7話 決戦の金曜日

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7話 決戦の金曜日

 着の身着のまま、という言葉が当てはまるだろうか。  スエットにTシャツ姿で、襟足に一本で髪を縛った螢は、高架下に来ていた。  環状線が上に通っているのと、高架下の空洞は倉庫タイプの場所でもあるため、防犯用に薄く明かりがある。 「真っ暗じゃない……良かった……はぁ…はぁっ」  自転車で飛ばしてきたため、息はきれ、汗だくだ。  途中で警察に連絡することも考えたが、『たすけて』だけで、何を説明すればいいのかわからなかった。  さらに言えば持ち物にだって不足がある。唯一ポケットに入っているのは、スマホと、お守りにしているマウスピースのみ。  小さな験担ぎだ。中学のときに、全国大会で優勝したときのマウスピースである。  メガネを直しながら、薄暗さに目を慣れさせ、無理やり人気(ひとけ)を確認するが、予想よりも多い。  せいぜい、4、5人くらいと想定していたのだが、その倍はいる。  さらには瑠々が男に捕まっているのもわかった。 「……け、警察っ」  思わず伏せていた体を起き上がらせたとき、 「早見、警察なんて呼ぶなよ! 出てこいよ!」  その声に、螢はすぐに覚悟を決めた。  深呼吸をし、歩き出す。  場所まで100メートルほど。  どうにか情報を集めようと、目だけで探る。  瑠々側に5人、散らばって5人。合計10人の男だ。  だがマスクをして、よく見えない。  顔を隠す理由は、身近な人間であることだろうと思うと、学園の人間以外考えにくい。 「顔を隠してまで、なんですか。瑠々を放してください」 「お前がいるせいで、瑠々様の面が汚れんだよ!」 「螢っち、逃げて!」 「瑠々様は黙って見ててよ!」  一際背の高い男が瑠々を怒鳴りつける。それにしおらしく膝をつく瑠々を見て、螢は男を睨んだ。 「なんだよ」 「瑠々を放して!」 「うるさいっ」 「もう、私が来たから、瑠々は関係ないでしょ!」 「いいや。お前が瑠々様の友だちをやめるって宣言するまで、瑠々様は帰さない」 「……わかったから。瑠々と友だちやめるから!」 「じゃ、髪の毛、切って、宣言しろよ」  アスファルトが削れる音がする。  バイクのエンジン音が、耳の奥に残って、気分が悪い。 「……意味わかんないんだけど」 「大切な髪の毛と交換、ってやつ。さっき、瑠々様から聞いたんだよね。お前、髪の毛、めっちゃ大事にしてるって」  ハサミが地面を滑ってくる。  ハサミは鈍く2回、刃をゆらめかせた。ちらちらと光が揺れるのは、蛾が街灯にたむろしてるからだ。  螢はその大きい裁ちハサミを拾い上げ、手に持った。ずっしりと冷たい。 「……切れば、解放するんだよね」  首から伝う汗が、服の中に滑り込む。  螢はハサミを握り、髪の束を肩に寄せたとき、男が怒鳴る。 「根元からいけよ」  螢はゴムで縛った髪の束に刃を差し込んだ。  少し挟んだ瞬間、髪の毛の切れる感触がして、螢はぎゅっと目を瞑る。 「早く切れよ」  その声に押されるように、螢は一気に髪を切り落とした。  ぱさりと落ちた髪の毛が地面に流れた。絹の糸のように散らばる髪に、鋏を叩きつけると、今まで自分の元にいたはずの髪が、土埃に塗れてしまう。 「……もう、瑠々にも近づかない……友だちもやめるから……瑠々を……離して! ……離してよっ!」  滲んだ涙が、止められない。  自分の存在のせいで友だちが傷つきそうになっていること。  さらには、今まで自分が大切にしたものがこんな形で手放さなければならないこと。  悔しさが一番だろうか。  いや、無力だ。  それを痛感していた。  強ければ髪を切らずに、瑠々も守れたのだろうか、と。  せめて、自分だけなら、悪あがきもできたのに、と─── 「……ふふ……はは……はははははっ!」  膝をついて震えている螢の耳に、女の笑い声が聞こえてくる。  滲む目をこすり、顔をあげると、両手で腹を抱えて笑う女が、いる。  ──瑠々だ。 「はぁーーー、すっきりした! その髪の毛、キレイすぎで、めっちゃウザかったんだよねー。……つか、なんで、あんたばっかり会長にかまわれんの? マジ、信じらんない。地味でブサイクなのに! だいたい、副会長になるために、あんなに裏で動いたのに、あんたのせいで会計なんだよ、あたし。わかってる、その罪? ……はぁ。ほら、あんたたち、さっさとヤっちゃって。ボロボロの螢っちが、早くみーたーいー!」  螢は言葉がでなかった。  いや、煮え繰り返るはらわたを吐き出さないように、飲み込んだ。  ……マウスピースを咥えることで。 「じゃ、ヤっちゃいま」  1人目、顎に拳を受け、ダウン。 「は? ありえ」  2人目、背後から抑えようとしたが、回し蹴りでダウン。 「捕まえればこっちの」  3人目、羽交い締めしたものの、背負投げにもってこられ、地面に叩きつけられた上に、鳩尾に一発でダウン。 「このや」  4人目、螢に右ストレートを食らわすものの、そのままカウンターを喰らい、ダウン。 「……おい、こんなに強いなんて聞いてねえぞ!」  焦る男を尻目に、5人目、頭突きでダウン。  だが、日頃鍛えてなかったのが祟る。  螢の体力が切れかかっていた。  今日1日、何も食べていなかったところに、全速力で自転車を漕いできたのもある。  HPゲージとしては、この高架下に来たときには、残りが20%ぐらいだったといってもいい。  6人目の腕をはらい、地面に倒すが、7人目に腰を取られ、身動きを封じられる。そして、8人目、顔面に1発、入れられた。  メガネが地面を転がるが、吐き出されたマウスピースに男は驚いている。  螢は唾を吐く。 「歯ぐらい、折ってみろよ、そのへなちょこパンチで」  振り上げられた拳に、螢は息を吸う。  当たる痛みと同時に息を吐いて逃がそうと、意識を研ぐ。  だが、痛みが一向に届いてこない。  恐る恐る目を開くと、そこには…… 「僕の副会長くんを殴った奴は、お前か? あ? お前か?」  相手の顔面をボコボコに殴る会長が、いた。  だが、それよりも、螢の視線は、そこに縛り付けられていた。  首筋のホクロだ──  いつもは学ランを着ているのと、身長差があり、首筋がよく見えなかった。しかし今はジャージにTシャツ姿、さらには身をかがめてのパンチのラッシュ。今日は首筋がよく見える。  ……薄暗くても、これは見間違いじゃない。  肩と首の付け根ほどに3つ並んだホクロは、あのときの彼と同じ、ホクロ……  ──螢が、中1のときだ。  空手の大会の帰りだった。  ヤワな男の部員だと思われ、何かの気晴らしに襲われたのだ。きっと、ゲーセンで負けたとか、その程度の気晴らしだ。  売られた喧嘩を買った螢だが、多勢に無勢となっていた。  加勢される人数に捌ききれないと悟ったときにはもう遅い。  逃げようにも逃げられる状況を作れず、死に物狂いで拳を振り上げていたとき、彼が、来た。  白い首筋にホクロが浮かぶ彼の、必死な表情。真剣な眼差し。そして、強い拳!  だが、そのときの彼は、柔道家だろうというような、ぽっちゃり系体型。  今とまるで見た目が違う。  だが、雰囲気は全く同じだ。  あの、柔らかな顔なのに、オーラが鬼神という、重く、恐ろしい雰囲気。  まるで、あの日と変わらない───  螢が呆然とするなか、体が持ち上げられた。  肩をかしてくれたのは、快斗だった。 「螢ちゃん、遅くなってごめん! あー! 髪の毛、ない! もーっ!!! 山下の動向、手に入れるの遅くなったからだー!!! あーー!」 「陽菜のせいじゃないです。泳がしすぎたんですよ、全く……。でも螢先輩、めっちゃショートカット似合いますね……っていうか、宝塚系美人だったんですね、螢先輩って……メガネかけてるからわかんなかった……」  快斗は螢の怪我の治療をしだすと、陽菜は再びスマホに視線を戻し、実況をはじめる。 「……おっと、会長のストレートが、1年のユージにはいったー! だが、まだ、倒れない! ……あの構えは、キックボクシング。ユージはキックボクシング経験者でもあるのです! おっと……他のメンバーも加勢に入るようだ。ユージ含む……え、ろ、6人!? 起きたの!? ……さぁー、会長はどう立ち回る!!!」  その実況を受け、螢は立ち上がっていた。 「螢ちゃん……?」 「……二度も、助けてもらえないよ」  螢は、素早く樹の背後をとった男の懐にはいると、正拳突きとともに、背負い投げを決める。  別な男が拳を振り上げて螢の胸元に飛び込んでくるが、腕十字を決め、足払いをかける。 「さすが、螢先輩! 空手経験者の華麗な技の数々、圧倒です!!!」  螢がバックステップで相手と間合いをとった。  背中がピタリとくっつく。  樹の背だ。  いつもよりも大きく、硬い。  だが、それは樹も思っていた。  小柄でいつも守りたいと思っていた彼女の背は、やはり、あの時と変わらず、力強く、カッコいい── 「僕、そんなに弱そうだったかな?」 「いいえ。でも、守られてばかりじゃ、私らしくないんで」  2人の連携は素晴らしく、彼らが交互に行き交うだけで、相手が地面に崩れていく。  だが、伏してもなお立ち上がる相手たち。  なかなかの根性があるが、必死な表情から、何かしらの制約、または罰があるのかもしれない。  だがそれでも大した時間をかけずに、相手は優慈と瑠々を残すのみとなった。 「いいいい今、警察呼んだん、だから!」  スマホを掲げ、叫ぶのは瑠々だ。  ほぼ、涙声の彼女は、螢に怯えきっている。  マスカラの黒い涙をにじませ、強気にでるが、螢はふんと鼻で笑った。 「別に、そういうの、怖くないし」 「ちょ、こないで! こないでってば!」  地面を後ずさる姿は、少し哀れんでしまうが、されたことは許せない。  螢がもう一歩踏み込んだとき、 「会長、強いのわかったから!」  優慈の声だ。もう声でしか判別できない。顔の原型がわからないほど腫れてしまっているからだ。  それでも樹はまだ殴る気力が残っているようで、右腕を大きく振り上げる。 「そうじゃないんだよ。女の子1人を、男10人でどうにかしようなんて、おかしかしいんじゃないのかな? 主犯は懲らしめるべきだと思うんだよ。制裁だよ、制裁。僕は、絶対に、許さない……」  2人がさらに1歩踏み出したとき、快斗が2人に飛びついた。 「おーよしよしよし。もういいぞー! これ以上やったら、死んじゃうから! たぶん、死んじゃうっ! やりすぎ禁止!!!!」  その快斗の叫びに、やる気を削がれた2人は舌打ちで気分を紛らわすが、改めて地面を見ると、土にまみれ鼻血を流しながら横たわる男たちが芋虫のように転がっている。 「ややややりすぎ、たかな、これ……どう思う、副会長くん」 「いや、正当防衛、じゃないでしょうか……自信、ぜんぜんないけど……」  そのやりとりを見て、ぐったりと地べたに座りこんだ優慈と瑠々。  もう、腰が抜けた状況なのだろう。  放心しているのか、顔に生気がない。 「……助かったすね……」 「怖かった……」  螢はゆっくり瑠々に近づいていく。  小さく笑い、そっと手を差し出した。 「……え? ……あ、ありがと、螢っち……」  瑠々も腕を伸ばすが、螢の手は瑠々の色白の手をすり抜け、ハイブランドのTシャツの襟首を握っていた。  ギリギリと首を締め上げながら立ち上がらされた瑠々の顔は、最高に引きつっている。 「……これだけ言っておくわ。私らしさ、思い出させてくれてありがと。この、ブサイクっ!」  手、汚すまでもないわ! 螢は言いながら瑠々から離れていくが、瑠々が一気に泣き出した。完全敗北だ。  これで瑠々が今までしてきたことが明るみに出るのは間違いない。  権力があっても、揉み消せる内容は限られているからだ。  特に、選挙操作は揉み消せそうにない。  こればかりは学園問題にもなり得る。  優慈もまた、同じだ。  これから、滑落していくだろう。  ただ、芸能界は。  復活するチャンスはある。それがいつになるかは、わからないが。  パトカーのサイレンが聞こえる中、陽菜は動画画面を掲げて、螢と樹に宣言した。 「会長、螢副会長、この陽菜にお任せを。この動画とこれまでのことを警察に伝え、絶対、停学になんてさせませんから!」
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