人間パソコン

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******** メグミさん  陰ながらいつも応援しております。突然このような形でご連絡差し上げましたことをどうかお許し下さい。しかし、私はどうしても貴女にお伝えしたいことがあるのです。そうでもしなければ、今すぐにでも手近なコードを引きちぎり、首を括ってしまいたい衝動に駆られるほどです。いろいろと不審に思われることもありますでしょうが、どうかご一読いただければ幸いです。最後までお読みいただければ、私がこのような無礼を働くに至った理由もご理解いただけるでしょう。  このような長文を書くことに慣れておりませんので、何から書き始めて良いものか今一つ分かりませんが、とりあえず事の成り行きに従って書かせていただきたく思います。  まず、私の容姿が不細工と形容するに相応しい、酷く醜いものであることをご承知おき下さい。事実私はいわゆるオタクであり、根暗でコミュ障な社会不適合者です。このことを知らせておかなければ、貴女が私とお会いした際にきっと驚かれてしまうでしょうから、先立ってお伝えした次第です。  私は、際立って裕福というわけでもその逆というわけでもない、ごく平均的な家庭に生まれました。突出した才能も持たない、人より少々数学と物理が得意な程度の、一般的な人間のひとりとして成長しました。ところが、先も申し上げましたように私は容姿とコミュニケーション能力に恵まれず、さらに少しばかり人とは違う感性を生まれ持ってしまったことも災いし、ただの一度も恋人というものを持ったことがありません。中学で、高校で、大学で、男女が手を繋ぎ腕を組み身を寄せ合って笑い合う、そんな光景を見るたびに、私は言い表しようのない劣等感と疎外感に苛まれてきたわけです。  私のパラメーターは、その代わりとして、コンピューターをいじる技術に少しばかり多く割り振られたようです。とはいえ、それもそういった分野をかじったことのある者ならば当然出来る範囲のもの。この技術が私に与えてくれる自尊心など、別段大したものではありませんでした。  さて、私にはある知り合いがおります。高校での部活仲間であり、それなりに恵まれた容貌を持ち、女性からも一定の人気を得られ、大学に入ってからはサークルにバイトにと忙しく毎日を過ごしていたような人です。その友人が、ある日私に連絡してきました。曰く「パソコンが壊れてしまった友達がいるので直してほしい」とのこと。何のことはありません、私は都合の良い修理屋として呼ばれたわけです。わずかに怒りさえ覚えながら、私はどのようにしてこの不躾な依頼を断るか思考を巡らせていました。  ところが、そのご友人とやらが女性であることを聞いたとき、突如として私の頭の中に、素晴らしくも恐ろしい、ある考えが浮かんだのです。それは悪魔の囁きのごとく甘美な誘惑であり、私はとにかく、それを実行してみたい衝動に駆られました。  早速とあるプログラムを作成してUSBに格納し、後日それを携えて知り合いのご友人の家へと向かいました。お会いした際、彼女の整った顔が一瞬嫌悪に歪んだその瞬間を、私は今後一生忘れないでしょう。  私が組んだプログラムは、インターネット回線を通して他者のパソコンを遠隔操作するための、俗にコンピューターウイルスと呼ばれるものです。壊れたという彼女のノートパソコン自体はごく単純な動作不良を起こしていただけであり、直ちに修復可能でしたが、私は素人二人の目の前で、必要だからと大嘘をついてUSBを差し込み、いかにも修理が難航しているかのように振る舞いつつ、自作のウイルスを堂々とパソコンに流し込みました。このときほど自身の才覚に感謝したのは、後にも先にもありません。  修理もとい転送が完了し、二人からは言葉だけの感謝を受け取りましたが、私の心中はもはや、一刻も早く家へ帰りプログラムを起動させたい思いで埋め尽くされていました。  初めてプログラムを立ち上げたときの背徳感に満ちた喜びは、今も忘れられません。内蔵カメラを遠隔起動すれば、画面に映し出されるのはついさっき別れたばかりの女性が心身弛緩しきったという様子でベッドに寝転びながら、こちらのほうを、すなわちパソコンの画面を見つめる姿。何の感情も窺い知れない無表情の顔も、私だけが見ていると思うと興奮が止まりませんでした。何か面白いものでも眺めていたのでしょう、時折薄く微笑むその表情が、初対面のそれとは対照的で、たいへん美しく、愛おしいものに感じられました。彼女がマウスを操作し、キーボードを叩き、口笛を吹き、真剣な顔をし、破顔してはまた無表情になり、お会いした際にはかけていなかった眼鏡を少し上げ、長い髪をくるくるといじり、豚骨醤油味のカップ麺を啜り、一・五リットルのペットボトルからコーラを飲む。その一挙手一投足どれもこれもが、私の心を満たしていきました。  また、これは私の嬉しい誤算でもありましたが、彼女は基本的にパソコンの電源を落としませんでした。つまり、彼女が部屋にいるときはいつでも、彼女の赤裸々な生活の全てを愉しむことが出来たというわけです。とはいえ、私も工学徒の端くれ。パソコンの電源を落とさないということの危険性は十分承知しています。本来ならば、接続しているケーブルだって毎度取り外すべきなのです。万が一付近に雷でも落ちて、彼女の大事なデータが吹っ飛んでしまっては、きっと彼女も困るでしょう。そう思い、嵐の夜には、開きっぱなしのワードやらパワーポイントやらを遠隔操作で保存し、そっと電源を落としておきました。翌日覗くと再びパソコンが立ち上げられているなどもはや分かりきっていたことでしたが、私としてはむしろそのほうが好都合。不思議そうに画面を見つめるその真ん丸な可愛らしい目を、心ゆくまで堪能させていただいたものです。  ある日には、彼女の部屋に彼女とは別の女性がいました。風貌から推し量るに、彼女の姉か妹だったのでしょう。彼女のパソコンを修理(あくまでも修理と書かせていただきます。部分的には真実なのですから)するためにお邪魔した際にはその姿を見かけなかったのですが、どうやら二人暮らしだったようです。部屋をしばらく物色した後、何やら目当てのものを探し当てたらしく、彼女によく似た愛らしい微笑みを湛えながら出ていきました。互いに私物を許可なく使い合う、そのような姉妹関係はアニメやマンガの中だけかとばかり思っていましたが、案外ただの妄想の産物というわけでもなかったようです。  また別の日には、忌々しいことに、彼女の隣に寄り添う見ず知らずの男が映っていました。この時点で私の堪忍袋は即座にその緒を自ら切って捨てなお勢い有り余るほどでしたが、同時に頭の片隅でとある仮定に辿り着きました。このまま見続けていれば、二人はやがて情事に走るのではないか。誠に遺憾ながら、私はその状況に、どうしようもなく興奮していたのです。大音量で警報を鳴らして、眼前で展開される甘ったるい雰囲気に水を差したい。そんな気持ちと戦いながら、私は遠隔操作でマイクをオンにし、イヤホンをつけ、静かに事の行く末を見守りました。すると程なくして、思った通り、二人は熱く抱擁し、激しく口づけを交わし始めました。幸か不幸か、その後を私が見ることは叶いませんでした。彼らが電気を消した後、彼女のパソコンも閉じられてしまったのです。どこか不完全燃焼な胸の痛みを、私はひとりベッドの中で癒しました。  こうして私はしばらくの間、彼女の生活の一部始終を覗き見ることに従事していたわけでありますが、ある日を境に一切の遠隔操作が行えなくなってしまいました。それはすなわち彼女のパソコンのインターネット接続が遮断されたということでしたが、一日ならばともかく、何日も続くと流石に非常事態を考慮せざるを得なくなりました。  そこで私は、例の知り合いを経由し、修理したパソコンのその後の調子を尋ねるていで、彼女がパソコンをどうしたのか聞き出しました。そのとき分かったのは、どうにも変な動作が続くからという理由で、彼女があのパソコンを使うのをやめ、別のものに買い換えてしまったという事実です。  考えるまでもなく、変な動作とは私が良かれと思っておこなった彼女の意図せざる操作そのもの。何たる不手際! 私の浅はかな行いが、よもやこうも裏目に出てしまうとは! しかし覆水が盆に返ることはありません。言いようのない喪失感と虚無感が私を襲い、それは同時に、いかに私が彼女を恋い慕っていたかを気づかせるものでした。嗚呼、私はこのとき、間違いなく失恋を経験したのです。  ところがそれから半月ほど後、ふとなんとはなしに例のプログラムを起動してみると、どういうわけか再び彼女のパソコンがインターネットに接続されており、操作可能な状態に戻っていました。  恐るおそるカメラを起動すると、映し出されたのは彼女の部屋ではありませんでした。誰もいない、きれいに整理された部屋。彼女とは違う女性の部屋でしょうか。私はしばらく画面を見守り、その部屋の主の登場を待ちました。  やがて部屋に入ってきたのは、美しい女性でした。大人びた艶やかな雰囲気があった前の彼女とは異なり、今度の女性はあどけなさの残る可愛らしさが印象的でした。その姿を最初に見たとき、私は、私の中で長らく抑えられていたある気持ちが息を吹き返し、首をもたげるのを感じました。そして、今度こそ、今度こそは徹底的に事を運ぼうと決意したのです。  その後二年もの間、常にカメラとマイクを起動させた状態で、ときどき画面をキャプチャーする以外は遠隔操作において一切余計なことはせず、ただその女性の生活を眺めることのみに注力しました。  二年も毎日見ておりますと案外気づきにくいものですが、ふとした瞬間に過去を振り返って比べてみますと、緩やかにその方の生活が乱れつつあることが分かりました。一般に言うところの規則正しい生活をしていたのは最初の半年だけで、ある時点を境にして徐々に就寝時間が遅くなり、ついには朝方に就寝して起床は正午を過ぎるなどということも珍しくなくなりました。夜更かしで得た深夜の自由時間には、パソコン上でひたすら文章を入力していました。どうやらこの女性は物書きを始めたようでした。その間、自室でインスタント食品やスナック菓子を貪っていることも多くなりました。この方は私の眼前で、緩やかに堕落していったのです。  そんな女性の生活を見守るうち、ふと私は、今ならこの方はこんな私を受け入れてくださるのではないか、という思いに至りました。その思いは次第に膨らみ、そしてそれが抑えきれないほど大きくなったため、この女性にご連絡を差し上げることにいたしました。  ここまで読んでいただいたのであればきっとすでにお分かりのことと推察いたしますが、この女性というのが、メグミさん、あなたなのです。私という人間は、あなたのことを片時も止まず愛しておりました。  これは私の切なる願いなのですが、一度きり、一度きりで結構でございます、私とお会いしていただくことはできませんでしょうか。もしご了承いただけるのであれば、貴女の部屋の窓のカーテンを、半分だけ開けておいてください。それを合図に、私は、何気ない訪問者の一人として、貴女のもとを訪れる所存でございます。 ********
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