197人が本棚に入れています
本棚に追加
「ちょっと! いまミチルさんが!」
鞠鈴が勢いよく常務室のドアを開けると。
中では、岡部が頭を抱えていた。
「…気持ちわりぃ」
「は?」
「いつか言ってやろうって思ってたこと…ついに言ってやったけど。
…けっこう、気分が悪いもんなんだな」
岡部の手が震えている。
「………。…何言ったの?」
「…常務の相手には、ふさわしくないって」
「!!」
鞠鈴は息をのむ。
「鞠鈴もそう思ってたよね?」
「…私…は………!」
(私は…ミチルさんのこと……常務の彼女でも許せるって思い始めてた…)
コミケで出会って…。
この人の描く冴島さんには愛があるって、思った。
もう一部欲しいというワガママに、わざわざ会社近くまで同人誌持ってきてくれて。クッキーまで…作ってくれた…。
本当は逆なのに。私がお礼をするべきだったのに。
ミチルさんはいつも弱気で、器用に立ち回れないタイプだ。純粋すぎて、これまでも他人から利用されて損ばかりしてきてるような感じがする。
でも…人の痛みがわかる分、誰にも誠実で優しくて、一生懸命でまっすぐで…。
だから父親の前でも本名は言わないで、庇ったのだけど。
ミチルさん本人はこちらの意図に気づかず、バカ正直に名字を言ってしまった。
「せっかく…友達になれそうだったのに」
ついポロッと…本音がこぼれる。
ずっと欲しかった友達…。
鞠鈴はキッと岡部をにらみつける。
「バカバカバカバカ!」
近づいて殴りかかる。
「あんた何様?! ミチルさんになんの恨みがあるの? 最低っ! いつも変な言葉遣いしてるくせに! しかも勝手に鞠鈴って呼び捨てにしないでよ!」
「……」
岡部は頭を抱えたまま、叩かれ続ける。
鞠鈴はそんな様子を見て、手を止めた。
「なによ、なんなのよ…」
(いつものヒョウヒョウとした岡部じゃない…調子狂う…)
「…もっと叩いて」
「イヤ!」
「……じゃあ、俺の話聞いてくれない?」
「……」
鞠鈴は逡巡したが、近くにあった椅子をひきずってきて腰かけて、話を聞く体勢になる。
「…俺の母親はな、三橋孝太郎の同級生でずっと奴に恋をしてたんだ。何回もアプローチしたけど、孝太郎は振り向かなかったらしい」
「三橋孝太郎がどこぞの令嬢と結婚したと聞いて、自棄になって、孝太郎似のどうしようもない男と関係を持った。それで産まれたのが…俺だ。俺の名前は孝成で、孝の字はもちろん孝太郎からだ。結婚生活は当たり前だけどすぐ破綻し、俺は血のつながりのない孝太郎を父親だと信じこまされて、育てられてきた。孝太郎の代わりに溺愛されたわけだ」
「……」
「けっこう、辛いもんだぜ。何かっていうと孝太郎さんは…って比較されるしな。実の父親が金の無心にきて、真実を知ったときの衝撃は…やばかったな。俺、当時小学生でさ」
岡部はフッと笑う。
「うちの母親は頭がイカれてたけど、超絶美人だったんだ。孝太郎にさえ出会ってなければ、幸せな結婚だってできたはずなのに。最期まで、孝太郎さん孝太郎さん言いつづけてこの世を去ったよ」
「ずっと独身だと思っていた孝太郎に実子がいると聞いて、俺と年の変わらない常務と会ってみたくて面接を受けた。まさか本当に採用されるとは思わなかったけど。常務は普通に良い奴で。でも…孝太郎と同じように…どこがいいんだかわからない女を選ぼうとするのは、どうしても嫌だった。なぜ、親子そろって…美人を選ばないんだ!」
岡部が机に、両手をバンッと叩きつける。
「…三橋孝太郎…最初の結婚は」
「ああ…そうだな。末永真実子が、三橋孝太郎の元妻だってことは知ってるよ。巷で有名な、ワガママ美人令嬢…。狙った男は逃がさないってな。まさかあんたみたいな娘が後から産まれてたとは知らなかった。入社してきたときもへー末永姓…意外に多いんだな、くらいにしか思ってなかったな…。
まーこんなとこっすかねー」
すべてを話し終えて、安心したのか、岡部はいきなり砕けた口調になる。
「岡部…さんの話聞いて…わからなくもないけど。でも…ミチルさんには関係ないことだよね。美人じゃないからって…三橋常務のそばにいるな!ふさわしくない!って、ひどくない?」
「美人じゃないからとは言ってない」
「……同じことよ」
「……でも、彼女が本当に社長夫人になれる器だと思うか?」
「そ、それは……」
鞠鈴は澪のおどおどした様子を思い浮かべる。
優しいけど…優しいのだけど。
「身の丈を知るのがいいときもある。俺は…正直に言っただけだ。これから俺以上に厳しいことを言う奴だって出てくる。いちいち凹むようなら、彼女は…やっぱりふさわしくない」
「……」
「…うー。でも…後味悪い。
気持ちわるいよ~。鞠鈴ちゃん…慰めて~」
鞠鈴はニコッと笑うと、背後から岡部の首に抱きつく。
…が、ギリギリと肘をかけて締め上げた。
「ぐええ…ギブ!ギブ!」
机をばんばん叩く。
鞠鈴は腕を外し。
「この…拗らせ野郎! ミチルさんを傷つけた罰よ。その気持ち悪さはミチルさんに謝らない限りは治らないから!」
鞠鈴は勢いよく、常務室を出ていく。
(なんで私…こんな一生懸命になってるんだろう?)
常務を狙えるチャンスなのに。
寝とることができたら、ママに報告して褒めてもらえるのに。
(ああ、そうなのか…)
岡部も私も、母親からの呪縛から抜け出せてないままなんだ。
スッ…と腑に落ちる。
私自身はどうしたい?
私は…わたしは…
常務を手に入れるよりも…。
ミチルさんに…!
鞠鈴は澪に、電話をかけ始めた。
最初のコメントを投稿しよう!