2人が本棚に入れています
本棚に追加
「結婚とは並々ならぬ努力と才能、選ばれし者のみができる崇高なる儀式、形態と呼んでもいいだろう。先生も物凄く努力したが結局出来なかった。皆は結婚できるように日々の努力を怠ることのないように」
またいつもの台詞だ。ことある事に口癖のように言う。たしかこの先生の年齢は50代前半くらいだったはず。内縁の奥さんもいて子供も3人いるらしい。
「まただよー。結婚絶対主義ってやつ? 今はそこまで無理する必要もないっていう世の中の流れを知らないのかな」
隣の席の友達がこそこそと話しかけてきた。比較的仲が良く、彼女の両親も結婚していないということを聞いたことがある。
「昔の人はやっぱり憧れるんだろうね。まあ、色々と保証が大きいし人の見る目が全然違うし仕方ないよ」
「おーい。授業中私語をするようなやつは結婚免許はとれないぞ」
注意されてしまった。チラリと隣の友達の方を見ると、ごめん、と言う口の動きを見せた。
「先生、質問いいですか?」
「なんだ相原」
「では、もし免許もってる人が……もし仮に私が免許をもっていたとして、私語したらどうなるんですか?」
「それはもちろん免許剥奪だな。結婚免許を持っている人はそれに見合う言動をしなければならない」
「免許取った後もそんなに厳しいんですか?」
「今のは冗談だ」
ハハハと笑っている。それに反して私含めクラス全員白けた空気だ。まったく面白くない冗談である。
私の両親も結婚していない。内縁の状態である。というか、このクラスに結婚している親がいるのかどうか。恐らくはいないだろう。子供の頃から英才教育を受けた、選ばれし者しかできないとさえ言われている。私、相原夢愛はごくごく普通の家で生まれ育っているわけだが、絶対に結婚して皆が羨む最高の人生を過ごしてやろうと常々思っていた。
「皆も知っての通り結婚免許甲種、乙種、丙種とあるわけだが、一番難易度の低い丙種すらも大変に困難だ。その最上位の甲種は、選ばれし中のさらに選ばれし者しか受からないのではっきり言って狙う必要はない。取得できる可能性が一番高い丙種で充分だからな」
ここは先生の意見に同意で丙種しか狙っていない。甲種は甲種同士、乙種は乙種同士といった具合に同ランク間でしか結婚できないというのもなかなかこの試験制度の厳しい部分だ。ちなみに甲種は代々政治家や財閥、由緒正しき血筋の選ばれし方々くらいでしか聞いたことがないので、実際に会ったことはない。街中で芸能人に合うことよりも珍しいのではないか。
授業が終わり、いつも通学路にしている堤防をいつも通りに歩く。今日は雲一つないとても良い天気だ。
ふと、何かカードのようなものが地面に落ちていることに気付いた。少し近付いて見てみると住所が書いてある。何かの身分証とか免許証だろうか。
手に取り表面を見てみると名前と顔写真があった。名前の欄には池田亜美奈と書かれており、その横に記載されている生年月日を見ると同い年であることがわかった。そして何よりその顔写真がとても美人なことに驚いた。整った綺麗な顔で大人っぽい雰囲気、とても同い年には見えない。
「えええー!」
思わず声を上げてしまった。周りに人がいなかったか確認するが幸い誰もいないようだ。よく見るとカードには『結婚免許証・丙種』と書かれていた。生で結婚免許証を見るのは初めてだ。いや、そんなことよりも同い年で、すでに結婚免許証を持っている子がいるとは。そしてそんな子がこの近所にいるとは。
再度当たりを見回してみるが、特に人影はなかった。落としてから結構経つのだろうか。人が誰もいないということで警察に届けるしかないのか。と思っていると、ふと、少し先の方に見える橋の下の広場のベンチに誰かが座っているのが見えた。もしかしてこの身分証の子ではないのか、と思い歩みを早める。
近付くと、制服姿の女の子であることがわかったが、この位置だと顔が見えず、免許証の子か今一つ確信が持てない。あまり近付いて違ったら怪しい人みたいで恥ずかしいことになるがもう少しだけ。
気配を感じたのか座っている女の子がいきなり振り返ってきた。完全に目があってしまった。ただ、そのおかげで身分証の子であることがわかった。本物は写真以上に本当に美人で、こんな子が近所にいてなんで今まで知らなかったのか、噂すらも聞いたことがなかったのが疑問だ。とりあえず話しかけてみる。
「あのー」
「はい? 私に何か?」
「この免許証落としました?」
座っている彼女の近くまで行き手渡す。なんか良い匂いがする。香水だろうか。
「ああ、いつの間に。どうもありがとう」
特に驚く素振りもなく彼女はそのまま受け取った。そんな大事なもの落としていたと分かっても顔色一つ変えない様子にこちらの方が驚いてしまう。
「初めて結婚免許証見ました! もういつでも結婚できるんですね!」
少し興奮気味に話しかける私とは裏腹に、彼女は冷めた表情、目つきをしている。
「別に私は結婚したいとか思わない」
「そうなんですね。でも高校生ですでに免許持ちは凄いです」
「たしかに一番ランクの低い丙種だけど免許を取るのは大変だった。でもそれだけかな。親が決めた結婚相手が超エリートの乙種持ちだから、丙種じゃダメなんだ」
やはりお金持ちのお嬢様というわけか。まあ、そりゃそうだよね。
「大変なんですね。結婚して幸せな人生を過ごしたいと思ってましたが、そういう悩みもあるんだなぁと思いました」
「結婚したいの?」
「もちろんです!」
「即答だね」
そう言って初めて少し笑顔を見せた。笑うとやっと同年代なんだなと思う。物凄く可愛くて何故か一瞬どきりとしてしまった。
「……あなた結構可愛い顔してるね」
「あ、え……え……? あ、あの、ありがとうございます!」
彼女からのまったく予期せぬ言葉に咄嗟に言葉が出てこなかった。一瞬自分の心が読まれたかと思ってしまった。ちなみに男子から告白されたことなど一度もない。どこが可愛いと思ったのか不思議である。
「池田さんの方こそ、物凄く美人で……結婚相手が羨ましいです!」
思わず免許証で見た名前を言ってしまった。いきなり名前を呼んでしまったことで驚かせてしまったかと思ったが、驚く素振りはまったくなく、彼女から突然笑顔が消えた。名前を呼んだせいなのか……それとも他に何か気に障ることを言ってしまったのか。せっかく良い感じだったのにまずい。
「ねえ、突然だけど変なこと言っていい?」
池田さんが真面目な表情のまま聞いてきた。
「なんでしょうか?」
「ここで出会ったのも何かの縁ということで、私達付き合わない?」
どういうこと。どういう意味。全然意味がわからないけど、いわゆる愛の告白って意味の付き合う……?
「あのー……えーと……」
全然返す言葉が浮かばなかった。
「実は私、女の子の方が好きなんだよね」
「ほんとですか!?」
「冗談だけどね」
先程までの真面目な表情はなく口元は薄っすらと笑っていた。しかしただの冗談という感じには思えない言い方だったのが少し気になる。
「さて、と。そろそろ行くね。あなたと話して少し元気でた」
ベンチから立ち上がるとこちらへ向き直る。
「そう言えばあなたの名前聞いてなかった」
「あ、私は相原夢愛って言います。高校2年です」
「同学年だったんだね。私の名前はご存知だと思うけど池田亜美奈。相原さん、ありがとう」
そう言うと背を向けて歩き出した。そんな彼女を何故か見えなくなるまで見続けてしまった。彼女が振り返ることは一度もなかったが。
次の日、学校の友達数人に池田亜美奈の名前を出してみたが知っている人はいなかった。同学年ならば小学校や中学校で同じ学校だったという人がいてもおかしくはないと思っていたがそう簡単にはいかないようだ。
普通に考えれば最近引っ越してきたというところだろうが、彼女の場合は学校に通っていなかったというパターンもありえる。免許を取るのは大変で、まだ上を目指さないといけないということで家庭教師などによる自宅での英才教育も現実味がある。
また会いたいなと思いながらも、1週間、1ヶ月と過ぎていく毎に徐々にその思いも薄くなってしまっていた。免許証に記載されていた住所はだいたい覚えているが、わざわざ行くというのもなんとなく気が引ける。
本当にそんな女の子がいたのか、想像の中の産物だったのではないかとさえ思ってしまう。
そんな普通の日常に戻っていこうとしていた矢先、いつもの通学路を歩いていると、彼女と初めて出会ったあの場所、橋の下のベンチの側で彼女が立っているのが見えた。
しかし前と違うのは、その側に一人の男が立っていた。遠くから見てもスタイルが良いのがわかり、着ている服もお洒落でまるでモデルのようである。きっともしかして、もしかしなくても、前に言っていた結婚相手ではないだろうか。話しかけたくてもさすがにこの状況で話しかけに行く勇気はない。
それでもバレないように草むらや物陰からこっそりと近付いていき、ぎりぎり会話が聞こえるくらいまで来れた。
「だからさぁ、何度も言ってるけど早く乙種取ってくれよ。俺に恥かかせるなよ」
聞こえてきた会話はいきなり物騒だ。喧嘩……というより一方的に彼女が言われているようである。
「聞いてるか? 返事ぐらいしろよ! 最近特に生意気な態度だよな」
男が池田さんの肩を強く押した。バランスを崩した池田さんは地面へとしゃがみ込んでしまった。結婚相手に、しかも女子高生に手を上げるなんて許せない。
「まあいいわ。先にお前の家に行ってるから」
それを言うと男はしゃがみこんでいる池田さんに手を差し伸べることなくその場を立ち去った。池田さんはゆっくりと立ち上がりスカートについた砂埃を払っている。
「あの……ごめん……。盗み聞きしちゃった」
少し迷ったがせっかく再開できた池田さんに話しかけたいという欲望が勝り話しかけてしまった。私の姿を見たとたん池田さんは一瞬驚きの表情を浮かべたが、またすぐに元に戻った。
「かっこ悪いところを見られちゃったね」
「誰ですか、あの男。あれが結婚相手ですか?」
「そうだよ。見た目はカッコいいでしょ?」
「ほんとにあんな男でいいんですか?」
「いいかどうかは考えたことないかな。親が決めたことだから」
今なら最初に会った時に結婚したいと思わないと言っていた彼女の気持ちがとてもわかる。冷めた表情をしていたのも間違いなくあの男のせいだ。
「このまま親の言いなりになってあの男と結婚して人生終わらせるんですか?」
「うーん……まあきっとそうなるのかな。仕方ないよ」
「そんなのダメです。私が許しません」
「なにそれ」
池田さんはいきなり笑い出した。笑いのツボに入ったのかこんなに笑ってる姿は初めて見た。
「相原さんってほんとに面白いね」
ちゃんと名前を覚えてくれていたことがとても嬉しい。
「また元気貰っちゃった。ありがとうね。またここに来たら会えるかな?」
「私の通学路なんで! いつでも会えます!」
「じゃあ元気でないときはここに来るね、またね」
そう言うと軽く手を振った後に少し急ぎ気味で歩き出した。あの男がいる家に帰るのだろうか。そう思うと苛立ちが心の奥底から湧いてくる感じがしてくる。
何か私に出来ることはないのだろうか。何をしてもお節介になるかもしれない。それでも黙っていることもできない。やり場のない怒りに、無意識にポケットに入っていた携帯電話を握りしめていた。
その日から通学路を歩くときは橋の下のベンチに誰かいないかと今まで以上に気にしながら通り過ぎた。気にしなくても誰かいれば当然気付くわけだが、つい必要以上に目がいってしまうのだ。
そしてまた1週間、2週間と過ぎた頃、とうとう彼女の姿をまたいつもの橋の下で発見した。離れていてもわかる。しかし、前回と同じく男の姿もそこにはあった。
今度は前回とは違い、こっそりではなく堂々と二人に近付く。
「亜美奈ー! 久しぶり!」
「あ、え、相原さん……」
突然のテンションに少し戸惑っているようだ。それとも男がいるからだろうか。少しでも親しい感じを出すためにわざと名前で呼んでみた。
「へー、亜美奈に友達なんていたんだ」
男が小ばかにするような半笑いの表情を浮かべて池田さんへ話しかけた。
「ねえ、前に言ってた亜美奈の結婚相手の方?」
「あ、うん、そうだけど」
「初めまして! すごいイケメンで驚きました! 羨ましい!」
「おっ、亜美奈と違って見る目あるね! こいつ全然俺に懐かなくてさ、お友達からもなんか言ってあげてよ」
「こんなカッコいい人と結婚できたら幸せなのにー! まあでも暴力振るったり偉そうにしてる男は論外ですけどね」
男の表情が一変した。
「は? 何言ってるの? 俺のこと?」
「はい! あなた以外誰がいますか?」
「てめぇ、女だからって容赦しないぞ。ぶっ殺すぞ」
「怖いですねーそうやっていつも池田さんのこと脅してるんですか? 暴力でしか解決できないんですか?」
怒りに寄るものなのか、男の握られた拳が小刻みに震えている。
「こいつは黙って俺の言うこと聞いてりゃいいんだよ。俺はエリートなの。俺の役に立てれば生きてる価値があるってもんだろ」
「あなたは本当に最低な人ですね」
「こいつの前だけだからいいんだよ。イケメンで優しくて思いやりがあるような理想の旦那様を常に演じるのは疲れるわけよ」
「じゃあ、池田さんの気持ちとかは考えたことなんてないですよね?」
「当然。俺が考える必要はないからね」
「そっかぁ……」
胸ポケットから携帯電話を取り出す。
「今までの会話、すべて録音してましたので」
「はっ? おい、おまえ! マジでぶっ殺す!」
「結婚免許のある者はそれに見合う言動をしなければならない。著しく逸脱した場合は剥奪の可能性もある、という規定だということを調べたんですが、合ってますか? 今までの言動は著しく逸脱してると思うんですが。あと、実は通話中です。どうぞお話ください」
本気で殴りかかってくるような勢いで迫ってきたが、携帯電話を差し出すと、訝し気な表情をしながらも乱暴に奪い取り、相手と話し始めた。話してすぐに男の表情が青ざめていくのがわかる。
「え、相原さん、誰と繋がってるの?」
「勝手にやってごめんなさい。前に免許証見た時の住所、実は覚えてて……つい最近、池田さんのお母さんにこっそり会いに行ったんだ。話してみたらすごい池田さん思いで、結婚相手がそんな酷いやつだとは思わなかったって。でも普段はとても温厚で信じられない部分もあるっていうことで、実際に聞いてもらった方が早いなと思って」
「くそっくそっ! お前なんなんだよ! こんなことしてお前に何の得があるんだよ」
通話を終えた男がそう言うと携帯電話を地面に投げつけた。
「私のなんですけど。壊れたら弁償してくださいね」
投げつけられた携帯電話を拾う。とりあえず壊れてはいないようだ。
「別に損とか得とか、そういう問題ではなく……えーと……私、池田さんと付き合ってるので」
「は? なんだそれ……意味わかんねぇ女同士で付き合うってなに? ふざけるのもいい加減にしろよ。あーもうくそっ!」
男はぶつぶつ言いながらその辺に転がっている空き缶などを手当たり次第に蹴り飛ばしながら歩き出し、そのうち見えなくなった。正直怖かったが自分も池田さんも怪我することなく終わり本当に良かった。
「……相原さん、助けてくれてありがとう」
「いやー、知り合ったばかりの自分がこんなことしていいか悩んだけど……前に話した時の池田さんの表情が……今の状況を望んでいるようには見えなかったから」
一瞬の沈黙が当たりを包む。池田さんの表情からはいまいち感情が読み取れない。
「ねえ、さっきのセリフのことだけど」
池田さんがポツリと呟く。
「なんのことですか?」
「私達って付き合ってたの?」
「あ、それは……なぜか咄嗟に頭に浮かんでしまったというか……」
「何それ。普通いきなりそんなこと浮かばないよ」
声を出して池田さんが笑った。つられて笑ってしまう。冷静に考えるとたしかにありえないセリフだったなと自分でもおかしくなってしまった。
「これからどうします?」
「今は家には帰りたくないかな……少しどこかで寄り道しない?」
「いいですね! 行きましょ!」
ふと、クラスメートの女の子と遊ぶ時には感じないドキドキ感が自分の中で芽生えてることに気付く。うん、きっと池田さんが美人すぎるせいだな、美人は異性だけではなく同姓も虜にしてしまうのか……恐ろしい存在だ。
最初のコメントを投稿しよう!