カミサマ殺しと紛い神

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 丁寧に頭を下げ、朽ち果てそうな家から出てきたのは二人の女だった。  一人は小柄でコケティッシュ。ふわりと揺れる栗色の髪の毛を乱雑にまとめ、一心不乱に手元のメモ帳になにかを書きつけている。  一人は背が高くマニッシュ。あまり手入れされていない黒髪をわしわしと片手で掻き上げながら、前を歩く相方を呆れた表情で見つめて息を吐く。 「……先輩、あのー……いまのアレ、先輩的にはおっけーだったんすか?」  たまらず声を掛けたのは、黒髪の方だ。  ペンを止めず、視線も上げず、栗色は応じる。 「え。なにが?」 「なにって、なんかこう全部ですよ。全部。先輩が単に好奇心でおはなしきかせてくださいって言ってんならあたしだってどうでもいいですよ。でも仕事っすよね? これ、記事にするんでしょ?」 「うん、まぁ、そのつもりだけど」 「どう贔屓目にみてもやべージジイの妄想乙だったんすけど」 「えーそうかな? ……そう? 私はわりとありだと思ったけどな、八つ目蝙蝠の聴覚を利用した最新通信技術の研究。実現したらすごくない?」 「いや実現しないっしょ……ジジイ、研究どころか八つ目蝙蝠を飼育してすらいなかったじゃないっすか……紙の上でうだうだ言ってる段階で世界がどうとかでけーこと言い過ぎでしょアレは」 「たしかに、現実的かどうかって話は大事だけど、可能性の話だけでも報道的には面白いと思うけどな」 「先輩はなんでもかんでも面白いっつーじゃん。それしか言わないじゃん」 「そんなことないよー通信技術の発達と燃料の問題は大事だよねーって思ってるだけ。宗教の話よりもわたしはこっちの話の方が面白いって思ってるよ」 「でも、国に強要されてんのは宗教の記事っしょ。いいんすか、反国家みたいなことしちゃって」 「それはそれ、うまいこと誤魔化しながら書くのです。それこそ与太話! みたいな顔して書いちゃえば、まさか真面目な問題提起だなんて思われない。どんな読まれ方をするかなんかわかんないけど、きっと、必要としている人には伝わる筈だよ」 「いるんですかね、八つ目蝙蝠の聴覚を利用した通信技術の記事を必要としてる人間……」 「いないかもしれない。でもいるかもしれない。そんなのわたしにはわからないから、とにかく何でも取材してなんでもバンバン載せちゃうのが我がヘッジホッグタイムズの社風です!」 「それ、推敲とかが面倒くさいだけじゃないっすかね」 「わー難しい言葉知ってるね」 「先輩が無駄に教えてくれますからね。すっかりヘッジホッグの臨時バイトみたいな扱いですしね」 「もう社員になっちゃえばいいのに、リズ」 「嫌ですよ。あたしの仕事は用心棒兼旅の荷物持ち。この仕事気に入ってるんです。最近はキトワンナ専用みたいになってますけどね」 「へへ。リズがいてくれるから、わたしは安心して取材ができます」 「感謝してんならもうちょっと無鉄砲やめてくださいマジで。先輩むかしっからわけわかんねー精神力だけで動いてる感あったけど、最近……つか、就職してからは特にヤバいっすよ。なんなの。夜に動くな、勝手に走るな、人はまず疑えっつってんでしょ」 「リズ、お母さんみたいだね」 「かーさんとか居たことないからしらねーっすわ」  吐き捨てるように黒髪は言うが、気分を害した風ではない。本人は境遇について一切気にしていないのだろうし、相手もそれを気にしないと知っているのだろう。  比較的よくある名前だ。しかしリズと呼ばれた背の高い黒髪の女は、確かにとある寒村で幼少期、カミサマを殺したエリッタ=ズゥ・リシリス本人であった。  その証拠に、目元に面影が残る。きりりと意志の強い眼差し。走ることが得意な草食動物のような、細くしなやかな身体。かつて寒さと痛みしか存在しなかったその顔には、今は飽きれたような笑みが見え隠れする。  赤い髪は、すっかり本来の色に戻ったのだろう。  生まれつきのものではなく、食物が原因の異変であるならば、摂取をやめてしまえば変化は消えてしまうものだ。  リズを従える栗色の髪の女――キトワンナ・ドローワイズは相変わらず朗らかに笑う。芯の強さが窺える、穏やかな彼女らしい笑顔だ。 「つーか先輩、さっきの取材先の本当の目的、八つ目蝙蝠じゃないんじゃないっすか」  ふと、リズが確信に迫る。彼女は恐らくいつもこうやってズバリ、と物事を口にしてしまうのだろう。そしてキトワンナはいつも、苦笑いでバレたなぁと笑うのだろう。いまのように。 「うへへ。リズにはなんでもバレちゃうね」 「いやあからさまにもう一個の話の方に夢中でしたよ。メモの量も違ったし。……そんなに気になるんですか、死なない人間の話」 「うん? うーん。これは、えーとなんていうか、わたしのライフワークみたいなものだからなぁ」 「ホントなんですかね。死ねない奴を殺せるのは、ドラゴンだけっていう話。あとなんだっけ、えーと……」 「東南の死の(テレーズ)には、今も死ねない人々とドラゴンが幽閉されている」 「……そんな街の話、あたし聞いたことねーっすよ」 「そう? たまーに、知ってる人もいるよ。噂が好きな人だとか、伝説が好きな人だとか」 「おとぎ話扱いじゃないっすか……先輩、そのテレーズってとこになんか因縁でもあるんすか?」 「え、なんで?」 「いやなんか……先輩って結構どんくさいしテンションだけで突っ走るし、あんま記者とか向いてる感じじゃないのにすげー頑張ってるし、特に不死者とドラゴンの話になると目の色変えるから、なんつーか……先輩が記者してる理由って、そのテレーズってとこに関係あんのかなぁ、って思っただけで」  リズの言葉に少しだけ、緊張が混じったことを、キトワンナは気が付いていただろうか。  いや、おそらく彼女は気が付かなかった筈だ。少し鈍感で、けれど思慮深い。視野は広いがどうにも反射神経が鈍い。それがキトワンナだから。  だから彼女はリズの勇気を振り絞ったプライベートな質問にも、いつも通り朗らかに答える。それが、キトワンナだからだ。 「うーん。関係あるといえばあるのかもしれないけど。でもわたしは部外者だし、たぶん、物語だったら主役の中に入れてもらえない登場人物だと思うんだよね。よくて語り手。それも、全部終わった後に、むかしむかしあるところに、こんなことがありましたよって語るタイプのやつ」 「はぁ。神の視点の第三者法式のやつっすか。ある意味美味しいキャラじゃないっすか」 「でも、物語には関われない。わたしは主役の一人じゃない。だからせめて、お手伝いをしようと思った。わたしは彼らのおかげでいまここにいるから。とても大切な人を、殺さずに済んだから」 「……物騒な単語っすね。いきなり似合わない単語ぶっぱなしてくるのやめてもらっていいっすかびっくりするから」 「あはは。リズはそうやって心配してくれるから優しいねー。でも、なんていうかなぁ……物語のお手伝いしたいってのもあるけど、同じものを追いかけていれば、いつかどこかですれ違うことくらいはあるんじゃないかなって期待はしてるかな。もう一回会って、なんて言おうかまでは考えてないけど」 「はあ。なんつーか、わりとロマンあふれる話なんすね。一部物騒だったけど」 「そうでもないよー一回も出会えたことないし。だからやっぱり通信網はもうちょっと発達してほしいかなぁ。燃料も、新しいものが見つかれば、四輪車が自力で走ってくれたりするかもしれないんだし」 「自走五輪馬の開発者のインタビューもしましたねそういや……あたしは夜本が読みにくいから、さっさと燃やす以外の明かりを見つけてほしいですよ。いっそ壁とか光ってほしい」 「リズ、あんまり火が好きじゃないもんね。でも、リズだって誰か会いたい人が居るからこうやってわたしに付き合って、いろいろな場所を旅してくれてるんじゃないの?」 「……………あー……いや、会いたい……えー、会いたくはないっすね。うん。あ、待って、ちょっと殴りたいからやっぱり会いたいかもしれないっす」 「え、ほんとにいるの? うそ、教えてよ、どんな人?」 「殺し損ねた偽物のカミサマ」 「なにそれ。待って、ちょ……リズ待って! 速い! あとその話教えて! 楽しそう! 詳しく!」 「いやですよ。アンタ絶対うぜーもん。まーいつか酔っ払った時にでも機嫌が良かったから話しますよ。つか無駄話してると日が暮れる。この先街まで山道ですよなんでこんなクソみたいなとこに住んでんださっきのジジイ……。おら、足元ちゃんと見ろ転ぶぞ。もう背負いませんからね。きりきり自力で歩いてくださいよ先輩」 「自力で街までたどり着いたらさっきの話してくれますか!」 「しねーっつってるっしょ」  からから笑う声が遠ざかる。  賑やかな女たちの足音がすっかり消え、気配すらも追いかけることができなくなったあたりで、ようやく私は潜めていた命の気配を復活させた。  同時に、後ろに持たれかかった男が息を吐く、音がする。 「いやぁー女子は元気でいいねぇ」  私の背にもたれたまま、オズワはのんびりと声を上げた。 「……声を掛けなくてよかったのか、オズワ。二年ぶりの再会だろう?」 「掛けなくていいんだよ、ガタガ。二年ぶりっつっても、前も一方的に俺が手ぇ貸しただけで、あの時はキトちゃんとは話してもないよ。彼女と話したのはえーと最初に助けた時だから……」 「十年前じゃないか?」 「うっそ、もうそんな経つの? 時間ってやつはどんなに先があっても走り去るときは速いもんだね。この際もう彼女が死ぬまでそっと見守るカミサマみたいな存在でいた方がいいんじゃない? って思ってきたんだよねぇ」  オズワは極力人間と関わり合いを持ちたがらない。そのオズワがほぼ唯一、積極的に助けた少女は今や、立派な職業婦人として活躍している。  彼がキトワンナに会おうとしない理由が、わからないでもない。何故なら私もまた、あえてリズに声を掛けようとは思わないからだ。  殴られたくはないものだ。私を殴るつもりでいることは今先ほど初めて知ったが……より一層、名乗り出るわけにはいかない、と苦笑する。 「てーか二年前も居たけど、あの黒い髪の子誰だっけ?」 「……オズワ、きみは彼女が誰か知らずに二年前、手を貸したのか?」 「あれ、あんときも居た? そうだっけ? じゃあ結構前からの知り合いなのかキトちゃんと」 「彼女はリズ。本名はエリッタ=ズゥ・リシリス。キトワンナの学生時代の後輩だよ。懇意になったのは、卒業してからのようだがね」 「つーかおまえはなんでそんなにキトちゃんの事情に詳しいのよ」 「時折彼女の動向を調べているからだよ、オズワ。そのついでに、過去を知ることもある。彼女が死んだら、きみが泣いてしまうだろうからね」 「泣かないだろ。いや泣かないと思うわ。うん。そりゃ悲しいけどね、あとキトちゃんがヤバいときはそりゃ助けたいと思うけどね。俺ァこう見えて涙腺は強い方なの」 「では、私が死んでもきみは泣かない?」 「泣かないよバーカ。死ぬときは一緒だ」  けらけら笑う、男の声は今日も軽薄に思う程軽い。けれど彼の中にはもう、重く重く背負う業以外のものはほとんど残っていないのだ。 「はー。うっかり休憩しちまったし、サクサク移動すっかねー。次どこだっけ?」 「特に情報はないな。南の方の少数部族で爪が青くなる奇病が出たという噂は耳にしたが、不死者由来かどうかは怪しいところだ」 「あー……あの辺普通に流行り病多いしなぁ。飯が傷みやすいとこはやっぱ駄目だよ、人が住む場所じゃない。だからこそ隠居したお仲間が隠れている可能性もあるっちゃあるけど」 「確証がないまま虱潰しに探すのはよりよい策ではないな。そういえばきみは、数年前に似顔絵を塗りつぶしに行かなくては、とか言っていなかったか?」 「は? 似顔絵? 何そ――あーーーーーーーー! あった! 思い出した! 言ってた! すっかり忘れてた、え、なんで忘れてたんだっけ俺!?」 「……知らんよ。急に大きな声を出さないでくれないか、私達の聴覚は人間よりは敏感なんだ」  ちなみにオズワがその話題を忘れていた理由を、私は知っている。そう、リズの村での件で、人間を巻き込み家を焼き、人間を何人も害した私に、オズワはひどく腹を立てその後一年程ほとんど会話をしなかったせいだ。  どうやらオズワはリズの村のことと一緒に忘れてしまっているようだが……願わくは、そのまま忘れていてほしい。あの一年は、私にとって耐えがたい苦痛の日々だったからだ。 「よーし、じゃあその似顔絵だか日記だかなんだかを燃やしに行くかぁ。えーとどこだっけ? とりあえず中央? つか薬学の本なんか俺ががんばんなくても三十年前の禁書令で全部焼かれたと思ったんだけどなぁ……」 「どの時代にも、禁を冒しても知識を得たいと願う人間はいるものさ。きみもそうだっただろう?」 「いやぁーどうかなぁ。俺は、単に戦争なんかどうでもいいから草とか木とか弄ってたかっただけだよ。だから、招集に応じなかっただけ」  へらりと笑うがしかし、私は彼が人々の病を癒すために薬学に没頭していたということを知っている。数々の廃墟を巡り、本を、日記を、報告書を読み漁るなかで、オズワルド・ヨシュ。テレーズという人間の評を見つけることもあったからだ。  彼は己の存在が残ることを好まない。  だから私はその輝かしい実績と皆の感謝の文章を、じっくりと読み心に残してから、すべて葬った。  だがいつか、オズワの、オズワとしての人生を、評価し言葉にして残してくれる人間が現れると信じている。そして私はその役目を、一人の女性に託し始めていた。 「いやいや、マジで早くしないと日が暮れる。別に野宿したって死なないけど服の劣化は防ぎたいもんだよ、っつーわけでガタガ、さくっと背中貸せ」 「……私の背を拝借するならもう少し丁寧に懇願してほしいものだよ」 「言ってろトカゲマン。おまえの悪いところは俺のことが好きすぎるのに素直じゃないところだ」 「悪いところだとは思わないよ、愛おしいと言っておくれ」  からからと笑う、オズワの声は先ほどの黒髪の女性の乾いた声に少し――少しだけ、似ていた。  私とて、殴られるのは嫌だと思う。  だが、殴られたその後、少しでも語らうことができるなら、彼女の声で朗読する本を味わいたい。夜の静けさの中、滔々と紡がれる物語はきっと星空よりも麗しいだろうから。  さてこれは、死なずの二人に人生を狂わされた、それでも後ろを振り返らない強く優しい一人の女の話だ。
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