0-1.白銀の世界

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 オオカミは白鹿の生首を離した。口元が露わになる。異様に発達した顎は、上と下とで大きさが大きく異なり、歪んでいて、噛み合わせることが全く出来なそうであった。不揃いの、そして過密なほどに生えた牙は下顎からも突き出ていた。  口が閉じられないので中が少し見える。  少女はゾッとした。口の内側、本来は生えない場所にまでも、みっしりと牙が生えていた。 『お、おオオ、御オオ。  命(みこと)は贄か。乞うか。  口をみみみヌヌぬか。怖れよ。』  オオカミの声に感情はない。  まるで無機物が発しているようで、冷たい感じがする。  男は顎を触り、んん、と考える。 「ああ、そういうこと?  いや、オレは生贄じゃねえし。  あと、別にオマエも怖くねえし。」 『……。』  オオカミはなにも言わず、鼻をスンスンと鳴らして男に近付けた。男は抵抗せず、オオカミに臭いを嗅がせたあと、オオカミの鼻と口元に手を置いて、軽く撫でた。 「いやぁ、怖いってか、むしろカッコいいと思うんだが。オレ個人としちゃあ。」  男はオオカミを讃えた。オオカミの大顎を褒めた。男の言い方と態度は、本心からの言葉のようであった。少女はそう思ったし、実際にもそうであった。  ザクロの瞳が、初めて男に向けられた。  オオカミは低い声で、ヴヴ、と喉を鳴らし、声を出す。 『メ。』 「め?』 『め、め、名(めい)、、を、言えよ、名ヲ。』 「……。」  男は黙って聞いている。オオカミが言い終わるのを待っている。 『言えよ、ちい、さき者よ、チチチ、、き、口の者。』 「んん、ああっ、名前?名前を聞いてる?  オレ、ここでは━━━━━━っていうんだ」  男は名を名乗ったが、突如吹いた風のせいで、少女の耳には届かなかった。 「で、オマエは?」 『……。』 「オマエの名前は?」 『………。』  オオカミはなにも答えなかった。答えられなかった。オオカミには名乗る名前が無かった。 「ん~、じゃあ勝手に、××、って呼ぶわ。」  ××のところだけ、ノイズが入った。少女は××の部分を聞き取ることができなかった。 「で、頼みたいことがあんだけどさ、」 『……。』 「オレを出雲の国まで案内してくんない?」  オオカミは無感情のまま、なにも言わず、顔を右方向へ向けた。 「あ、そっちなの?  いやぁ、助かるわマジで。」  オオカミは歩き出す。男はその後を追う。  これから始まるオオカミと男の旅を、優しく降る雪が隠す。  雪が一粒、  読者であるはずの少女の肌に触れ、  溶けた。  溶けた雪は水滴一滴分にも満たない。
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