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プロローグ
二二五〇年。日本社会は二百年前より大きく成長し、首都・東京は「理想都市」と呼ばれるまでになっていた。
差別のない世界。日本が目指したのはそんな社会だ。差別を無くそうとする動きはどの国でも見られたが、最も早く成功したのが日本だった。大都市東京には格差もいじめも存在しない。全ての人が平等に、公平に、平穏に暮らしている。それはまさしく、人類の理想というべき空間であった。
街に住む子どもはそれぞれ、中学校に上がる一週間前に健康診断を受ける。誰もが健全な生活を営むための政策の一つだ。発達した技術のおかげで、診断から一時間ほど経てばすぐに結果が出る。
少年・陽崎白露は、今まさに、医師から診断結果を告げられようとしていた。
「さて、陽崎白露くん」
「はい」
カルテを見下ろす冴えない医師は、どことなく神妙な面持ちだ。白露と後ろに控える母親に緊張が走る。
「身体はどこも正常ですね。発育もいいし、病気もない。至って健康体。でも……」
不穏な間が流れる。少しして、医師はおもむろに口を開いた。
「社会適正値に異常があります」
医師が述べたのは聞き慣れない単語だった。陽崎親子は首を傾げる。
「先生、社会適正値、というのは……?」
「まあ、精神的に不安定って感じですかね。放っておくと危ないです。けど注射しとけば大丈夫ですから。ちょっとお時間頂きますけど、よろしいですかね?」
「もちろん。お願いします」
母親が丁寧に頭を下げる。一方白露はわずかに眉をひそめた。当たり前だろう、ほとんどの子どもは注射というものを嫌うのだから。白露も例外ではなかった。
「ちぇっ……」
「ほら白露、頑張ってくるのよ。あなたのこれからのためなんだから」
「わかってるって」
頬を膨らませながらもしぶしぶ立ち上がり、医師について別室へ向かう。前方を歩く医師は隣室には寄らず、何やら長い廊下へ進んでいく。
しばらく歩いた後、たどり着いたのは開けた円状の部屋だった。ずいぶんと殺風景な部屋だ。真ん中にぽつりとある椅子が、まるで場違いに思える。
「さ、座って」
「……広っ」
「白露くん」
「あっ……ごめんなさい」
催促する声が妙に威圧的に感じられて、萎縮した白露は大人しく中央の椅子にかけた。腕を差し出してそっぽを向く。すぐにちくりと針の刺さる痛みがあった。十二歳にもなって喚くのは格好悪いから、歯を食いしばる。
「はい、終わったよ」
「ありがとうございます」
「ああ、フラつくといけないから、しばらく座って動かないでね」
「はい……」
言いながら医師は白露から距離を取る。まるで逃げるみたいだ。違和感を覚えた時にはもう遅く、医師は部屋から出ていってしまった。
患者を置いてけぼりにするなんてあるか? 苛つきを感じた白露は、医師の指示を無視して立ち上がる。別になんともない。
なんだったんだ。愚痴りながら出入り口の方まで向かうが、扉が開かない。
扉が開かない?
「嘘……」
閉じ込められたのだろうか、自分は。このだだっ広い、よくわからない部屋に? 途端に恐怖が湧き上がる。怒りが込み上げる。憎悪が、溢れていく。
異様な感覚だった。身体中に負の感情が駆け巡り、神経を支配していくような。吐きそうなくらい気持ちが悪い。けれどそれより憎たらしい。何が? この世の全てが!
自分の知らない怨念に包まれ、意識が遠のいていく。視界が暗転する寸前、白露の目に映ったのは、獣のような異形の腕だった。
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