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杏子は火を吹く勢いで口を開き、しかし撫子の顔を見るや否や目を丸くする。
「デコっち、また痩せたんじゃない……?」
撫子は杏子の手を振り払う。
「……もう構わないでって言ったよね」
撫子は振り絞るように、何とか声を出した。
聞いて、杏子はダンッと足を鳴らす。
「なんでよ?!ウチら親友ぢゃん!タケちゃんも心配してたよ?」
撫子は杏子の目を見る。撫子の瞳がうっすらと煌めく。メガネは既に意味を成していなかった。撫子は杏子を“観て”しまう。撫子の瞳に“観えているもの”は想像を絶するもの。撫子は吐きそうになり、口元を手でおおう。
杏子は泣きそうな顔で言う。
「ウチがなにかした?言ってくんなきゃわかんないよ!デコっちがツラいときくらい、力にならせてよ!」
目に涙をためて熱く迫る杏子。
しかし撫子の瞳に写る杏子は、その言葉と真逆の態度・言動だった。撫子の瞳と髪の毛が煌めき、髪の毛は風になびいたように揺れる。撫子の瞳は杏子の本心を“観る”。
『消えろ……』
撫子の“観る”杏子は撫子の首を両手で掴む。
撫子の“観る”杏子の顔は影になっていて、表情が読み取れない。ただ、杏子が狂おしいほど自分を怨んでいるのが分かる。この感情の起源に撫子は心当たりがない。
『消えろ。』
『消えろ。』
段々と力が強くなっていく。
『消えてしまえ。』
『あんたさえ居なければ!』
『居なくなれ!!』
その言葉に、現実の杏子の言葉が重なる。
『居なくなれ!』
撫子は絶叫。辺りに金切り声が響く。
「あ゛ああ゛ああうるさいうるさいうるさい!!!!」
杏子はビックリして後ずさる。
「デ、デコッち……?!」
杏子は撫子に触ろうとする。
「触るな!!!」
撫子は叫ぶ。
カアッと足の先から頭の天辺に血流が巡る。
撫子の瞳、髪の毛から稲妻のようなギザギザの光が漏れる。
撫子と杏子の間の空間がグニャリと渦を巻き、飴色に色付くと、飴細工のように柔らかく広がり、飴色で半透明な壁となって出現する。
杏子は撫子に触れようとするが、その飴色の壁に遮られる。
「え……?」
杏子にはこの飴色が見えていない。
撫子は一ヶ月前、人の心が“観える”ようになった。だがそれだけではなかった。撫子は身の危険があるときや感情が高ぶったとき、どういうわけか、今のように“飴色の壁”を出現させることがあった。
撫子は“妖怪”と呼称する得たいの知れないものが見えるようになったと同時に、得たいの知れない力を持ってしまったのだ。
撫子は立ちくらみを起こし、頭を押さえる。飴色の壁は空間に溶けるように広がり、直ぐに消えてなくなった。
撫子は通学バッグを落としてしまうが、そんなこと関係なく、その場から駆けて逃げる。杏子の声は撫子の耳に入らないし、入っていたとしても、撫子は振り向かなかった。
撫子は夢中で走る。途中で何度も転び、砂にまみれ、擦り傷をいくつも作る。
「(もういやだ!)」
撫子は走る。
「(もういやだ!!)」
撫子は限界だった。
一ヶ月前はこんなこと思わなかったし、こんな気持ちも知らなかった。撫子は一ヶ月前に戻りたいと思った。一ヶ月前の、家族がいて、親友とも他愛もない話ができていた、美しい世界に戻りたいと思った。この瞳や髪の毛だって、元々は……。
何もかもが変わってしまった、
撫子の瞳に写る世界は醜く歪み、撫子自身も醜くなってしまったのだ。撫子は“自身は人間では無くなったのだ”と思っていた。もう駄目だ。
世界は変わってしまった。人は醜いものだと知ってしまった。自分は多分、怪物になってしまった。
この先ずっとこのままなら。
ずっとこのままなら。
このままなら。
わたしは。
わたしは。
わたしは。
「……。」
撫子は立ち止まり、空を見上げる。曇っていた。
「もう、いいかな」
撫子はその考えに行き着き、ホッとして笑みを浮かべる。その表情は清々しいものだった。撫子はシンプルに、死のうと、そう思った。
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