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―前日譚―
「うちの孫はべっぴんなんだけど、頭が硬くてねぇ。仕事ばっかしちょって、てんで男っ気がないと」
食事処「えにし」で、店主の春原結は、常連である鳴川トヨコに水を出した。何度も繰り返された愛孫の話を、結は飽きるほど聞かされていた。
眉間の皺を深くし、ため息を吐く。
「ばぁちゃん、それは何度も聞いたよ。放っておいたら、一生独身だ、って嘆いてたお孫さん?」
「ほら、これを見んしゃい。べっぴんさんだろう」
トヨコは鞄から写真を出し、カウンターを滑らせる。結はそれを捕まえ、まじまじと見て、息を呑む。
黒髪のセミロング、眼はモカブラウンで透き通っており、清楚かつ、少々気が強そうなところは、結の瞳に好ましく映った。
「ばぁちゃん、この子、可愛いな」
「……だろう?」
トヨコはにやりと笑って、店の奥に居る結の祖父に声を掛けた。
「大将、御宅の孫がうちの孫を気に入ってくれとうよ。どうね、この食堂でマッチングさせてみんと?」
「おう、よか。一度、連れて来てみぃ」
後退した頭になけなしの白髪が乗った老人が振り返る。
祖父の軽快な返事を聞き、じいちゃん、と結は首を振る。
「ここはただの食堂だ」
「うちの孫も堅物だからな。嫁さんも貰わんと、店に来る客の恋ばかりを応援して。独身の常連さんで、食の趣味が合いそうな人を相席させて、きっかけを作っとるのに、人様のことばかりで、自分のことにはてんで興味がない。こりゃあ、いい機会だ」
大将は企んだように結を見る。
「でも、ばぁちゃん。お孫さんは結婚願望がないって……」
「ふむ、そこがなぁ……。あの子はあたしの命がかかるぐらいしないと結婚しないだろうねぇ……」
トヨコはしばらく考え込むと、閃いたように眼をしばたたかせた。
「年寄りの病気を持ち出すと、信憑性があるかね。息子に嘘でも言って、人づてに……」
「……嘘はダメだと思う」
結は呆れたように首を振ったが、祖父である大将がずいっと口を挟む。
「お得意様に何を言ってる? この店が相席食堂と名前も出していないのに、有名になったのは鳴川夫婦の出会いがきっかけだ。そのお孫さんの結婚に恩義を返さないでどうする? 次の店主はお前だ。腹をくくれ。それに、こんなべっぴんさんが嫁さんになってくれたら、嬉しいだろう」
当事者は蚊帳の外で、ぐいぐいと話を進める老人達。結が呆れながらもぽんぽんと弾む会話に舌を巻いていると、トヨコは言った。
「そもそも、もえちゃんと結は食の嗜好が似てる。この新メニュー、普通の肉じゃがじゃのうて、塩肉じゃがが主役やね? ……あたしが余命を宣告されて、もえちゃんが婚活迷子になったらどうね? このシナリオだったら、美味いこといくと思わんと?」
「ばぁちゃん、嘘も方便すぎる……」
「嘘から出たまことにすればええ。縁は繋ぐもんやから」
―終―
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