5人が本棚に入れています
本棚に追加
/4ページ
土曜日になって、和也は指定された居酒屋の前で優馬を待機していた。
「ごめん和也、買い物していたら遅れた」
五分ほど経って、優馬が和也の前に姿を現した。優馬はよそ行きのかしこまった格好をしている。
「大丈夫。それよりごめんな。急に誘っちゃって」
「問題ないよ。じゃあ、入っちゃおうか」
二人は予約していた居酒屋へ入り、個室に案内される。座るなり、二人はメガネをかけた店員に生ビールを二つと枝豆を注文した。
「それにしても顔を見せ合うのは久々だよな。前に優馬と会ったのはいつだったっけ?」
「えっと、多分半年くらい経つと思うよ」
「そっか。もう半年も経っちゃったのか。なんかお前、ちょっと大人っぽくなったな」
和也が優馬の身なりを見て言った。
「そうかな? 僕は特に変わった事はないけど。それより、急に誘ってきたってことは、何か話のネタがあるの?」
「まあな。ちょっと聞いてほしいことがあってな」
「分かった。愚痴だ」
「正解。いやあ、参っちゃったんだよ」
「あ、お待たせいたしました」
先ほども現れた『木村』と書かれたネームプレートをつけた店員が、琥珀色のアルコールを持ってきたので、二人はとりあえず乾杯をして喉を鳴らして飲む。
「それで、参ったって何が参ったの?」
「実は俺、一年間付き合っている彼女にプロポーズしたんだよ」
「彼女さんって、和也が絶対に写真を見せてくれない、本当にいるかどうか分からない彼女さん?」
「ああ、その彼女さんだ」
「それで、上手くいったの?」
和也はそうであってほしいと願ったが、現実は異なる。
「いいや。ダメだって拒否されちゃったんだ。事情があるからだって」
和也は話して生まれたむかつきを、アルコールで揉み消す。
「へえ。前に会ったときは仲が良いって聞いていたけど。やっぱり結婚って難しいんだね」
「どうだろうな。彼女は家族とか仕事のことを気にしていたけど、それを乗り越えるだけの力があると思ったんだだよ、俺は」
「愛の力ってやつね」
優馬は楽しそうに聴きながら、一気に飲んでグラスを空っぽにする。
「それで和也は、僕に残念なお知らせをしたくて誘ってきたんだ」
「まあ、愚痴だよな。正直、どうして断られたのか分からないんだ。だから余計にもどかしさが俺を覆い尽くして、イライラさせるんだ」
「でも、結婚は人生においての一大イベントだからね。その彼女さんも慎重になるよね」
「そういうものか。俺はちょっと楽観的だったのかな」
「いや、和也は別に楽観的ではないよ。僕に比べたらさ」
「は? どういうこと?」
和也はその話の続きを聞きたがったが、優馬は乱雑に呼び出しボタンを押し、先ほど来た木村という名の店員に「ビールもう一本くださいな」と赤らめた顔で言った。
「おい、優馬。どういうことだよ」
「実は僕、明日プロポーズするんだ」
「プロポーズ? お前が?」
和也の記憶の中では、優馬が付き合っている話など耳にもしたことがなかった。
「優馬、そもそもお前誰かと付き合っていたのか?」
すると、優馬は何かを思い出したように、手をポンと叩く。
「そうか。最後に和也と会った後に付き合い始めたから、和也には言ってなかったのか」
「いや、なんでそんな大事な話を言わないんだよ」
思わず、和也は突っ込んでしまう。
「ごめん。話すタイミングが無かったんだ」
「まあいいや。でも、俺と最後に会った後に付き合い始めたってことは、その彼女さんとは半年も付き合っていないのに、さすがにプロポーズは早いだろう」
しかし、優馬は「大丈夫だよ」と、和也に向かってグーサインを出す。
「マイさんはすでに僕の虜になっているんだ。僕が買った指輪、ハメたらきっと似合うんだろうなあ。めっちゃ可愛い顔しているんだ。彼女と付き合えるなんて、神が僕の味方をしてくれたんだろうなって思うよ」
「へえ。お前の彼女さん、マイさんって言うんだ」
和也はあまりに聞き覚えのある名前に引っかかり、変に反応してしまう。
「そうそう。あれ、たしか和也の彼女さんの名前もマイさんだっけ?」
「まあ、珍しい名前じゃないからな。名前が被っても変ではないけどさ。それで、どんな顔しているんだ?」
「いや、それはずるいよ。和也も見せてくれないと僕も見せることはできないね」
和也は自分だけの麻衣を、あまり他の人には見せびらかしたくなかった。ただ、本能が脳を刺激しているのか、目の前にいる『めっちゃ可愛い顔』をしている優馬の彼女も気になってしまう。
「まあ、優馬は昔からの友人だからな。見せてもいいか」
「そうこなくっちゃ。じゃあ、ちょっと写真探すから待ってて」
「俺もとっておきのやつ見せてやるよ」
二人はスマートフォンで彼女の写真を探し、共にニヤつく。
「優馬、これは度肝を抜かれるぞ」
「和也こそ、僕に嫉妬しちゃうかもね」
「じゃあ、行くぞ!」
せーの。そして二人が一斉に見せ合った女性は、全く同じ顔をしていた。
「え?」
「は?」
どちらもしばらく声が出ず、視線をゆっくりとお互いの顔へ向ける。
「優馬、お前」
「いや、まさか和也さんの彼女って、麻衣さんだったの?」
「嘘だろう、嘘だろう!?」
だから了承しなかったのか。和也の中でパズルのピースがピタッとハマった気がして、気持ちが一気に荒波に飲まれて沈んでいった。
「いや、僕を責めないでね。僕は知らなかったんだから。悪いのは麻衣さんだからね」
「そんなことは分かってる。分かっているけど、いや、マジかよ」
和也は今すぐにでも泣き出したい気分だった。しかし、浮気相手の目の前で泣くほど惨めな行為はない。
「おい、優馬。お前明日プロポーズするって言っていたよな?」
「言ったけど」
「その気持ち、今でも変わらねえのか?」
優馬は少しだけ考えて、「変わらないかな」とあっさり答える。
「だって、麻衣さんは和也のことが嫌になって僕と付き合ったんでしょう? なら、僕は別に気分を害することはないし、それに僕は麻衣さんのことが好きなんだ。指輪だって買ってあるんだ。和也が何を言おうとも、僕は明日麻衣さんに告白するよ」
それは、和也のメンタルを尽く破壊して、今まで積み上げてきた愛の力を踏みにじるものだった。ただ、和也は麻衣の反応が見てみたかった。そこで全てが分かる。見たくもない結末だが、和也は自分自身の手でけじめをつける必要があった。
「分かったよ。告白するのは好きにすればいい。ただ、その告白、俺も立ち会わせてもらう」
「え? なんで?」
優馬が不思議な顔をするので、和也は「当たり前だろ」と叱責する。
「もともとは俺の彼女なんだ。俺だって無関係じゃない。お前たちがどうなるか、その瞬間を見る権利はあるはずだ」
本当にそんな権利があるのかは定かではなかったが、和也の要求を優馬は飲んだ。
「分かったよ。僕は明日、横浜の赤レンガ倉庫で告白をするんだ。夜の八時ごろにそのあたりで待機していてよ。近くに着いたら連絡を入れるから。でも絶対にバレないように、身を潜めておいてね」
「分かった」
その後、和也はやけくそになってたくさんの酒を注文した。そして、お酒を持ってきてくれる木村さんにダル絡みをする。
「お前、彼女いないだろう! そんな見た目をしているぞ!」
和也の乱暴な言葉に、木村さんはただ苦笑いをするだけだった。和也はすでに、大人としての理性を完全に崩壊させていた。
「やめろよ和也。すみません」
「いえいえ」
木村さんは頭を下げてどこかへ行ってしまう。
「なんだよあいつ」
結局、和也は深夜まで飲み明かして、何もかもがどうでも良くなって馬鹿騒ぎした。
最初のコメントを投稿しよう!