1-1.飴と雪

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 撫子の“観る力”は人間だけではなく、妖怪にも使うことができた。だから撫子は、自身に近付いてくる妖怪が“自身に悪意があるかどうか”がなんとなく分かる。通学中に撫子を追いかけてきた三つ目の妖怪は、恐ろしいことに“悪意があった”。そういう妖怪からは逃げるのが先決なのだが、中には“なにも考えずに目的無くやってくる妖怪”もいる(撫子は、この飴色の髪や、そもそも妖怪が見える人間が珍しいから、好奇心で寄ってきていると考えている)。そういう妖怪は“無視する”ということを一貫して行っていた。大体の妖怪が、一時間、いや30分もしない内にどこかへ行ってしまう……のだが、この馬の被り物をした妖怪は違った。 「……。」 『……。』  馬の被り物をした妖怪は、撫子に抱きついたまま放そうとしない。そうこうしている内に授業が終わる。 「……。」  授業終わりの号令の後、撫子は力ずくでその馬の被り物をした妖怪を引きはがし(思うように力が入らず、少し手こずった)、通学バックを持って足早に教室を出る。 『待って。待って。』  早歩きで生徒の間をすり抜ける撫子の後ろを、馬の被り物をした妖怪がついてくる。 『待って。待って。』  撫子は階段を下り、渡り廊下の先、木造校舎三階の空き教室にたどり着く。この教室の鍵は壊れており(施錠していたとしても開けることができる)、常に入れる状態である。当然誰もやってくるはずがなく、撫子が見つけた穴場であった。 「……。」 『……。』  その穴場に飴色の少女(撫子)一人と、馬の被り物をした妖怪が一体。  撫子は窓側の席に、そして馬の被り物をした妖怪は横の席にちょこんと座っている。先に話を始めたのは、その妖怪から。 『元気ないか』  声には相変わらず抑揚がない。 「……。」  撫子は無視を決めこみ、なにも聞こえていない体でいる。撫子は通学バックに手を伸ばし、中からお昼御飯を取り出した。おにぎりが1つと、120ミリリットルパックのお茶が一本。   『元気ないか』  妖怪の問いに答えず、撫子はおにぎりの封を開け、口に運ぼうとして、止める。 「……。」  活力の無い瞳でおにぎりを見つめる。  撫子には食欲が無かった。  ふと、撫子は妖怪の方を見る。  馬の被り物は首をちょこんと横に傾ける。  撫子は口を開く。 「あなた、名前は?」  撫子の声は透明感のあるソプラノで、辺りの空気を心地よく揺らす。美しさとは裏腹に、その声に活力は感じられない。  妖怪は首を傾げ、復唱。 「なまえ、か。」  妖怪は名を名乗らず、「んん」、と腕を組んで首を傾げる。撫子はそんな妖怪のことを、少し可愛いな、と思った。  撫子は手に持っているおにぎりを妖怪へ見せる。 「これ、食べたい?」 『うん。食べたい。』 「じゃあ、あげる」 『いいのか。』  撫子は、うん、と頷いたあと、言葉を続ける。 「帰ってくれるんなら、あげてもいいよ」  妖怪はコクリと頷き、おにぎりを受け取って立ち上がる。『ぷれぜんと、ぷれぜんと』とその場で二回ジャンプ。  撫子の瞳がかすかに光り、髪の毛がそよぐ。  撫子は、ふふ、と笑む。妖怪が本心から喜んでいるのが分かったから。  妖怪はおにぎりを懐へしまい、嬉しそうに教室の周りを走ったあと、 『またあした。』  と言って手を降り、教室から出ていく。しまった、と撫子は思った。あの妖怪は明日も来るらしい。 「……。」  まあいいか、と撫子は心の中で呟く。  撫子はお茶に手をつけず、バッグにしまった。そしてイヤホンをつけ、眼鏡を外し、組んだ腕を枕にして机に臥せる。  窓から指す日の光は太陽が天辺にあるので教室へ差すことはない。明かりのついていない教室は薄暗く、臥せる撫子に影を落とす。  開きっぱなしになっている撫子の通学バッグには、頑丈そうなロープが、わっかを作ってある状態で入っていた。
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