迫田流花 1

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 香織は私の肩に腕を回し、半ば陽気に言う。香織は私が大学に入って最初にできた友人だ。彼女は男勝りな性格で、私はすぐに惹かれた。私は亡くなった母親から、女の子はお淑やかに振る舞うようにと教育されてきたので、彼女の振る舞いは私には新鮮に映った。 「そうだよね。香織とだったら朝までつきあうよ」  元来、酒には弱い私だが、香織とならとことんまで行きそうだ。  渋谷から歩いて数分のところに小ぢんまりとした居酒屋があった。香織がテニスサークルの飲み会の時によく利用しているらしい。  テーブル席に着くなり、香織は生ビールを注文した。私はびっくりして、目をしばたたかせていた。合コン会場では、フルーツカクテルをちびちびと飲んでいたのに、私と二人きりになった途端にオヤジ臭くなった。 「ほら、男子って酒が強い女子がいると、引くじゃない。だから、飲めないふりをしていたの。でも、もう、ここに男子がいないから、そんな芝居も必要なしよ」  香織はあっけらかんと言い放った。そんな彼女を見ているだけで、くよくよしていた自分に辟易する。 「あのさ、余計なお節介かもしれないけど、流花はもっと自分を出した方がいいよ。流花、女子の私から見ても、すごい綺麗だよ」  香織はやたら、私を持ち上げる。彼女は計算する人間ではないので、この言葉は本心だろう。  私も自慢ではないが、学園祭の実行委員の一人から、ミスキャンパスに応募しないかと持ち掛けられた。だが、私は考えもせず断った。その後、何度かしつこく打診された。私は香織に相談すると、香織がすごい剣幕で委員会に飛び込み、私に近づかないようにと釘を刺した。委員会の男どもは顔を蒼白にして、一同が頷いた時には私は場違いな失笑をした。 「それにしてもさ、いまどきの男子はデリカシーがないよね。あんなせせこましいバーで安く済ませて女子を口説こうなんて、考えもせこい」  香織は枝豆を頬張り、豪快にジョッキを呷る。  ふと、私が目をやると、カウンターの右隅の上にテレビがあり、何やら深刻な顔をしたリポーターがマイクを片手に、ある屋敷の前に立っていた。  田園調布にある、そのバロック様式の屋敷を私はどこかで見た覚えがある。そこは私とは切っても切れない縁のある場所。  リポーターは現在、売りに出されているが、買い手がつかない主人なき屋敷を見上げて、三年前に起きた殺人放火事件を説明した。その屋敷は火災を受けたが、捜査がひと段落して焼けた箇所が復元された。だが、殺人放火事件が起きた屋敷に手を出す物好きはいない。  私の父親、迫田雄作が殺人の冤罪を受けた事件は、この屋敷の主人との確執から始まった。あれからもう三年経ったのか。いや、私からしたら、まだ三年しか経っていないのかという気持ちだ。  生放送らしく、リポーターは暗い夜空の下に建っている禍々しい屋敷に畏怖を感じているようだった。世間の好奇の目に晒されてきた屋敷はまるで孤児のようだ。  私はどうしようかと思い悩んだ。私の座っている角度から画面がよく見える。画面に意識を向けなければ済むのだが、私は気になって仕方がない。  すると、客の一人が主人にチャンネルを変えてもいいかと訊いた。主人が許可すると、客はチャンネルをナイター中継に替えた。その瞬間、私は安堵のため息をついた。
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