179人が本棚に入れています
本棚に追加
8:おねぇ執事の秘密(ライル視点)
「私の執事になって!」
その可愛らしい少女のたったひと言によって、こんなにも自分の運命が変わってしまうことになるなんて思いもしなかった。
***
当時10歳だったボクは、血の繋がらない祖母と下町の貧困層で暮らしていた。
もちろん血の繋がっているはずの本当の家族も存在するのだが、ボクにとって家族と言えるのはその祖母だけだ。
「おばあちゃん、大丈夫?」
「わたしは大丈夫……。ライル、今は我慢しなければいけないけれどいつかきっと幸せになれるから、信じなさい……」
そう言って古びた指輪をひとつ取り出すと、「お守りだよ」と言って見たことのない変わった模様が彫られたその指輪をボクに握らせた。
その頃、祖母は体を壊し寝込んでいることが多かった。それまでの生活は祖母のささやかな貯金と近所の大人の手伝いをしてわずかな食料をわけてもらってなんとかしのいでいたが、この貧困層ではみんなギリギリの生活をしているので余裕がないときは雨水を啜って過ごしたこともある。
この街は公爵家の領地でとても豊かだ。公爵家の人達は庶民にも優しくて人気があり、比較的治安も良いとされている。だがそれは目に見えるほんの一角で、貴族の目の届かない場所は酷いものだった。
その頃のボクは貴族が嫌いだった。それは自分の本当の親に関わりがあることで、今なら他の貴族が全てそうではないとわかっているがその時はそれが全てだったからだ。
だから、公爵家が顔を出すお祭りを見に行くこともなかったし、貴族という人種に期待をすることもなかった。
ボクが祖母と一緒にフラリとやって来て住み着いた見慣れない子供だと言うこともあったが、この濁ったような赤い色をした髪のせいで下町ですらボクを嫌う人は多い。だからボクも自分の見た目が大嫌いだった。もちろん友達なんか出来なかったし、誰にも相談など出来ずに日毎に弱っていく祖母の姿を見守るだけだった。
そんなある日、祖母の容態が急変する。お金なんかなかったのでボクは家にあった最後の食料を持って最近下町へやって来たという医者のもとへ走った。
結果だけ言えば、祖母は助からなかった。
医者のおじいさんはちゃんと来てくれたし、祖母を診察してくれたがもう手遅れだったのだ。
祖母は消え入りそうな声でおじいさんに何かを頼んで、眠るように逝ってしまった。
「ライルと言ったな……。お前さんこれからどうするつもりじゃ?なんなら儂の所に来なさい」
祖母が死んでしまいひとりになったボクはそれからしばらくそのおじいさんの家に引き取られることになった。
おじいさんはそれなりに有名な医者だったらしく毎日色んな人が受診を求めてやって来たが、下町の人たちからお金は取らないし、たまにやってくる貴族の使いっぽい人たちは追い返していた。そんなのでどうやって生活してるのか聞いたら「昔の蓄えがあるからの」と笑うだけだった。
それから2年間、ボクはおじいさんから祖母に代わる愛情と生きる術を学びながら過ごしたのだ。
12歳になった時、独り立ちしようと決意した。しかしボクの年齢と見た目でまともに働く場所も見つからず途方にくれている時に酔っぱらいに絡まれてしまう。
かなり酔っているのか「気持ちわりぃ髪をしやがって、不気味なガキだ!」と突然殴られた。そしてボクの顔を舐め回すように見るとニヤリといやらしい笑みを浮かべてボクの腕を掴んだのだ。
「よく見たらきれぇな顔してやがる。どうせ男娼だろう、いくら欲し「消えな!うすぎたねぇ豚野郎がぁ!」ぶふぇっ?!!」
連れ去られそうになった瞬間、酔っぱらいは路地の奥へと吹っ飛んでいった。ボクの目の前ではピンクのスカートがひらりと舞い、赤いハイヒールが見えた。
「君、大丈夫ぅ?」
「は、はい……」
酔っぱらいを回し蹴りで吹っ飛ばしたその人物はピンクのドレスを身に纏い顎にうっすらも髭を生やした大柄の男で……下町にある“オカマバー”の店主だったのだ。
それからボクは店主に事情を話すと気に入られたらしくそのオカマバーで働くことになった。
オカマバーと言っても従業員である“おねぇ”さんたちがドレスを着て歌やダンスと食事を客に提供するだけの健全な仕事だと説明されたが、渋るおじいさんからは「15歳になるまで接客はしないこと」と条件つきで許可をもらえた。
ボクの仕事は掃除や洗濯、それに料理。従業員の“おねぇ”さん達のメイクやドレスの着付けに“おねぇ”さんたちの連れ子(母親が病死していたり、事情があって引き取ったりと色々だが)の子守りなど、裏方の仕事はあらかた出来るようになった。裏方なので給料は少なかったが、お店に住み込みで働かせて貰えたし食事もちゃんと食べれたので衣食住に困ることはなかった。
おかげで体力と筋肉もついたし今では片手で子供を抱き上げながら荷物を運ぶことも楽勝だ。
おじいさんも時折お店に顔を出してボクの様子を見に来てくれていた。
そしてボクが14歳の時、1年後の接客デビューに向けて特訓も始まった。
「まずは口調からよ!“おねぇ”たるもの言葉遣いは美しく!」
店主の厳しい特訓により、“ボク”は“アタシ”として生まれ変わることになったのだ。
1年かけてすっかり“おねぇ”さんらしくなった“アタシ”は、ピンクのドレスに身を包みとうとう接客デビューするのだが……。
ずっと裏方仕事だったせいかいざ表舞台に出ようとしたら緊張から気分が悪くなってしまい、お披露目のダンスをする前に少しだけ心を落ち着かせようと先に休憩をもらいお店の外に出た。
そして見てしまったのだ。ゴロツキたちに拐われ泣いている女の子の姿を。
“アタシ”は無我夢中で走りだし、気がついたら店主直伝の回し蹴りで暴漢を吹っ飛ばしていた。
その女の子がまさか公爵家の令嬢だったことにも驚いたが、執事にスカウトされたのにはもっと驚いた。
結局オカマバーは接客デビューすることなく辞めてセリィナ様の執事になったが、執事教育は大変だった。特に執事長であるロナウドさんから受けた特訓は暗殺者でも育てる気なんだろうか?と思う程のものであったが、どれも全てセリィナ様を守るためなのだと体の芯に叩き込まれたのも、今ではいい思い出だ。
公爵家はこの濁ったような赤い髪でも差別なく受け入れてくれる。使用人たちにとって髪色など些細なことであり、大切なのはセリィナ様が笑顔でいるかどうかなのだ。もちろんそれはセリィナ様の家族も同じで旦那様から「セリィナを頼む」と頭を下げられた時は驚いた。
貴族が、それも公爵家の当主が娘のために使用人に頭を下げるなんて思いもしなかったから。
まぁ、“アタシ”が“おねぇ”だからセリィナ様を安心して任せられる……みたいなことも言っていたからそこは笑顔で誤魔化しておいたけれど。
だって、もうその時には絶対にセリィナ様の側にいたいって決めていたから。後から理由をつけて離れさせられるなんてごめんだ。
セリィナ様のためなら、執事や女装や男装もなんでもやる。
「私、ライルのこと大好き!」
「あら、うれしいわ。アタシもセリィナ様のこと大好きよ」
なによりも、この可愛らしい笑顔を独占できる特権を手離したりしない。
***
セリィナ様と初めて出会ってからもうすぐ8年。7歳の幼い子供だったセリィナ様も今年で15歳になりもう立派なレディだ。いまだにベッドに潜り込んでくる癖はどうにかしてもらわないといけないなと思うけれど、恥ずかしそうに頭を抱えて「本能に逆らえない……!」となにやら悩んでいる様子のセリィナ様も可愛らしいので強く言えないでいる自分もいる。それもこれも、“アタシ”が“おねぇ”だから危険も感じずにいるのだろうけれど……。
あの1年の特訓のせいですっかり体に染み着いてしまったおねぇ言葉や仕草を今さら治すのは無理だしなぁ。とオカマバーの店主から餞別にもらった簡単女装セットの手入れをしながらライルはクスッと笑った。
ちなみにこの8年間で、セリィナに集る害虫を叩きのめした数は数えきれない程である。とだけ言っておこう。
最初のコメントを投稿しよう!