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 過ちに気づくのが早いに越したことはない。それが早かろうが遅かろうが、味わう衝撃は同じだからだ。それなら、無駄にする時間は少ないにかぎる。  結婚生活に希望を見出した多香江は次の日の夜、そのことを痛感していた。  日曜日の昼間、幸一は終日外出するのが日課だった。  行き先は知らない。なにか用でもあるのか、それとも単純に家にいづらいだけなのかはわからないし、多香江自身も夫がどこに出かけるのか、それほど興味はなかった。  だが、この日の多香江にとって幸一のこの行動は好都合だった。  彼女は夫の不在に乗じて、家の用事を次々に片付けると(とはいえ掃除は前日に幸一が大概のことを済ませてしまったので、身のまわりを整理整頓したり、普段は手が回らない場所をきれいにする程度だったが)、夕飯の買い出しに出かけ、ふたり分の食材を手にして家へと戻った。  この日の献立は事前にインターネットで作り方を調べた煮込みハンバーグで、これなら料理の苦手な多香江にもできそうだった。手ごねした生地の表面を軽く焼き、小さな鍋の中でソースと一緒に煮込むだけだからだ。  まだ恋人同士だった頃、幸一の誕生日に一度だけハンバーグを焼いたことがある。塩の分量を間違えたせいでひどく喉が渇くしろものができたが、彼は〝味つけがしっかりしてる〟と言ってきれいに平らげてくれた。  そんな思い出を振り返っているうち、市販のハヤシライスのルウで代用したソースがいい香りを漂わせてきた。  いつの間にか、多香江の口元にも笑みが浮かんでいた。  昼下がりに始めた夕飯の支度は、多香江が不馴れなこともあり完成がすっかり遅くなってしまった。  幸一はまだ帰ってきておらず、多香江はいつもどおりひとりで夕飯を食べ始めた。  料理をしたあとの心地よい疲れも手伝い、久しぶりの自炊の成果はまずまずに思えた。既製品から作ったソースは深みとコクに欠け(これは多香江の舌が、日常的に高額な料金に見合った外食や惣菜に馴れてしまっているのも大いに影響していた)、全体的に平板な味付けになってしまったものの、添え物の根菜やブロッコリーはホクホクとしていて、ハンバーグそのものにもじっくりと火が通っていた。  ささやかな満足感と達成感を味わった多香江は、片付けを終えるとそのまま寝支度を整えた。  寝室に入る前、キッチンの暗がりに佇む冷蔵庫を振り返った。ドアの部分には幸一に宛てた夕飯のメモが貼ってある。中に入れたハンバーグのことを思い浮かべると、多香江の口元にはふたたび笑みが浮かんでいた。  同時に夕食で満たされていたはずの胃袋が空っぽに感じられ、その中を一匹の蝶がひらひらと飛んでいるような気さえした。そしてこの言い回しを教えてくれたのが、ほかならぬ幸一であることも思い出していた。
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