1-1.飴と雪

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 杏子は火を吹く勢いで口を開き、しかし撫子の顔を見るや否や目を丸くする。 「デコっち、また痩せたんじゃない……?」  撫子は杏子の手を振り払う。 「……もう構わないでって言ったよね」  撫子は振り絞るように、何とか声を出した。  聞いて、杏子はダンッと足を鳴らす。 「なんでよ?!ウチら親友ぢゃん!タケちゃんも心配してたよ?」  撫子は杏子の目を見る。撫子の瞳がうっすらと煌めく。メガネは既に意味を成していなかった。撫子は杏子を“観て”しまう。撫子の瞳に“観えているもの”は想像を絶するもの。撫子は吐きそうになり、口元を手でおおう。  杏子は泣きそうな顔で言う。 「ウチがなにかした?言ってくんなきゃわかんないよ!デコっちがツラいときくらい、力にならせてよ!」    目に涙をためて熱く迫る杏子。  しかし撫子の瞳に写る杏子は、その言葉と真逆の態度・言動だった。撫子の瞳と髪の毛が煌めき、髪の毛は風になびいたように揺れる。撫子の瞳は杏子の本心を“観る”。 『消えろ……』  撫子の“観る”杏子は撫子の首を両手で掴む。  撫子の“観る”杏子の顔は影になっていて、表情が読み取れない。ただ、杏子が狂おしいほど自分を怨んでいるのが分かる。この感情の起源に撫子は心当たりがない。 『消えろ。』 『消えろ。』  段々と力が強くなっていく。 『消えてしまえ。』 『あんたさえ居なければ!』 『居なくなれ!!』  その言葉に、現実の杏子の言葉が重なる。 『居なくなれ!』(「このままだとデコっちが居なくなっちゃいそうで……」)  撫子は絶叫。辺りに金切り声が響く。 「あ゛ああ゛ああうるさいうるさいうるさい!!!!」  杏子はビックリして後ずさる。 「デ、デコッち……?!」  杏子は撫子に触ろうとする。 「触るな!!!」  撫子は叫ぶ。  カアッと足の先から頭の天辺に血流が巡る。  撫子の瞳、髪の毛から稲妻のようなギザギザの光が漏れる。  撫子と杏子の間の空間がグニャリと渦を巻き、飴色に色付くと、飴細工のように柔らかく広がり、飴色で半透明な壁となって出現する。  杏子は撫子に触れようとするが、その飴色の壁に遮られる。 「え……?」  杏子にはこの飴色が見えていない。  撫子は一ヶ月前、人の心が“観える”ようになった。だがそれだけではなかった。撫子は身の危険があるときや感情が高ぶったとき、どういうわけか、今のように“飴色の壁”を出現させることがあった。  撫子は“妖怪”と呼称する得たいの知れないものが見えるようになったと同時に、得たいの知れない力を持ってしまったのだ。  撫子は立ちくらみを起こし、頭を押さえる。飴色の壁は空間に溶けるように広がり、直ぐに消えてなくなった。  撫子は通学バッグを落としてしまうが、そんなこと関係なく、その場から駆けて逃げる。杏子の声は撫子の耳に入らないし、入っていたとしても、撫子は振り向かなかった。  撫子は夢中で走る。途中で何度も転び、砂にまみれ、擦り傷をいくつも作る。 「(もういやだ!)」  撫子は走る。 「(もういやだ!!)」  撫子は限界だった。  一ヶ月前はこんなこと思わなかったし、こんな気持ちも知らなかった。撫子は一ヶ月前に戻りたいと思った。一ヶ月前の、家族がいて、親友とも他愛もない話ができていた、美しい世界に戻りたいと思った。この瞳や髪の毛だって、元々は……。  何もかもが変わってしまった、  撫子の瞳に写る世界は醜く歪み、撫子自身も醜くなってしまったのだ。撫子は“自身は人間では無くなったのだ”と思っていた。もう駄目だ。  世界は変わってしまった。人は醜いものだと知ってしまった。自分は多分、怪物になってしまった。  この先ずっとこのままなら。  ずっとこのままなら。  このままなら。  わたしは。  わたしは。  わたしは。 「……。」  撫子は立ち止まり、空を見上げる。曇っていた。 「もう、いいかな」  撫子はその考えに行き着き、ホッとして笑みを浮かべる。その表情は清々しいものだった。撫子はシンプルに、死のうと、そう思った。
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