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第1章 琴 葉
毎週日曜日の午前中は、日曜朝市、青果の店頭販売の日だった。
ぼくは、ヤマシロストアの自動ドアの前に、バックヤードから持ってきた野菜の数々を、店頭に並べていた。
今日の目玉はキャベツだ。普段は一玉148円ほどなのだが、今日に限ってはやや小ぶりながら朝市で98円になっている。
キャベツはきっと売れるだろう。
あと、ジャガイモと玉ねぎの詰め放題も、毎週人気の品だ。
開店前の店頭販売のセッティングは、ぼくの上司の桐野さんも手伝ってくれる。
桐野さんは、青果部門のリーダーでもあり、このヤマシロストアの副店長でもあるので、結構忙しい人だ。なので店頭販売のセッティングが終わると、売り場はぼくに任せて、桐野さんはさっさと店内に戻って、棚の補充などの品出しに勤しむことになる。
というのが毎週日曜日のお決まりだった。
午前8時58分。あと2分で開店する。
いつも開店前には、7~8人ほどの常連客が店頭に並んでいて、スーパーの扉が開くのを待っている。
9時ちょうどになり、ぼくは呼び込みのスピーカーのスイッチを入れた。
「いらっしゃいませ、いらっしゃいませ。本日もヤマシロストアにお越しいただき、まことにありがとうございます。本日の特売は、キャベツ。キャベツが98円・・・・」
聞きなれた桐野さんの淡々とした声が、スピーカーから流れてくる。
その声と同時に、お客さんの半分が自動ドアから店内に入り、そして残りの半分のお客さんが、ぼくの目の前の店頭販売の野菜を品定めし始めた。
やはり人気なのが、ジャガイモと玉ねぎの詰め放題だった。
常連の客は、袋からこぼれ落ちそうなくらい(というか、実際に1~2個はこぼれ落ちているのだが)ジャガイモと玉ねぎ、そして特売のキャベツを持って、順番にぼくの前へ差し出してくる。
そしてぼくは、店頭のレジで精算をした。
ぼくの手際が遅いのか、それとも来店客が多いからなのか、開店直後はみるみるうちに店頭のレジ前に行列ができてきた。
そしてぼくは、その行列を一人でも短くするべく、必死にレジ打ちをした。
ぼくは毎週一度行われる、この戦場のようなレジ打ちが、意外と好きだった。
開店から30分~1時間ほどすると、来店するお客さんも落ちついて来て、やっと一息つけるようになってきた。お客さんが、ポツリ、またポツリと店頭販売を訪れてくる。
「いらっしゃいませ、いらっしゃいませ」
この頃になると、ぼくも肉声で呼び込みを始める。
不思議なもので、ぼくがお客さんに呼びかけると、全員とは言わないが三人に一人くらいは店頭販売の野菜を覗いてくれるのだ。
そして次第にレジの行列が長くなり、その行列をぼくがやっつけて、また一息つけると呼び込みを始めて、レジの行列が長くなり・・・
そんなことを繰り返すうちに、みるみる店頭の野菜がなくなってくるのだ。
ときたま、桐野さんが店頭販売の様子を覗きにきてくれて、なくなりそうな野菜をバックヤードから補充してくれる。
そんな日曜朝市も、お昼近くになってくるとさすがにジャガイモも玉ねぎも品切れで、客足もまばらになってくる。
この段階になると、お客さんを呼び込んでも、肝心の売るべき野菜が残り物しかない。ぼくは本当の意味で一息つけるようになるのだ。
とりあえず品物があるうちは、12時までぼくは店頭のレジを任されている。
まばらに来るお客さんの対応をしながら、余裕ができたときは目の前を行きかうお客さんを眺めていた。
お客さんを眺めていると、つくづくスーパーマーケットというのは、主婦たちの社交場なのだと実感する。
店頭でおしゃべりしている二人の主婦は、もうかれこれ20分近くおしゃべりに花を咲かせている。
買い物をしている時間より、おしゃべりをしている時間の方が長いんじゃないのか?と疑いたいくらいだ。
特におしゃべりが長いのが、子供のいる家庭の主婦だ、とぼくは思う。
子供が学校でどうだ、先生がこう言った、近所であれこれがあった。
そんな情報交換が、このスーパーマーケットのあちらこちらで、常日的に行われていた。
聞き耳を立てている訳ではないが、最近の流行の話題は、どうやらスマホゲームのことみたいだった。
主婦たちは、みんな“ねこじゅえる”というスマホゲームをやっているようで、やれ『ラグドールが来た』とか『私のところは、まだミヌエットも来ない』などと嘆いたりしている。
そんな主婦たちの会話を聞き流しながら、ぼくはレジでお客さんに対応して、そしてとうとう昼の12時を迎えた。
日曜朝市もお終いだ。
ぼくは店頭で空になった段ボールを抱えて、バックヤードに戻った。
昼の12時なので、昼食休憩の時間だ。
ぼくは店のロッカーに戻って、カバンから、昨日安売りで店から引き取った菓子パンを二個持って、店の休憩室に向かった。
休憩室に入ると、すでにパートさんが三人、昼食を食べていた。
パートさんは、自宅から弁当を持ってきているか、もしくは店で惣菜を買って、おしゃべりをしながら昼食を取っている。
ぼくは、三人のパートさんから一つ離れた席に腰を落ち着かせ、先ほどの菓子パンをむさぼっていた。
「あら柏崎君、また菓子パンなの?」
レジ部門で働いている、パートの入谷さんが、声をかけてきた。
「いや、前日の安く買ったヤツなんです。すぐ食べないと」
ぼくはいつもの調子で返答する。
「でも、菓子パンばっかりなんて、栄養が偏っちゃうでしょう」
今度は、精肉部門の森澤さんも話に加わってきた。
「大丈夫です。学校で給食を食べてますから。学校の給食で栄養はちゃんと摂れてます」
給食と言うのは、ウチの学校で毎日19:00から出してくれる食事のことだ。
ぼくは、定時制高校に通いながら、昼間はこのヤマシロストアで働いている。
定時制高校では、夜お腹がすいてしまうので、19:00から給食を出してくれるのだ。
「そうは言ったって、今日は4月5日でしょ。学校は春休みじゃない」
入谷さんが突っ込んだ。
確かにそうだ。
「でも、明日は始業式ですから。今週から給食、食べられます」
「柏崎君は、何年生になるの?」
森澤さんが聞いてきた。
「今度、高校3年です」
「じゃ、17才ね」
「はい」
「3年生というと、もう来年卒業なんだ」
「いや、違うんですよ。定時制は4年制なんです。だから卒業は再来年です」
「へー、そうなんだー。柏崎君は卒業したらどうするの?このスーパーで働くの?」
「え・・・まだ決めてないですけど。このスーパーはみんな優しいし、好きなんですけど、社員さんにしてくれたら考えますね。契約のままだったら、ちょっと分かんないですけど」
「柏崎君は人一倍マジメに働いてるから、ひょっとしたらあるかもね。私もいくつかスーパーでパートしたけど、正直このスーパーはいいわよ」
「あ、そうなんですか」
森澤さんとそんな他愛のない話をしている間、ふと見ると、鮮魚部門で働く倉石さんが、スマホでゲームをしていた。
画面にはネコの絵が映っていた。
「あ、倉石さん。それって、最近流行ってるネコのゲームですか?」
ぼくが聞くと、倉石さんは嬉しそうに教えてくれた。
「そう“ねこじゅえる”よ。柏崎君もやってるの?」
「いや、ぼくはやってないですけど。最近じゃ、お客さんがみんなやってるみたいで」
“ねこじゅえる”の話をすると、入谷さんも、森澤さんも、スマホを取り出して“ねこじゅえる”をやり始めた。
そして『ベンガルが来た』だの『マンチカンはまだ』など、三人で楽しそうに話し始めた。
「そんなに面白いゲームなんですか?」
ぼくが恐る恐る聞くと
「柏崎君もやってみなさいよ!」
と入谷さんがぼくに向かってきた。
ぼくは、とりわけ“ねこじゅえる”がやりたかった訳ではなかったものの、今どき流行しているゲームに乗り遅れるのも気が引けたので、入谷さんの言われるがままに、スマホへ“ねこじゅえる”をインストールした。
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