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さて、困った。
と、今頃あいつは途方に暮れて、夜空を見上げちゃったりしてんのかなぁ、と思ってから若干笑う。
……いや、どうかなぁ……そんな悠々と構えてらんないくらいイライラしてそわそわして、そのあたりの赤いシダが全部すりつぶされちゃうくらいぐるぐる動き回ってるかも。なんたって俺の相棒は図体に似合わず、笑えない程心配性だ。
そう、全然笑えない。笑っている場合じゃない。
ガタガが心配するのは、ただひとつ。俺の身の安全だけだ。
あいつは俺の為なら世界全部滅ぼしたって『仕方のないことだったんだ』と頭を下げて許しを乞いそうで怖いんだ。すげー怖い。この想像、わりかし当たってそうでやっぱり怖いと笑ってしまう。
そんな俺の自嘲を目ざとく見つけたオッサンは、小さなろうそく一本でもうっすらわかる程度に眉を寄せた。
わかるよ、わかる。アンタが怪訝に思う気持ちは一応わかっているつもりだよ。
ここは牢獄代わりの地下室で、そしてアンタは客人をもてなすためのホストじゃなくってただの尋問役だ。そんで俺はここにぶち込まれてから十日間、飲まず食わずで昼夜問わず拷問に近い尋問を受けている。
普通の人間ならそろそろ発狂する頃合いなのかもしれない。普通じゃなくてもキツいかもしれない。でもまあ、俺にとっちゃなんていうか、うーん……どうってことないとは言わないけど、耐えちまえば、後から忘れられる程度の痛みだ。
痛い、辛い、寒い。でも俺の人生に伸し掛かる長すぎる時間って奴は、どうせそんなものサラッと記憶の彼方に押し流してしまうだろう。そういうもんだ。そうやって生きて来たし、きっとこれからもそうやって生きるのだろう。
ゆらゆら揺れるろうそく向こうのオッサンは、苦々しそうに俺を睨む。
短く刈った赤い髪が、炎の色を吸ってより赤く揺らめく。
「早急に口を割った方が、懸命かと思います。領主さまは苛立っております。今は対話を望まれていますが、そのうちに、言葉ではなく痛みで情報を引き出そうとするでしょう。あなたは……あなた方は、死なない。だが――」
「痛い。……まあね、死なないってのはほんとにシンプルに、ただ死なないってだけだからなぁ」
切り付けられりゃあそりゃ痛いし、焼かれりゃやけどになるし、川にでも沈められちゃえば息が苦しくて延々ともがくだろう。
俺達は死なない。それはただ肉体が死なないだけであって、感覚や感情から解放されたわけじゃない。
「ってことを、なんとアンタたちは結構ちゃんと理解している」
これはすごいことだ。すごいっていうか、あえりないことだ。だって東南の端の小さな狂気都市の滅亡なんて、もう何百年も前の話だ。そもそも、死なない人間が存在しているなんておとぎ話、もう誰も覚えちゃいない。
ドラゴンと同じ、もう誰も知らないおとぎ話。切っても焼いても沈めても、絶対に死なない不死身の人間の話。
そんなものを知っているのは物好きな老人か、それとも実際に死なない人間に関わったことがある奴らだけだ。
赤い髪の化け物の村がある、という情報を耳に挟んだときの俺の感想は『うっわー行きたくねー』だった。
いや行くよ。勿論行く。現にほら、俺はちゃんとたどり着いた。超えらい。
俺はあいつらを殺すために生きているし、そのために旅をしている。もうほとんど生きる目的なんてものはないから、正直他にやることもない。時間だけはたっぷりあるし、どんな小さな噂でも疑わしければ陸の孤島でも地の果てでも馳せ参じる。それが、俺がオズワとして背負っている業だ。
だから行きたくねーなと思っても、ちゃんと来た。
この小さな村を生かし続けているカミサマってやつを殺すために。
「先祖代々、領主さまはこの呪いを解くために、様々な手を尽くしておりました。しかし不死者を知る者も最近はほとんどおらず、呪いも色濃くなる一方だ。あなた様が死なずの者だと知った際、皆歓喜しました。これで――」
ひとに、もどれる。
そう聞こえた気がしたが、あまり性格のよろしくない俺は声を上げて笑いそうになり慌てて息を飲んで言葉を殺した。人の道を外れたのはアンタたちの意志でしょ? なんて正論をぶっかましても、俺の縛られた両手両足が自由になるわけじゃない。
「てーか俺なんかを尋問するより、さっさとカミサマ役の奴の口を割らせた方が早かったんじゃないの?」
それでも少しは口ごたえしたくなるのは、遠くから、あの声が聞こえてくるからだ。ロウワァートララハァ。俺が殺すべき、死なずのカミサマの、最後に残った唯一の声が。
「……気が付いた時には、遅かったと伺っております」
「あー……なるほど、さっさと人の言葉を失ったわけか。そりゃ、人に対する仕打ち以上のもんを受けたら、人であることを忘れるしかねーわな」
「礼は尽くした、と聞いております」
「礼を尽くしながら食ったの?」
「………………」
黙る。その影はピクリとも動かない。ただ、ゆらゆらとろうそくの炎だけが緩やかに揺れる。
「食事の前に天竜様に祈るみたいに祈ったの? 筋肉と内臓分けてくれてありがとうこれで村人が飢えずに済みますって祈ったの? 祈りながら食ったの? 祈りながら肉を切り取ったの? 礼儀正しく苦痛を与えたの?」
「貧しい村です。極寒の村です。土地も痩せ、作物も満足に育たない。先に肉を差し出したのは、ロウワァートララハァ様の方からだと、口伝では……」
「まあ、惚れた人間でもいりゃあそういう事もあるかもしんないけどね。目のまえで飢えて死ぬのを見るくらいなら、自分の肉を食ってくれって言う奴だっているだろう。でもまさか、『自分の肉を糧に村を存続させてくれ』なんて望んだわけじゃあるまいよ」
「…………始まりがどうあれ、私達はロウワァートララハァ様に生かされている。そしてその呪いを受けている」
「奇形児と早死に。それと、髪が赤くなる呪い」
「その通り。私達は呪いを解きたい」
「肉を食わなければいい」
「それはできない。我々はもう、この場所でしか生きていけない。ならば食らうしかありません。どうすれば、人と同じになれるのか。あなたは知っているのでしょう。……私が尋問役に選ばれたのは、単に領主さまと懇意だから、というだけではありません。私は以前中央で薬学を学んでおりました。その時に、東南の街に様々な薬草を発見し効能を説いた人物がいることを知りました。もう滅びたその街の名は《テレーズ》。そしてその人物の名は、オズワルド・ヨシュ・テレーズ。……腕のいい絵師だったのでしょう。あなたの似顔絵は非常によく描けていました」
「ちょっとなんだそれ初耳だよ。本? 新聞? 誰かの日記? なんでもいいけどちょっと燃やしにいかなきゃいけない案件じゃないの、次の目的地を設定してくれてどうもありがとう! でも残念だ、オズワルドはもう居ない。俺の名前はオズワだ。そんでオズワって男は見た目のわりに嫌な奴でさぁー。アンタたちの愚かな呪いを解いてやるような、優しさは持ち合わせてないんだよ」
沈黙。今度はさっきよりも、重くて長い。
特定の色の髪の集団がいる、と聞いた時、俺は一番嫌な想像をする。赤でも、青でも、紫でも。そういう『通常考えられないような色』の特徴が髪や目や爪に出ている奴らは、たいていは通常考えられないようなものを食べていることが多いからだ。
死なずの人間の生き残りは、何も、人生謳歌しまくってる奴らばかりじゃない。
死なずであることを隠し、人気のない場所に引きこもるもの。
定期的に居場所を移しながら生きるもの。
まあ、大概がこの二パターンなわけだけど、中には正体がばれちまってその特性を利用されちまう哀れな奴もいる。
テレーズという馬鹿な街は戦争をした。死なずの人間の『死なない』という特徴をシンプルに武器とした。
そしてこの貧しい人でなしの村は、『すぐに肉が再生する』という特徴に目をつけ、ただ一人の人間を村の食糧備蓄とした。
……たまにある。驚くことに、レアケースじゃない。そして不死者を定期的に食っている人間は、なぜか外見に『色』の特徴が出る。これは不死者を生かすために紐づけされたドラゴンの色に干渉されてんじゃないかなーってのが俺の見解だけど、結局のところ理由は不明だ。
ぶっちゃけると、人が不死者の肉に干渉されんのは色だけだ。
早死にとか奇形児とかは単純に『集落が閉ざされているために近親婚を繰り返しているからじゃね?』と思う。が、これはたしか中央よりももっと学問が発達した南の都市で聞きかじった知識だ。
この村は不死者食いという秘密を抱えているがために、村を閉ざしてきた。
いくら無限に増える肉があるとはいえ、閉ざした村で補える栄養は少ないだろう。閉ざしているが故、無限に増える肉がある故に、他のものをすべて捨ててしまっているのだ。
……自業自得だ、と、吐き捨てはしない。俺にはそんな権利はない。不死者を助けてやろうというつもりもないし、そもそも殺すために探している。俺にはそんな感傷はない。俺はガタガが言う程優しくはないし、ガタガが言う程強くもない。
ただ、外でやきもきと空を眺めているだろう相棒が、おかしな妄想に捕らわれて俺との約束を忘れないか、と不安に思い始めているだけだ。
俺は優しくも強くもないけど、ガタガは優しすぎて強すぎるから。
俺が不死者への憐憫や村人への憤慨から口を割るつもりがない、と考えているらしい男は、黙って次の手を考えているようだ。
いや、別にアドバイスしてやってもいいけど、俺がペロッとこうしたらいいですよって言ってそのあと素直に解放してくれんの? って言ったら否でしょそれは、と思うのよ。
だって、呪いを解く方法がわかったら、目の前の俺は単純に食料二号でしかないでしょうよ。
過去の過ちではなく、現在進行形で肉を食っているこいつらが、きっちり安全になった食料を見逃すとは思えないじゃないの。
……うーんどっかで土砂災害とか火事とかおきないかな。そしたらこう、混乱に乗じて……と思ったけど、なんとこのご立派な地下室には四人も見張りがいる。
どうせ死なないんだから無理矢理骨を外して腕をどうにか引きちぎって拘束を解いてもいいけど、いやーそのあとどうやって逃げんの俺って話だし。死なないし再生するっつっても、一瞬でギャンッて元通りになるわけでもない。身体がもとに戻るまでに、どうせ捕まっちまうだろう。
時間はたっぷりある、という以外、実のところ俺は非力だ。そもそも、騎士とか剣士とか格闘家でもない。ただの薬学者なんだから非力だってしかたない、そうでしょ? うん。
はー。……いや、どうしようかな、ほんと。
どんな拷問にも口を割らない自信はあるけど、なんとこの地下室から颯爽と脱出する自信はあまりない。全員殺すくらいの気合があればどうにかなるだろうが、俺はできれば殺したくない。
この村の人間は不死者を食っているけど、それは罪かと言われたらうーん、と首を傾げる。
夕飯に出された肉が何かなんて、どうせほとんどの人間が知らないんだろう。アレのちゃんとした名前だって、憶えていないくらいなのだから。
さて、困った。
……と、何度めかわからないため息をつきそうになった時だった。
パチパチと爆ぜる音が聞こえた。
次いで、ざわつく人の声。
なんぞ、と思っているうちに今度は焦げた臭いと熱風を感じる。――火事だ。
この建物が、燃えている。
「……いやいやいやいや」
慌てたように飛び出す男たちを見送ってから、半笑いで天井を見る。貧しい村にレンガやら切り出した石なんてモンはない。家の材料はすべて腐りそうな古い木だ。
いやいや。いやいやいやいや、ちょっと、ねえ、マジか。マジかよガタガ。いやさ、そりゃ俺は、『マジの最悪』だけは避けてほしいと願っていたけどさ。これは一応、俺にとってのマジの最悪じゃないけどさ。
「もっと、他にやり方あんでしょ……!」
馬鹿、と怒鳴った声の後に、焼け落ちた天井から炎が一気に降って来た。
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