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4:悪役令嬢とヒロイン出現
今日はライルと約束した新しいドレスを作りに行く日だ。
ライルはいつもと代わらぬ態度で私の支度をすると「ちょっとだけ待っててね」と隣の部屋へ消えていく。
ライルが部屋へと入っていったのを確認して私はがっくりと膝をついた。
やってしまった――――!
私にはいまだに自分ではどうにも出来ない癖がある。
前世の記憶を思い出しライルと出会ったあの日、私が泣きじゃくりライルにしがみついて離れなかったと言う話を覚えているだろうか?ライルにくっついていると守られてるって感じがすごくてあの安心感が忘れられないのだ。そのせいか、私は例の悪夢を見て不安にかられるとついライルの顔を見に隣の部屋に忍び込んでしまうのだ。
最初の頃はそれこそガッツリライルの寝床に潜り込み抱きついて寝るなんて所業をやってしまっていたが、徐々に落ち着いてくると精神年齢17歳の私があまりの恥ずかしさに悶え死にそうなってしまい最近は忍び込んでも気持ちが落ち着いたらすぐ自分の部屋に戻るようにしてたのに……。いや、おねぇとは言え男性の部屋に忍び込む事じたいがすでにアウトだとはわかっているが、恐怖で混乱したセリィナにとってライルは精神安定剤として刷り込まれてしまったのでもうどうしようもない。
あれだ、生まれたてのヒヨコが初めて見た相手を親だと思い込む的なあれだ。本能ってやつだ。
しかし久々にやってしまった。ちょっとだけのつもりが毛布の中に入ってそのまま朝まで寝てしまうなんていくら見た目が10歳とはいえこれではもはや痴女じゃないか。
昔ライルが「セリィナ様は御令嬢なんだから、執事と一緒に寝るのはいささか問題が……」と戒めてくれた時に「だってライルの側は落ち着くんだもん!」と無邪気に返事した幼いセリィナが憎い。あの時ちゃんと冷静にその意味を考えていれば現在こんな失態をしなくても良かったのに!しかもライルは私に気を使ってソファで寝てたみたいだし、申し訳なさが半端ない。
とにかく謝ろう。さっきは恥ずかしすぎて顔が見れなかったがちゃんと謝って今後は気を付けるようにしないといつか嫌われてしまう。ライルに嫌われたら、セリィナの精神は一貫の終わりだ。
「待たせてごめんなさいね、セリィナ様。どうしたの?」
「ラ、ライル……あの、ごめ――――って、うわぁ!きれい!!」
「あら、嬉しいわ。ありがとう」
目の前にはまさに美の結晶がいる。鮮やかな紅色をしたマーメイドスタイルのワンピースを着たライルはそんじょそこらの美女なんか足元にも及ばないくらいの絶世の美女だった。
着ているワンピースもけっして派手な形ではなくシンプルなものだし、身に付けているアクセサリーも控えめな物ばかりなのにライルはひときわ輝いて見える。
「ライルはやっぱり美人だわ!初めて会ったときも綺麗なお姉さんだと思ったけど今のライルなら女神様も嫉妬するわね!」
ちょっとスレンダーだけどそれがまたしつこくない色気を醸し出しているのよ。あれ、そういえば胸はどうしたんだろう?
私が大きすぎず小さすぎない理想の形をしたライルのバストに思わず視線を向ける。(はっ!もしや豊胸しゅじゅ……)するとライルは「あら、気になるのぉ?」といたずらっ子のようにウインクした。
「オンナは秘密がある方がミステリアスでいいでしょ?」
「うん、わかった!」
とにかく似合ってるから、なんでもいいや!
普段執事服ばかりなのでついテンションが上がってしまったが、ライルの私服はだいたい女性物だ。おねぇたるもの身だしなみはちゃんとしないといけないらしい。まぁ、執事服のライルも色気があってきれいだけどね!
そんな感じでライルに昨夜の事を謝ろうとしてたのをすっかり忘れて私はライルと仲良くお買い物にいったのだった。
***
公爵家の馬車に乗り、目的のお店まで街並みを見ながら進んだ。
なんだかんだと引きこもり気味は私はあまり外に行かないので久々の外出を楽しんでいた。馬車の中から覗くくらいなら他の人に絡まれることもないし、なによりライルがいるから。
だからか、ちょっとだけ気が緩んでいたのだ。
普段なら絶対ライルが外を確認してからじゃないと馬車から出たりしないのに。それなのに。
お店の前についた途端、なぜか私はそうしなくてはいけない気がして馬車から飛び出した。
「危ないわ!」
ライルの声にはっと我に返った時にはもう遅かった。
私はなぜか今日に限って鍵の緩んでいた馬車の扉を勢いよく開け、次の瞬間には誰かにぶつかり転げ落ちていたのだ。
「いたた……ご、ごめんなさ……い……」
そのぶつかった誰かに謝罪しようと顔をあげ、私は絶句した。
そこにいたのは、私と同じ髪色と同じ色の瞳をした同じ年頃の少女。でも同じなのは色合いだけでその姿は誰からも愛されるような儚げで可愛らしい顔立ちをした少女だった。
「も、申し訳ありません。公爵家の馬車を見かけて、つい近くで見たくなって――――」
“ヒロインだ”
直感的にそう思った。
「セリィナ様、怪我は……大変、こんなに震えて顔色も悪いわ。
あの、お嬢さんも怪我はないかしら?」
言葉を失い震える私を支えながらライルが相手の少女に謝罪をする。
どうしてここにヒロインが?ゲームで悪役令嬢とヒロインが出会うのは15歳になって学園に通いだしてからのはずなのに……。
「いえ、こんなのかすり傷ですから……あ、痛いっ」
少女が少し擦れて赤くなった手を庇うようにおさえた。
「いけないわ、ちゃんと手当てしないと。お嬢さんはどこのお家の方かしら?とにかくお屋敷に――――」
ぎゅっ。
その少女を馬車に乗せようとしたライルの服の裾を思わず掴む。
たぶん私は酷い顔をしていただろうに、ライルは一瞬驚いた顔をしたが何も言わずに私の手を包むように握ってくれた。
「そうね、お屋敷に行くよりもお医者様に見てもらいましょう。セリィナ様はお店で待っていてちょうだい」
「う、うん……」
するとライルは店の主人に事情を説明し私を奥の部屋へと案内させると少女を連れて歩きだした。
「え、歩いて行くのですか?」
「この近くにとても有能なお医者様がいらっしゃるのよ。でも道が狭いから馬車では通れないのですわ」
「あ、いえ、でも、お医者様に見せるほどでは……お屋敷で手当てしてくださればい「あらぁ、いけませんわ。もしも傷が残ったら大変ですものぉ。さぁ、行きましょうね」えぇぇぇぇ……」
ライルはずるずると引きずるように少女を連れていく。
少女が「やはり馬車に――――」とか「せめて公爵令嬢に挨拶を――――」とか「これじゃ予定とちが――――」などと叫んでいるのがわずかに聞こえた。
「……もう見えなくなりましたよ。ご気分はどうですか?」
私があの少女を気にしてたのに気付いた店の主人が窓の外を覗いてから私にお茶を出してくれた。ライルがお気に入りだと言うこの店の主人は少しふくよかな体型をした優しそうな中年女性だ。前世の世界観で当てはめるなら昔ながらの商店街にありそうな食堂のおばちゃんをかなり上品にした感じだろうか。
「……あ、あの……」
優しそうだと思うし、実際顔色の悪い私を気遣ってくれている。ライルもこの人を信用しているからこそ私を預けたのだとわかってる。
でも、ゲーム画面のどこかにいた気がした。
きっとこの人も私を――――。そう思ったらまっすぐ顔を見れなかった。しかしそんな私を見て怪訝な顔をすることなくにこやかに微笑んでいる。
「うふふ、わたくしのことはお気になさらずに。気分が落ち着くお茶ですから、それを飲んでゆっくりなさっててくださいな」
そう言って部屋から出ていってしまった。
「……美味しい」
温かいお茶をひと口飲んで少しだけ緊張がほどける。さっきは心構えもなく突然にヒロインと遭遇してしまったからかなり混乱してしまったかもしれない。
もしあのままヒロインが馬車に乗ったり公爵家の屋敷に来たりしたらきっと家族は本当の娘であるヒロインに気付くだろう。または気付くキッカケになっていたはずだ。
それにさっきの、私の不自然な行動。落ち着いて考えればおかしすぎる。
そう、きっとあれは――――ゲームの強制力だ。
私がどんなに注意していても、ゲームのストーリーを進行するために必要不可欠な出来事は絶対に避けられないようになっているのではないか。そう思えてならなかった。
***
ライルはさっきのセリィナの事を考えていた。
セリィナの行動がいつもと違っていたのが気になる。
確かに今日は少しはしゃいでいたが、普段から常になにかに怯えてとても慎重に行動するの子なのに、なぜかあの時だけは異常に無防備な行動をしたからだ。そしてこの少女を見た時のあの反応――――。
ライルは自分の隣を不満気な顔で歩くセリィナと同じ髪色をした少女に静かに視線を向けた。
プラチナブロンドの髪色も翠玉色の瞳も貴族にはよくある色だし、そんなに珍しいことはない。ただ、その少女からはなんとも妙な違和感を感じるのだ。
セリィナのあの絶望的な顔を見てしまったからには、この少女をセリィナに近づけてはならない。ライルの中でそう何かが警鐘を鳴らす。
「あなたはあの公爵令嬢とはどんなご関係なんですか?」
少女が突然ライルの腕をぐいっと引っ張った。
「……あら、どうかいたしまして?」
セリィナは庶民の間でも有名人だ。3年前の事件はまさに庶民たちの賑わう祭りの真っ只中で行われたし目撃者も多かった。なによりこの街の人間たちが慕う公爵家の大切な末娘だ。セリィナがあの事件以来、人を怖がっていると知ってもそれを悪く言う者などこの街にはいない。だが一部の貴族は公爵家を妬んだり逆恨みしてセリィナのことを面白がって悪く言っているが。
この少女が「あの公爵令嬢」と言ったときの目を見れば、セリィナにどんな感情を持ってるかなんてすぐにわかった。
「あなた、あの公爵令嬢に顎でこきつかわれているのでしょう?」
「……」
「わたしにはわかるの。だってあの公爵令嬢はキズモノだから、綺麗な人を妬んで酷いことをするのよ。だからわたしがあなたを助けてあげるわ」
ライルが言葉を発しないのは自分の発言に感動していると思ったらしい少女は興奮気味に続けた。今のライルの目がどんなに冷えきっているかなんて気づきもしないでいる。
「あなたみたいに綺麗な人見たことない……わたしね、綺麗な物が大好きなの!わたしの物になってくれたらとっても大切にしてあげるわ!」
幼い頃のセリィナに言われたことがある。
『ライルの側にいる時だけは、安心していられるの。きっとライルがすっごく綺麗だからね!』
今のセリィナはもう覚えてないかもしれないが、自分が実は男で下町の飲み屋で働いているなんて知られたら公爵令嬢なんて地位のある人間からはすぐに嫌がられると思っていた。でもライルのそんな不安は一瞬で消える。
あのお嬢様はライルの全てを「キレイだ」と認めてくれるのだ。
「あなたは本当に綺麗だわ。そうだ、男装の麗人になってわたしの側にいてくれればきっと誰もが羨むわ――――」
うっとりとした顔でライルの髪に手を伸ばそうとした少女の腕を少しきつめに掴む。セリィナがお気に入りのこの髪に触れられるのがなぜかとてつもなく嫌だった。
「痛い!なにをす……」
「つきましたわよ、お医者様の所」
少女がライルの手を振り払うとライルはにっこりと笑顔を見せこじんまりとした下町の医師の家を指差した。
「な、なによここ……こんな汚いところ病院ですらないじゃない!」
「あら、ここのドクターは庶民的だけどとても有能な方でしてよ。もちろん診察料とケガをさせた慰謝料はお支払するので安心して診てもらってくださいな」
「あ、あんたねぇ……!」
ライルの失礼な言い方に少女は怒りで顔を歪ませる。普段であればもちろんこんな態度などしないが、ライルはすでに嫌悪感でいっぱいだった。
「なんだ、騒がしいな」
家の前の騒動に主であるドクターが顔を出す。白髪に白髭のいたって平凡な老人が白衣を着て姿を現す。
「ごめんなさい、ドクター。怪我人をお連れしたので見ていただけるかしら?」
「ん、お前さんか……。怪我人とはそこのお嬢さんかい?」
ドクターが深いシワの刻まれた手を少女に向かって出すと、少女は怒りの表情のままその手を避けた。
「触らないでよ!そんなヨボヨボのヤブ医者なんかに診られるのなんかごめんだわ!もういい!あとで後悔しても知らないんだから!」
一気に吐き捨てるように叫ぶと、そのまま走って消えてしまった。
「……ずいぶん元気な怪我人じゃな。あれなら問題ないじゃろう」
「そのようね。せっかく最高位のお医者様の所へ案内したのに……」
ライルがため息混じりにそう呟くと、ドクターは白髭を撫でながらニヤリと笑う。
「なぁに、今は確かに下町のヤブ医者じゃよ」
なにを隠そうこの老人、10年前まで王家専属の医師団を纏めていたロイヤルドクターの称号を持つ者でこの国の医者にとって雲の上の存在である。弟子が有能に育ったのと高齢であることを理由に引退し今は下町でひっそりと医者をやっているが退職金をたんまりもらったからと庶民たちからほとんど金をとることはなくいつでも気軽に診療してくれるおじいちゃん先生として馴染んでいた。だが庶民は無料で診ても貴族を診療することは滅多になく、一部の貴族が自分たちの専属医師になって欲しいと血眼になって探しているような人物なのだった。
ライルは昔ちょっとしたことで知り合ってからこの老人をとても信頼している。
「元気にやっているようで安心したわい。また色気が増したようだのぉ」
「あらやだ、誉めてもなんにもでないわよぉ」
ライルが訳有りで下町で働いていた頃の事をよく知っているこの老人は、ライルの秘密を知り理解している数少ない人物だ。
「今日は急にごめんなさいね。そろそろセリィナ様の所へ戻らなくちゃ」
「いつでも来なさい。そのうちお前さんの大切なお嬢様を紹介してくれると嬉しいんじゃがな」
そう言って再び白髭を撫でた老人にライルは「ふふ、そのうちね」とウインクし、急いでセリィナの待つ店へと戻るのだった。
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