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『みなさん、こんばんは。今週もお仕事に学校に家事育児、本当にお疲れ様でした。寝る前の少しの時間、一緒に穏やかに過ごしましょう』
それは、とても柔らかくて澄んでいて、とても落ち着く声だ。
毎週金曜日の二十三時四十五分から始まる、たった十五分間のラジオ。
音楽を流すわけでもなく、ただひたすらパーソナリティである【Yume】がリスナーに語りかけたり、ちょっとした物語を音読したり。そんな、些細な時間だ。
僕は、そんな彼女の声を聴くのが楽しみで、毎週金曜日はどんなに忙しくても、何か用事があったとしても、それを中断してでも必ず二十三時四十五分からスマートフォンのラジオアプリを起動する。
家でゆっくりスピーカーにして聴く日もあれば、移動中でイヤホンで聴く日もある。
それは、僕にとってなくてはならない、大切な時間だった。
毎週末、彼女の声を聴くと、また来週頑張ろうと思える。
一週間の疲れを、リセットできる気がするのだ。
『今日はねぇ、朝、私のお家の前に三毛猫ちゃんがいたんです。首輪も付いてたし、飼い猫ちゃんだったのかなあ。とっても人懐っこくて、私が近寄っても逃げなかったの。私ね?動物は好きなんだけど、昔っからあんまり好かれなくて。だから猫ちゃんが逃げないでくれたのが嬉しくて嬉しくて』
他の人が聴いたら、もしかしたら"つまらない"と言ってすぐに聴くのを辞めてしまうかもしれない。それくらい、ラジオの内容は【Yume】の日常や僕が聴いてもどうでもいいと思う話ばかりだ。
でも、そんなどうでもいい話を聴くこの十五分間が、僕にとってはとても大切なものだ。
『今週も、聴いてくれてありがとう。明日お休みの方は、ゆっくり休んでね。私と同じで明日もお仕事の方は、一緒に適度に力抜いてちょっとだけ頑張ろうね』
終わり際にする、囁くような声が今日もスッと身に染み渡る。
顔も知らない【Yume】の声に、僕はすっかり魅了されているのだ。
『じゃあ、今日も聴いてくれてありがとう。今週もお疲れ様でした。みなさんが素敵な夢を見られますように。……おやすみなさい』
その"おやすみなさい"を聴いて、エンディングが流れてからラジオは終わる。
その言葉を噛み締めると、身体の内側がじんわりと温まる気がして。その瞬間がたまらなく好きだ。
「……よし、あともうちょっと頑張るか」
スマートフォンをギュッと握ってから、アプリを終了してイヤホンを外す。
それを見計らったかのように、一人の男が近付いてくる。
「桐ヶ谷さん、いけますか?」
「……うん。大丈夫」
「わかりました。───撮影再開お願いします!」
僕のマネージャーの声に、周りのスタッフたちが立ち上がる。
僕も同じように立ち上がると、衣装である革靴が床に擦れてキュッと音を立てた。
「……お待たせしてすみません。よろしくお願いします」
さぁ、また来週。あの穏やかな"おやすみなさい"を聴くために。
もうちょっとだけ、頑張ろうか。
End.
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