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昭和94年の女たち
「赤ちゃん、まだ?」
──何度目だろう、この質問。数えるのも面倒になってきた。
「うん、いないよ」と、すっかり慣れた営業スマイルで私は返した。
「ええっ? 急いだ方がいいよ。アタシらもう、30なんだから」
質問者の美玖は、白目がほとんど隠れたひじきみたいな睫毛を揺らした。バシバシ音が鳴りそうな盛りっぷりだ。
……ツケマに頼っていると、将来目元が垂れるよ?
「ホント、産める内に産んどかないとねぇ」
スマホを構えた晴も、横からずいっと割り込む。ギラギラしたアイシャドウと痛みきった金髪が、目に刺さりそうだった。
……不自然な色味だ。バレバレの白髪染め。
頼んでもないのに晴が見せてきたのは、子どもの写真だ。『千と千尋の神隠し』に出演してそうな、糸目で丸っこい赤ちゃん。
「晴に似てるねぇ」
「でしょ? 別れた旦那に似なくてよかったぁ」
思ったままを呟いただけなのに、晴は体をもじもじさせた。
実際、私の記憶が正しければ、すっぴんの晴とよく似た顔だった。
晴の夫は不倫したらしい。一方、晴自身も恋愛に奔放な人間だった。この同窓会の会場で、彼女の「元彼」は両手に収まりきらない位いるだろう。
大して親しくなかった私でも知っている、この学年の「一般常識」だ。
晴の息子は気の毒だな。両親どちらに似ても、波瀾万丈な人生を送りそうだから。
「もう少し大きくなったら、思いきりお洒落させてあげるんだぁ」
「いいなぁ、晴のところは女の子で。ウチは男の子だからなぁ」
「でも、美玖に似て美少年じゃん。将来絶対モテるでしょ?」
……晴の子は女の子だったのか! ごめん、男の子にしか見えなかったよ。
美玖も写真を見せびらかし、「ウチの子自慢大会」が始まった。
バイキング形式なのは有り難かった。料理を取りに行く口実を作り、私は席を立った。
出会う同級生の誰もが、私に「変わらないね」と言う。
報告した訳でもないのに、「結婚おめでとう」と祝ってくれる。
田舎の情報網は、光回線よりも怖ろしい。ありがたさよりも、気色悪さの方が勝ってしまう。
そして、女子のほとんどが口にする、「赤ちゃん、まだ?」
──「まだ」って何?
赤の他人が、私の子どもをどうするというのか。例え授かったとして、あんたらの跡継ぎになる訳じゃないのに。
会場を見回した。中学時代の同級生たちは、歳相応の顔を浮かべていた。
男子は、チャラくなったり、おっさんになったり。かつてキャーキャーいわれた学年一のモテ男は、スキンヘッドになっていた。当時のモテオーラは、どこにも感じられない。
女子は、ほとんどがケバケバしていた。「そういう店」で働いてそうな人もいる。
どれだけ顔を塗りたくっても、髪色を変えても、誰だか分かってしまうのは皮肉な話だ。
かつて注目を浴びた学年一のボスなんて、一回りは老けて見える。痛々しいな、かつての栄光は見る影もない。
「変わらないね」という人の方が「変わっていない」ことに、いつ気づくのだろうか。
居心地が悪かった。一番の親友だった莉音は、欠席していた。
大して交流のなかった人と食事や会話をしても、楽しくない。久々に莉音と会いたかったのに。せめて声が聞きたい。
莉音はきっと、「変わらないね」なんて間抜けなことは言わない。
「赤ちゃん、まだ?」ともほざかないだろう。他人の感情に敏感な子だもの。
明治民法では、結婚した女性が夫の籍に入ることや、戸主に従うこと、自分の財産を持たない代わりに庇護を受けること。それと──出産と育児をすることが、義務づけられていたらしい。あの時代に生まれなくてよかった。
ところが、戦後に法律は撤廃されたのに、周囲から「赤ちゃん、まだ?」は消えてくれない。田舎のこういうところ、面倒くさいな。あんたら戦前ですか?
令和元年になったのに。
私の周囲は「昭和94年」を生きているらしい。
あんたらこそ、「変わらないね」。お願いだから、今の時代を生きてよ。
★
『久しぶりぃ! 盛り上がった?』
電話越しの陽気な声。同窓会が終わってすぐ、莉音の方から連絡をくれたのだ。
テレパシーか? とうきうきしながら、私は会話をつないだ。成人式以来の、親友の声。
バレー部のエースだった莉音は、高校卒業後に、実業団チームに入っていた。しかし、そこで知り合った男子チームの一人と恋に落ち、授かり婚の末、引退したのだ。長男を産んだとき、彼女は19歳だったという。
「成人式のとき、あの子は1歳だったっけ? もう、小学校の高学年かぁ」
『ホント、早いねぇ。チビたちは1年と3年だから、まだまだ大変よ……』
あの後、さらに2人の男の子を産んだらしい。「手がかかる」とグチる莉音は、少し弾む声だった。
すごいな、毎日かなり忙しいのだろう。
『で、そっちも結婚したんでしょ? おめでとう! 返信できなくてごめん! 毎日バタバタでさ……』
「ありがとう。全然気にしてないよ! よかった、元気そうで」
やっぱり、莉音と話すのは楽しい。構えなくても、どんどん言葉が出てくる。私の心はすっかり弾んだ。
『……でさ。赤ちゃん、まだ?』
弾んだ心が一気に固まった。
──え? 今の台詞、莉音が言ったの?
「……うん、子どもはいないよ」
『ええっ? 結婚して何年?』
「2年だけど」
『旦那さんと、上手くいってないの? ”夜の営み”は?』
──固まった心が凍りついた。
今、何をほざいた? 誰よ、この無礼者は。
「そういう訳じゃないけど……」
『急いだ方がいいよ。アタシらもう、30なんだから』
──美玖と打ち合わせでもしたのか、「この女」は。
凍った心が崩れた感覚だった。相手の話す内容なんて、頭に入らなかった。適当に相づちを打つ。
『久々に話せて、楽しかったぁ。変わってなくて、安心した』
トドメの一言をぶつけられた。放心のまま、通話は終了。
がっかりだ。莉音も「昭和94年」の住民だったなんて。
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