大物の情報はないからなあ。しばらく暇つぶしを考えないと……」 ニノがぼやいているところに、何やら受付の方が騒がしい。 わっと男達の声が高まっている。 こういったときは、情報部が何か大きな話を掴んだときだ。 ニノの目に、とたんに好奇の色が浮かび上がる。 「号外! 号外だよ!! ついにあの《災厄級》、ヴェルガドの居場所が判明しましたよ!! さあさあ、屠竜士の皆さん、奮って討伐に臨んでください!!」 受付の一人が走りながら、抱えた手配書を掲示板に貼り付けた。 《災厄級》ヴェルガド。その報奨金は、やはりここ数年で最高額となっている。奴を仕留めるだけで、三世代は遊んで暮らせる額である。 掲示板付近には取り囲みが出来、集まっていた屠竜士達は手配書の写しをそれぞれ持ち帰っていた。 しかし、その心境は様々だ。大半の者は、屠竜士であろうともヴェルガドの悪名には恐れをなしていた。報奨金が高いと言うことは、それほどまでに討伐のリスクも高いという事だ。ましてや相手は、数十年に一度しか討伐報告が上がらない《災厄級》である。真剣に倒しに行こうと考える者は少ない。 討伐を本気で考えるのは、よほどの無謀な馬鹿者か、ギルドでも三指に数えられる男達だけだろう。 となると、周りの目はどうしても気になる。 その一人、《竜斬鬼》がこの場にいるのだから。 サイアスはこの一報をどう思っているのか。 視線は集まるものの、誰も直接聞くことはしない。 空気の読めない、ただ一人の若者を除いては。 「サイアスの旦那。こりゃあ百匹目にはふさわしい相手だ。運命って奴ですかね。このタイミングで現れるなんて……、って、旦那! どこに行くんです!?」 サイアスは、素早い足取りで既にギルドを後にしていた。 その手には、ぐしゃぐしゃに握られたヴェルガドの手配書が。 誰もいない裏路地に入り、サイアスはその壁に思い切り右腕を叩きつけた。 石造りの建物が震えるほどだ。その握りしめた拳からは血がにじみ出すほどで、手配書を朱に染めていく。 「ようやく見つけたぞ。ヴェルガド……。覚悟するんだな」 サイアスはあの日と同じく、怨讐の炎が心に燃えさかっているのを抑えることが出来なかった。 (to be continued……)
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