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一
二十六歳。
ある小説に「二十六までに旅に出ろ」と書いてあったっけ。僕は初めて海外で活動する医療ボランティアに携わった。昔から興味があったので、参加できたことをとても光栄に思う。
派遣先は色々あったけれど、僕の手元に届いた手紙には漢字で「中華人民共和国」と書かれてあった。
「まじか。カタカナの国じゃねえのか」というのが率直な感想で、残念な気持ちになったのを今でも思い出す。隣の国であり、そんなに貧しい国と認識していなかったせいもあり、どうしてこの国なのかと……?
そもそも僕が子供のころ、中国には祖母がよく旅行で遊びに行っていた。中国かハワイかが定番で、よくお土産をもらった記憶がある。そして楽しそうに土産話をする祖母に、僕の想像力は掻き立てられた。カンフー好きな僕は土産話とそのお土産を持って友達に自慢していたのを覚えている。さも自分が行ったかのような振る舞いで。
「嘘をつくな!」と先生からツッコミを入れられた時、ふと我に返って、どうしてこんな自慢話をしてしまったのだろうかと後悔したものだった。
ただ、中国とは縁があって高校一年の夏、そのチャンスが突然訪れた。なんとそれは各高校から1名ほど、船で中国へ行く日中友好のセミナーに参加できるというもの。学校から募集があった時、僕はすぐに手を挙げ、周りの友達も大勢手を挙げた。そこで抽選になったのだけれど、その決め方がなんとジャンケン。元々運はない方だからダメもとで臨んだんだが、なんと勝ってしまった。自分でも信じられない幸運にただただ喜んだ。
知らない高校の連中とグループを組み共同生活をするのは緊張したけれど、高一だったせいで先輩たちからは可愛いがられた。今では良き親友たち。
船内で中国文化やマナー、通貨について学んだような気がするけど、歴史についてはあんまりだったような。
天津や上海の港へ到着すると、歓迎ムード一色でVIP扱いされた。バスには護衛車両もついて、どこまでも続く緑のない黄砂の大地と人人人、散乱するゴミゴミゴミ。学生とは多少交流はあったものの、半分は観光だった。
この時の僕らは中国人にいったいどのように見られていたのだろうか?
僕からしたら途轍もない広い大地に殺風景な港、人々には笑顔がなく、すべてが時代錯誤のように見えた。まるで戦後から時代が止まっているかのように。
そして大人になって再び中国へ。今度は医療ボランティアという仕事だ。
飛行機で到着した空港は、世界に誇る立派な国際空港だった。日本の成田や羽田とは比べものにならないくらいの大きさで、天井の高さにも圧倒された。
そのままの勢いで北京事務所職員と合流。この空港が日本支援で建てられたことを教えてもらった。空港内に小さく掲示されいるようだが、おそらく誰も知らないだろうと。僕もそれを聞いて、「日本の飛行場もこれくらい大きなものを作ればいいのに、どうして外国に」と思ったほどだった。
北京の街並みもそうだが、世界に誇れるくらいの近代化が進んでいるこの国に、様々な支援が必要なのは何故だろうかと。高校の時よりも更に発展している中国なのに。
やはり過去の戦争が支援を長引かせているのだろうかと。
一応、近代歴史は中国へ来る前に少し本で勉強した。それでなんとなく歴史の流れは分かったけれど、戦争年表と○○条約締結ばかりが記憶に残ったような気がする。特に戦争が何たるかも考えずに、ただただ分かったような気になって。
戦争で負けたのは知ってる。そして戦争となるきっかけとなった事象も知っているつもりだ。確かヨーロッパ諸国のアジア植民地化からアジア圏を護るためという名目があったような気がする。実際には資源確保も狙いだったと。だから正義っぽい日本が先頭を切って立ち上がったのだと。
名目は素晴らしい。だから日本軍は日本人として恥じない行動をしていたものと信じていた。学校の教育では平安や鎌倉、遠い昔の歴史に夢を馳せ時間を費やし、近代歴史を蔑ろにして詳しく教えてくれなかったから。きっと僕と同じような歴史認識を持っている人が多いだろう。慰安婦問題もその一つだ。多分、今の社会科の先生に訊いたって教えてくれないだろうと思う。きっと日本がそのような教育を推奨していないから。
はっきり言って、どこの国も同じだ。自分の国に不利益な話は教えない。日本も中国も韓国も北朝鮮もだ。特に日本人は負けても美化する傾向があるし、そもそも過去の戦争に勝った負けたは拘るものではない。どちらにせよ多くの人たちが命を落としたのだから、それを弔う気持ちだけでいい。
今はテレビゲームで人を撃ったりしている子もいる。そしてそれが戦争でも同じだろうとイメージしている子もきっといるだろう。
だけどそれは全然違うから勘違いしないでほしい。実際、どんな人にも親兄弟がいる。家族もあり生活もあるんだ。それをすべて壊してしまうのが戦争。人間の秩序も道徳も尊厳もすべて無にしてしまう、恐ろしい洗脳力だ。
それを中国が教えてくれた。
北京事務所職員が、先ず僕に見せてくれたのは盧溝橋・中国人民抗日戦争紀念館だった。故宮や天壇、万里の長城、王府井のような観光地ではなく戦争記念館。
到着するなり重々しい漢字の表札。中に入るのも億劫になるくらい僕を見つめる周りの目が痛かった。そしてそこで目にしたのは、悍ましいほど残虐な写真ばかり。きっとネットでも公開できないほどのものだろう。特に七三一部隊が行っていた細菌兵器の実験施設。本物の中国人を使っての化学実験。おそらくペストやコロナなどの細菌や毒などを使って人が死んでいるのだろう。囚人を人体実験に使っていたという話だが、それは本当なのかと疑いたくなるほど無慈悲なものだった。
更に別のブースでは南京大虐殺もあった。死体が至る所に転がり、それを無下に扱う日本軍の姿。すべてが本当に惨すぎる。落雷が心に刺さったような衝撃を受けた。非人道的なその行為に、日本人がこんなことをするなんてと落胆するほど。
戦争は人を変えてしまう。非人道的な行為が許されると勘違いしちゃうんだ。自分の身を守るために戦っているんだろうけれど、だからってそんな風に人を殺めるのはおかしい。諸外国が未だ日本に対して恨む気持ちも分からなくはないよ。ヒトラーの行為やロシアの収容所がひどかったという話も聞くけど、結局戦争をしている国はみんな同じようなものだと、僕はそう思う。
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