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2:悪役令嬢と婚約者問題
この世界には貴族の子供が10歳になった年のクリスマスにデビュタントパーティーをする決まりがある。
いわゆる御披露目会でこれから貴族の一員として誇りを持って生きていくことを国王陛下に誓い、婚約者や親族とファーストダンスを踊る。というものだ。
しかも10最悪未満で婚約者がいる子供は極少数。ほとんどがこのデビュタントパーティーで相手を見つけ縁組みするらしい。だから貴族の子供は全員参加義務があり、自分をアピールしなければいけない。
だが、セリィナの存在ならばある噂のせいでほとんどの貴族が知っている。
“7歳のときに暴漢に襲われキズモノになった憐れな公爵家の末娘”
実際にはライルのおかげで体は無傷なのだが、噂は独り歩きし私は人には見せられない傷を追っていてみっともないからあまり人前に出てこない。と言われている。家族がどんなに否定しても公爵家の体裁を守るためだとしか思われておらず、一部の貴族からは公爵家の厄介者だと煙たがられているようだ。
だが、心の傷というか、他人とまともに顔を合わせられずに人間不信で怯え出す令嬢なんて確かに厄介者だろう。いくら三女で跡取りではないにしてもこれでは政略結婚の道具にすら難しい。
「デビュタントパーティー……行きたくない」
私はライルから差し出されたデビュタントパーティーの招待状を見て青ざめながら首を横に振った。
すっかり忘れていた。だってゲームのスタートは15歳の学園入学からなのでそれ以前の情報はほとんど無いに等しい。しかしよく考えればデビュタントは一人前の貴族になるためには避けて通れない道。ゲームの悪役令嬢もデビュタントパーティーには参加しているはずなのだ。
しかし私はたくさんの貴族の子供が集まるのを想像して気分が悪くなってきた。だって同い年ということは学園でも同学年。絶対ヒロインのまわりにいて悪役令嬢の悪口を言っていたあの生徒たちに決まっている。
最初は悪役令嬢の命令でヒロインをいじめていた同級生たちだが、ヒロインの優しさに心を入れ替えて途中からはヒロインの味方をする。そしてヒロインが公爵家の娘だとわかると悪役令嬢に「この卑しい偽物め」と石を投げてきたりするのだ。まだヒロインがどのルートを選ぶかわからないが、たしかどのルートでもこのシーンはあった。つまり将来私に石を投げ付けてくる輩たちと会うなんてほんとに嫌なんだけど!
「セリィナ様、気持ちはわかるけどデビュタントパーティーに参加しないのは貴族としてルール違反なのよ?」
私を諭すように優しく頭を撫でてくれるライル。
ここでワガママを言ってデビュタントパーティーに不参加なんてことになればそれこそ公爵家の看板に泥を塗る行為だ。きっと将来で悪役令嬢を蔑む言葉が増えることは間違いない。
しかも、今の私にはもちろんだが婚約者なんて存在しない。と言うことは、親族の異性……お父様にエスコートされて入場しファーストダンスを踊らねばならない。
お父様はどちらかというと寡黙で目付きも悪い。それだけならまだいいのだが、ゲームでの悪役令嬢の父親はヒロインを泣かせた罰だとか言って悪役令嬢をダーツの的にしようとする鬼畜なのだ!
寡黙だが家族思いの紳士と言われている父親の裏の顔は愛娘であるヒロインの為ならなんでもする鬼畜だとわかってしまってからは、父親を見るたびにゲームでの『お前のような卑しい者にこの家の娘を名乗らせるなんておぞましい』とか『この矢の先に毒を塗ってお前の顔面に命中させることが出来たならば、あの子の憂いも晴れるであろうに』とか嘲笑うように罵ってくる顔のドアップがリプレイされるのだ。
残酷さで言えば、たぶんこの父親の方がどの攻略対象者よりもレベルは上だろう。それなら誰か婚約者でもいた方がマシだったろうか。と考えてふと思った。
……悪役令嬢に婚約者って、いたよね?
よくある話なら悪役令嬢は大概が王子の婚約者なのだが≪えたぷり≫ではそれがない。だが悪役令嬢には確かに婚約者がいたはずだ。影が薄いし特に権力もないお飾りの婚約者だが、ゲームでの悪役令嬢の身にも例の誘拐事件はもちろん起きている。今の私ほど酷くは無いが中傷の噂もあり悪役令嬢の両親はそんな噂を立てられる悪役令嬢を恥ずかしいと心の中で思っていた。そんな悪役令嬢を引き取ってくれる奇特な婚約者……そうだ、伯爵令息だ!
表面上は悪役令嬢に一目ボレしたという伯爵令息の家から打診があり、三女で公爵家を継げない悪役令嬢には政略結婚などではなく愛されて結婚してほしい親心だという建前で婚約してるはずだ。今考えればその頃からすでに悪役令嬢を目の上のたん瘤扱いしてたのがよくわかるが、ゲームの悪役令嬢はそれが親の愛だと信じて疑わずにいた。
まぁ、その伯爵令息も最後はヒロインの取巻きのひとりになっていて悪役令嬢が殺される間際に『公爵家の娘でないお前になんかなんの価値もない』って婚約破棄されるんだけどね。
はっきりとはわからないけど、ゲームでの情報から逆算すればそろそろ伯爵家から打診があったはずだ。どうせ無理矢理婚約させられるならば、父親よりはその伯爵令息にエスコートされた方がいくらかマシかもしれない。
「あの、ライル。私って、婚約者とか……いるのかな?」
私に関する事は私よりライルの方がよく知っているのでそれとなく聞いて見ると、ライルはにーっこりと微笑み首を傾げた。
「あらやだ、セリィナ様に婚約者はいないわよ?どうして?」
なんだ、いないのか。てっきり裏で伯爵令息との婚約が決まってるものだと思っていたが……やっぱり元の悪役令嬢よりさらに悪い噂が立ってる私じゃ不良債権どころか欠陥品だものね。いくら公爵家に恩を売りたくても欠陥品と婚約は嫌だったのかな。どのみち婚約破棄するんだからいないならいないでいいのだけれど。どうやら私が悪役令嬢よりも出来が悪いから多少ゲームのストーリーから外れているようである。まぁ、悪役令嬢に婚約者がいてもいなくてもゲームの進行にはなんの支障もないのだろう。
「あの……エスコートの相手、お父様は……」
お父様にエスコートされるのは嫌だ。と言いたかったけど言葉に出来なかった。例え心の中で私を厄介者だと思っていても表面上は冷静に対応してくれている父親をはっきり拒否するのはやはりどうかとも思う。ヒロインが現れた後にダーツの的にされないためにも好印象を持ってもらっておいた方がいいに決まってるし。
でも将来あの厳つい顔でニヤニヤしながら悪役令嬢に向かってダーツを投げてくるのだと思うと血の気が引いた。
「あぁ、旦那様にエスコートされてファーストダンスを踊れるか不安なのね?それなら問題ないわよ」
ライルはそう言って私の前に片膝をつき手を差し出した。
「セリィナ様、どうかアタシにそのエスコート役を勤めさせていただけないかしら?」
「え、ライルがエスコートしてくれるの?」
「旦那様から許可ももらってるわ。セリィナ様が承諾してくれれば、だけどね」
私はいたずらっ子のようにウインクするライルの手を掴み、ぴょんと跳び跳ねる。
「嬉しい!ライルがエスコートしてくれるなら私がんばる!」
「うふふ、良かったわぁ」
抱きつく私を優しい手つきで撫でながらそのままひょいっと同じ目線まで抱き上げてくれた。いつも思うがライルは細身なのにかなり力持ちだと思う。この3年間いつもライルに抱っこされてるがだいぶ重くなってるはずなのに微塵も重そうな気配はみせないのだ。
「そうだわ、どうせならパーティー用に新しいドレスを作りましょうよ。アタシのお気に入りの店があるからきっとセリィナ様も気に入るわ。旦那様にはアタシから言っておくから」
「うん!」
こうして私はライルとお出かけの約束をし、さっきまでの憂鬱な気持ちを一掃できたのだった。
***
その夜、公爵家の家長であるアバーライン公爵の自室にひとりの老執事が音もなく姿を現した。
「旦那様、伯爵家より手紙が届いております」
厳つい顔をさらにしかめたアバーライン公爵は「内容は?」と聞き、老執事が中身を読み聞かせると隠すことなく不機嫌を露にした。
「……婚約の申し込みを断ったのを不服だと」
「そのようでございますね」
確かにセリィナは3年前に暴漢に襲われ誘拐されかけた。公爵家をよく思わない者がわざと悪い噂を流していることもわかっている。噂を流した大元はとっくに潰しているが(物理的に)独り歩きした噂をすべて消すのは困難だった。
そしてこの伯爵家は噂を鵜呑みにし、何を勘違いしたのか意気揚々と婚約を申し込んできた。表面上は息子が“セリィナに一目ボレしたから”らしいが、セリィナを公爵家の不良債権だと決めつけ厄介者を引き取ってやれば恩を売れると影で言っていることなどバレバレである。
確かにセリィナは心に深い傷を負っている。だがあまり人前に出さないのはあの子が人を怖がるからであって、決してセリィナの存在を恥ずかしいなどと思ったことはない。
むしろ逆!繊細なセリィナをこれ以上傷つけたくないからだ!あの子はそれはもう可愛くて可愛くて、とにかく可愛い末娘なんだ!それでなくても元々からこの厳つい顔のせいでセリィナはあまり甘えてきてくれなかったのに、あの事件の後からはさらに酷くなった。目を合わせれば泣かれ、顔を覗かせれば泣かれ、声をかければ真っ青になって逃げられ……もう死にたい。
アバーライン公爵は「ワシはセリィナに嫌われたらもう生きていけない!」と眉根にシワを寄せた。
「セリィナお嬢様にならとっくに嫌われておいででは?」
「ひどい!」
ちなみにこの老執事はアバーライン公爵が生まれる前から勤めている執事でアバーライン公爵家の生き字引(年齢不詳)。現アバーライン公爵のオムツも変えたことがある。なのでふたりきりのときはこうやって軽口を叩いたりしても公爵が気にすることはなかった。
「ロナウドだって、セリィナに避けられてるじゃないか!」
「真っ青になって逃げられたりはしておりません。旦那様よりはマシです」
「ひどい!」
家族や人前では厳格なイメージを崩さないように気を張っているが、老執事ことロナウドの前でだけはこうやって気を使わずに泣き言を言っているアバーライン公爵だが、今回ばかりは泣き言だけで終われないでいた。
「……ところで旦那様、この伯爵家はどうなさるおつもりで?」
ロナウドの言葉に我に返ったアバーライン公爵は咳払いをしてから、再び厳格な表情へと顔の筋肉を引き締める。
「そうだな、セリィナをキズモノ扱いし利用しようとした罪は許されるものではない……」
「旦那様、この老人から些細な意見を申し上げてもよろしいでしょうか?」
「なんだ?」
ロナウドは朗らかな老紳士だ。実はゲームではその無害そうな笑みを浮かべながら悪役令嬢に毒を吐くのでセリィナはつい近寄らないようにしているのだが、このロナウドはセリィナのことを自分の孫のように可愛がっていた。
それはそれはもう、例のセリィナを襲ったゴロツキを尋問する役目に真っ先に立候補し、これ以上ないくらい残虐非道な目に合わせて生きたまま獣のエサにし、その光景をにこにことして見ているのに目が笑ってなくて一緒にいる者が倒れそうになるほどの殺気を漂わせるくらいにはセリィナを溺愛しているのだ。
いつもならセリィナに悪意を向ける輩などがいたらその刃がセリィナに届く前に消し去っているのに、あの時だけはなぜか反応が遅れてしまった。ほんの一瞬の出来事だったしセリィナは無事に助け出されたが、それは後悔と言う名の大きな痼となって今もロナウドの心にズシリとのし掛かっていた。
だからこそ、2度目はあってはならない。
今度こそセリィナを守るためならば、悪魔に魂を売ることも厭わないだろう。
ロナウドはとってもいい笑顔で親指を立てた。
「もう、やっちゃいましょう」
そしてアバーライン公爵も最上の笑顔で返事をしたのだ。
「よし、やっちゃうかぁ!」
ふたりとも笑顔だが、ただならぬ殺気を溢れさせる。
本当ならこんな小物など相手にするほどでもないのだが、なにぶんセリィナ絡みとなれば話は別だ。それに……
アバーライン公爵は別にデビュタントパーティーのエスコート役をライルに取られたからって八つ当たりしようとかなんて思っていない。
断じて思っていない。
ロナウドも、エスコート役が執事でもいいなら幼い頃よりお世話していた自分でもありなんじゃ?なんて考えていないし、それをいくらセリィナの恩人とはいえ新人執事に取られたからって悔しいなんて思っていない。
そう、断じて思っていない。
八つ当たりに最適。という生贄を手にいれたふたりはその夜遅くまでどちらがセリィナとの思い出が多いかを語り合った。
数日後、どこぞの伯爵家が消えた。しかしその理由を詮索するような命知らずはいなかったそうだ。
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