迫田流花 1

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迫田流花 1

 私は憤慨しながら渋谷駅に向かって大股で歩いていた。「待ってよ。流花」と友人の香織の声が迫って来る。しかし、雑踏の音に紛れてか、私の感情が昂っていたせいか、香織の声はまったく届かなかった。  香織は私の肩を掴むと、力いっぱい私を引き止めた。  私は香織の顔を見るなり、悲しみがこみ上げて、香織の胸に頬を埋めた。香織は柔和な表情になり、私の髪をあやすように撫でた。 「あいつ、お父さんの悪口を言った。許せない。お父さんを侮辱するなんて」  私は声を震わせた。香織は私の背中を軽く叩くと、「あんな男、こっちから願い下げだよ」と言った。  香織は心底申し訳なさそうだ。人数合わせのための補充として私を呼んだはいいが、とんでもない男どもの合コンをセッティングしてしまったことを後悔している声音だった。  都内の名門大学であるK大学との合コンであったが、私は香織のたってのお願いで参加することになった。そもそも、K大学の学生は苦労知らずのお坊ちゃまが多い。つまり、私たちとは基本的に住む世界が違う。まず、波長が合うわけがなく、案の定の結果となった。  私の父親は高名な画家だった。名前は迫田雄作。父親は三年前に自殺をした。遺書も残さない突然の死だった。原因はわかっている。父親は放火殺人の濡れ衣を着せられたのだ。詳しいことは後で記すことにする。  とにかく、迫田雄作が仕事場のアトリエで首を括って亡くなったことから、警察は自殺と断定した。父親の死は大々的に報じられ、人々の好奇心を満たした。  父親の代表作「ブルームーン」は死別した母親が蒼い月を何度も夢の中で見たことから着想を得ていた。形に残すのに数年かかった。その間に母親は病に斃れ、完成品を目にすることなくこの世を去った。  父親は涙を流しながら母親の死に水をとり、ブルームーンを棺に入れようとしたが、画商が頑なになって止めた。迫田雄作の傑作を世に出さないで焼いてしまうのは、数十億するダイヤモンドをゴミ箱に捨てるようなものだと言い聞かせた。だが、父親にとっては絵の価値以上のものは妻であり、私の母親の存在の方が大きかったのだろう。  母親が亡くなってから、父親は憔悴し、抜け殻のようになった。それに追い打ちをかけるように、殺人事件の容疑者にされた。父親は母親の悲しみをようやく乗り越えたばかりなのに、警察が父親を任意で引っ張った。  今でも、父親は殺人を苦に自殺したと噂されて、それを真に受ける輩がいる。今夜も私はその一人と会った。それも合コンという場所で。 「二人で飲み直そうか?」
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