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地球滅亡の報道が流れたのは今からひと月あまり前になる。
ある日突然、緊迫した雰囲気もなくニュースキャスターが読み上げた。びっくりして片っ端から知り合いに連絡を取ったが、誰一人として真に受けない。そりゃそうだ。俺もそう思う。
どこかおかしいと気がついたのは、どれだけ探しても同じ報道を見た人間がいなかったからだ。俺の部屋のテレビでは、見慣れたニュースキャスターが毎日滅亡までのカウントダウンをしているというのに。
おかしいのはテレビか、俺か。このままだと、どちらにしろおかしいのは俺だということにならないか?
だから俺は賭けることにした。
地球は1ヶ月以内に滅亡するか、否か。
俺はもちろんイエス。全財産を賭ける。だって滅亡しちゃうんだもんね。一方、バイト先の友人達は全員ノー。当たり前だ。賭け金は全財産。楽しくなってきた。
「レイズ」
ぱちん、と音を立ててテーブルの中央に手持ちのチップを積み上げる。にやりと笑って目の前の男を見れば、真っ青な瞳が訝し気に瞬いた。真っ白な肌に七色に光を透かす金髪。大きな目を縁取るまつ毛までもが黄なり色だ。どう見ても、この散らかりまくった男臭い大学生のワンルームには似つかわしくない。
脱ぎ捨てたばかりの靴下と畳むのをめんどくさがってベッドに投げ捨てられた洗濯物が、昨日の自己処理のティッシュと共存する部屋。そんな部屋にこんな宗教画からでてきた天使のような男を招いてしまった罪悪感は残念ながら、ない。
瞬きをするたび、ばしばしと音でも立てそうなまつげを眺めながら自信満々にニヤついていれば、少しの濁りもない透き通った青がほんの少し細められた。
「好きだよね、この手の心理戦」
俺の周りの空気をそのまますっぽりと温かいお湯が包み込むような不思議な声音で男が言う。ついうっとりとまどろみを感じてしまった。
「この手の……俺が?」
こいつとのポーカーはまだ一戦目だ。他のゲームもまだしてない。何を見破られたっていうんだ? いつも強気で出て完敗する俺には心理戦も何もないぞ。目をぱちくりさせていれば美青年がふふ、と笑った。
「ううん、地球人が」
ゆるゆると首を振った男が一音一音を確かめるように発音する。童貞には少しばかり下世話な妄想が膨らむ唇の動きだった。ましてやこの美貌である。女もののリップでも塗ったかのように艶めいた赤い唇からもわわん、と妄想が働きぱちんと音を立てて弾けた。
こんな美青年も冗談なんて言うんだな。俺や友人たちと同じように、この男も日常的に下らない下ネタでゲラ笑いをしたりしてるのかもしれない。だって男の子だもの。……なんだ、親近感が湧くな。
「地球人? 日本人の間違いではなく?」
「? 地球人のことだよ」
え、なんか主語でかくない?
やっぱりこの子、日本に来てまだ日が浅いのかもしれない。
そう言えばバイト先のコンビニに毎日来るようになったのも1ヶ月ほど前からだ。外国どころか、なんならエルフの血でも引いてそうな彼の日本語はどこか不思議な訛りがある。
「違う違う、御影。俺、地球人じゃない」
はっきりと、確かな口調で俺の思考が遮られる。俺の、思考が。
「……は?」
かしゃん、と積まれたチップが雪崩を起こして崩れていった。
青白い電球の下で笑う男の青白い肌。隣の部屋から漏れてくるテレビの音が爆笑とともにうっすらと聞こえてくる。俺を飲み込むように見つめる瞳の深い青はあまりにも透明で、ビー玉のようで、人形のようで、真理に触れたような錯覚に陥って。
にっこりと、彼は目を細めて笑うと、開け放された窓から見える夜の月を指さした。
「俺、月から来たんだよ」
……まじ?
「まじまじ」
端正な顔は何を考えているのかわからない。
嘘かホントか。じゃあ賭けようぜ、とは言えなかった。これ以上しっくりくる答えはないような気がしたからだ。
ああ、そう言えばあと5日で地球も滅ぶんだっけ。それなら月人? くらいいてもおかしくないか。もうすぐなくなっちゃうんだもんね。そりゃあ観光くらい行っておきたいよ。
あまりにも綺麗すぎる透き通った瞳をじっと見つめていると深みに引きづり込まれそうになり頭がぐるぐるしてきて、俺は考えるのをやめた。
「それは……長い旅路だったね」
「まあね」
得意げにふふん、と笑ったのがなんだか可愛らしい。そうか、こいつ地球人じゃないんだな。
「あー、なんか、案内でもしとく? 地球の」
「えーいいよ、人嫌いだし」
「え、まじか。なんかごめん」
そうか、こいつ地球人じゃないもんな。俺も月人? に囲まれたらそりゃあ怖い思いをするよ、たぶん。
「ううん、気にしないで。代わりに欲しいものがあるの」
「なんだい、なんだい。俺が買えるものならなんだって買ってやろう」
遠路はるばる起こしになったのだからお土産くらいは必要だろう。
白皙の美青年はテーブルに手をつくと、身を乗り出して俺の首元に手を伸ばした。どうやら土産は俺の首らしい。そんな冗談はよしてほしい。
冷たい手が俺の頭の後ろへ回った。くっと引っ張られ、青年の首元へ引き寄せられる。月の美青年は月のごとく全身に冷気をまとわせていた。ふ、と冷たい息が耳にかかる。夜風が靡くように、耳元であの柔らかい声が囁いた。
「俺が欲しいのはね、御影だよ」
そういえば、俺はこいつにまだ名乗っていなかった。
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