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結晶カズラとキトワンナ
あー。死ぬのか。
そっか私死ぬのか。
短いとは言い難い十七年だったけれど、街の大人たちからしてみればひどく短い一生だろう。
こんなに早く逝ってしまうなんて、天竜さまはどうしてこんなに若い子供の命を引いてしまったのか。どうしてキトワンナは結晶カズラの谷になんか行ったのか。誰か止めなかったのか、あの谷は毒だらけの死の谷なのに――。
口々に嘆きながら鼻を啜る大人たちの幻想が見える。先月、下級生のライアンが川に流された時と、きっと同じ光景が広がるのだ。同級生は泣くだろうか。ウソ泣きくらいはするかもしれない。彼女たちはとても頭がいいから、きっと一番の親友みたいな顔で泣いてみせることだろう。
そこまで妄想したら、なんだか急にどうでもよくなった。
私が人里離れた峠でひっそりと死んでも、きっと世界は変わらないし、みんなの生活は変わらない。私の家族が少しだけ、本当に悲しむだけだ。
じわり、とした痛みはすっかり熱で麻痺している。私の足に絡まる結晶カズラはキラキラと麗しい。どんなにキレイでも、結晶カズラには触れないこと。すぐに絡みついてキラキラ光るガラスのような蔦に捕らわれ、必ず死ぬ毒が身体に回るから。
死はもっと痛くて冷たいものだと思っていた。けれど身体は妙に熱くて、どろりとした熱気が肌の上を滑る。
熱いなぁ、と思う。
もうすべてがどうでもよくなっている私は、うまく思考することもできない。ただその時の単純な感情が通り過ぎるだけだ。
熱いなぁ。結晶カズラキレイだなぁ。一度思い切り踏みしめてみたいなぁ。どうせ死ぬならこの上で踊りたかったなぁ。足を踏み外して転落して結晶カズラにどーん、だなんて、流石私だ、なんてダサい死因なのだろう。それにしても熱いなぁ。なんだか甘い匂いもする。ていうかアレは何だろう。ついに頭もぼやけてきたのかもしれない。だってアレは――。
「わあ、やっぱりヒトだ。うっそ、まずいね、うーんまずい。これは死にそうだねちょっと……おーいちょっとガタガ! ガタガってば! 無視するんじゃないよおたんこトカゲ!」
しゃくしゃく、と音がする。
そのたびにキラキラと、結晶カズラが欠けて光る。
もう宵の口なのに、うっすら発光している透明な蔦。それを無造作に踏みしめる、音がする。
いやいやいや。そんなわけないでしょキトワンナ。あたまがぼけーっとしていてついに幻覚を見ているんだよキトワンナ。疲れてんのよっていうか死にそうなんだよキトワンナ。
結晶カズラの野原を、鋼の鎧もナシに歩く人間だなんて、居るわけがないんだから。
「聞こえてんだろ、おたんこ! トカゲ!」
「……聞こえているよ、おひとよしのうすのろ人間。妙なあだ名を楽しくつけるのはやめてくれと、何度言ったら理解する?」
「フランクかつ頑固なのが俺の良いところでしょ? ほらほら降りて、そんでこの子を助けてやって」
早くしないと死んじゃうから。
その人は、確かにそう言った。まるで私の命が助かる未来があるかのような言い方だった。
ちょっと馬鹿なのかもしれない。結晶カズラの群生地を歩く馬鹿なのだもの。だからその毒が、不治の毒である事も知らないのだろう。あと半時もすれば、この人も足から爛れて熱い毒に膝を付くはずだ。
誰だか知らないけれど、でも、最後に一人じゃないのは素敵な事なのかもしれない。死は思ったよりも冷たくないけれど、それでも少しくらいは寂しいと思ったから。
「――ああ、まったく、きみはいつでも我儘ばかりだ」
ため息が落ちてくる。比喩ではなく、私の真上から落ちてくる。
ばさりと風が吹いて、甘い匂いが消える。
「フランクかつ頑固で我儘なのがチャームポイントよ」
「言ってろ人間。きみに付き合えるのは私だけだよ」
うはは、と笑う。笑ったのは目の前の男だろうか。場違いな笑い声を聞きながら、私の意識は、闇の中にすうっと落ちた。
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