大園美菜 1

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 資産運用の仕事はある意味、ギャンブルでもある。どんな仕事もそうだが、仕事が必ずしも成功裏に行かないこともある。顧客の資産を目減りさせることなど日常茶飯事で、父親の会社にはクレームが殺到することもある。私のクラスメートの父親も私の父親の会社に資産を預け、損をしたことから、その恨みの矛先がクラスメートを介して私に向いたりする。その時、私は父親がとても嫌いになる。だけど、こうやって何不自由なく暮らせるのは、やはり父親に依るところが大きい。だから、私はただ耐えるしかなかった。  父親を恨むなんて言語道断だ。でも、その父親はもう、この世にはいない。専務である母親が事業を継承する役を担う訳だが、お嬢さん育ちの母親に父親の仕事が務まるかは、甚だ疑問である。  私は顔にひどい火傷を負い、十七歳にして、人生の奈落の底へ突き落とされたのだが、現在、不死鳥の如く蘇った。  神崎医師はこの世界では有名な専門医でゴッドハンドを持つ男と呼ばれていた。その医師はその名の通り、苗字の最初の文字をとって、神さまと院内で呼ばれていた。  かつては、撮影中に事故に遭い、顔に傷を負った二枚目俳優の皮膚を元通りにしたという逸話があるほどだ。こんな医師が父親だったらいいのにと、愚にもつかないことを考えてしまう。  私は移植手術の後の顔を見て声を失った。鏡に映る自身の顔があまりにも美しかったからだ。手術の痕を微塵も残していない神崎医師のオペはまさに神業。私は神がいるなら、ひれ伏して感謝したかった。  神崎医師も私のオペを最後に、ロスの病院への転勤が決まった。私は神崎にそう告げられると、今生の別れを惜しむように泣いた。 「術後の経過は順調ですが、気圧や気温の変化で顔に突っ張った感じが残るかもしれないが、あまり気にしないように」  神崎医師が私に残した最後の言葉だった。私は神崎医師に年齢を越えた恋をしていたのかもしれない。私にとっては神崎医師はヒーローだった。でも、ヒーローは決して恋にはおちない。術後の経過は神崎医師の言う通り、順調で移植された皮膚にも違和感はなかった。ある程度の経過が過ぎると、お化粧をしても問題はないというお達しを受けた。  皮膚移植の後、次に私は精神のケアのために心療内科を受診することになった。火災に巻き込まれ、九死に一生を得た私の精神はかなりのダメージを被っていると見た病院側の誠意ある対応だった。  
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