第1章 琴 葉

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 ヤマシロストアでの一日の仕事を終え、ぼくは家路についた。  ぼくの家はヤマシロストアのある上条駅から、一つ隣の北桃古駅が最寄りの駅なので、晴れているときには自転車で通勤している。  雨の日だったら電車で一駅乗って通勤するのだが、今日はいい天気だったので自転車で帰路についた。  ぼくの家は、築30年はあろうかという古アパートで、そこで母さんと二人で暮らしている。  なぜぼくが定時制の高校に通っているかというと、それは至極単純な理由だった。  全日制の高校に通うお金がなかったからだ。  ぼくの父は、小学校4年生のときにガンで亡くなり、それ以来、母がひとりでぼくを育ててくれた。  何故だか母は仕事が長続きしない人で、中学時代はほんとうに貧乏な生活を強いられた。  そんな環境下でも母は、中学3年のとき「全日制の高校に通っても大丈夫だから」と強がっていた。  しかし、ぼくには見えていた。  無理して全日制の高校に入ったら、お金がないからスマホだって持てない。 それに対して定時制の高校に入れば、ぼくが働いて稼ぐので、こうしてスマホが持てる。  スマホのない全日制の高校生活か、それとも、スマホが買えて人並みの生活ができる定時制高校か。  その選択に、ぼくは定時制高校の道を選んだ。全日制だろうが、定時制だろうが、卒業してしまえばどちらも同じ高卒の資格が得られる。  2年間、定時制の高校に通ってみて、やっぱりこの選択は間違っていなかったと思う。  職場に恵まれたのか、仕事は楽しいし、高校だって同年代が多く(年上も多いが)友達もそれなりにいる。  アパートに着いて、自転車に鍵をかけると、スマホのトップ画面を見て新着メッセージが1件届いていることに気づいた。  クラスメートの優司さんからだった。  明日から学校が始まるので、明日に向けての意気込みでも語ろうとしているのだろうか。  沖村優司さんはぼくと同じ3年生だが、22才のお兄さんだ。  どうも優司さんが16才のとき、相当ヤンチャだったらしく、全日制の高校に通っていたものの、高校2年に進学する前に中退してしまったらしい。  16才でプラプラしていたところ、近所の小さな工場の社長さんが面倒をみてくれたようで、そのまま優司さんは契約社員で働かせてもったそうだ。三年ほど働き続けているうちに、工場の仕事の面白さが分かってきて、そんな優司さんの姿を見て、社長さんが提案してきたらしい。  『高卒の資格が取れるようなら、正社員にしてやってもいい。定時制高校に行って来い』と。  そういう訳で優司さんは20才のときに、ぼくの通う千葉県立桃古西高等学校(通称:西高)の定時制に入学し、晴れてぼくのクラスメートとなったのだ。  入学した時から優司さんは、社会経験があり分別もある大人で、そのときから正直ぼくは『すごい人だなぁ(大人だなぁ)』と思っていたのだが、高校1、2年を過ごしてきて、優司さんのすごさは更に磨きがかかった。  定時制の高校生はおとなしい人が多いため、クラスを引っ張るのは、快活な優司さんしかいなかった。  今ではクラスの誰もが敬うようなリーダーシップを発揮して、優司さんはクラスをまとめ上げている。  本人の前では恥ずかしくて言えないが、ぼくはそんな優司さんを尊敬していた。とても『16才のときは、ヤンチャだった』というのが信じられないくらい、今の優司さんは頼りになる大人だと、ぼくは思っている。  ぼくは『だだいま』と言ってアパートのドアを開け、自室に入って満を持してスマホのトークアプリを開いた。  優司さんのメッセージが表示された。 ----- <ゆうじ> 「やったー!今年から正社員になれだぞ!」 <セナ> 「どうしたんですか?正社員は高校卒業してからじゃなかったんですか?」 <ゆうじ> 「なんか知らんが、社長が『今年から正社員だ頼むぞ』って言ってきた」 <セナ> 「とにかく、おめでとうございます!」 <ゆうじ> 「そういえば知ってたか?苅田が赤点で進級できずに学校を中退したらしいぞ」 <セナ> 「まじスカ?」 <ゆうじ> 「クラスの仲間が去るのは、さみしいな」 <セナ> 「苅田さんが辞めちゃったら、ウチのクラス14人になっちゃう」 <ゆうじ> 「あれだけ赤点とってりゃ、苅田ダメかな、とは思っていたが」 <セナ> 「勉強、見てあげればよかったでしょうかね」 <ゆうじ> 「瀬那、お前そんなに頭良かったっけ?」 <セナ> 「少なくとも、優司さんよりかは」 <ゆうじ> 「言うねぇ。覚えてろよ」 <セナ> 「最近は物忘れが激しくて」 <ゆうじ> 「じゃ、詳しくは明日学校で」 <セナ> 「また明日!」 <ゆうじ> -----  ぼくは、トークアプリを閉じた。  なんということだ。  優司さんは、卒業を待たずに正社員になってしまったようだ。社長さんのどういう風の吹き回しなのだろうか。  羨ましい、というか、でも、優司さんなら当然だと思った。  もしかしたら社長さんは、ここ2年間の優司さんの成長を目の当たりにして、気が変わったのかもしれない。  そして、苅田さんが学校を辞めてしまうとは。  苅田さんは、ぼくより2コ年上で、いわゆるヤンチャタイプの人だった。  勉強もついて行けなかったみたいだが、休みがちで出席日数も足りなかったかのかもしれない。  そんな苅田さんの話し相手になってあげていたのも、やっぱり優司さんだった。  そんな風に優司さんは、クラスのみんなから信頼されていた。  とにかく、明日優司さんと話す話題には事欠かなかった。  そんな風に思いながらぼくは、机の前に座り、のんびりと明日の学校の準備をした。明日は始業式だから、特段持っていくものもないのだが。  こんな風に、夕方まったりできるのも、春休み最終日の今日で最後。明日からは、この時間から定時制高校の3年生の生活が始まる。  そう思うと、このダラダラした時間が、とても貴重に思えた。  ぼくは机の上にスマホを置いて、さっき入谷さんに入れられた“ねこじゅえる”を開いた。  “ねこじゅえる”をやって、とことん最後のダラダラを満喫しようと思った。  “ねこじゅえる”というゲームは、自分で好きな家を選んで、その家にネコのエサや、オモチャを置いておくと、しばらく経つとノラ猫がやってきて、そのネコを鑑賞して楽しむ。という、とてつもなく退屈なゲームだった。  しばらくゲームにつきあっていると、ぼくの選んだ家に“三毛猫”と“茶トラ”がやってきた。  ネコは、たまに“ジュエル”というアイテムを持ってきてくれる。  “ジュエル”とはネコの宝物で、魚の骨だったり、穴の開いたボールだったりする。  そんな“ジュエル”をある程度集めると、ボーナスゲームとして、上からネコが落ちてくるパズルゲームができるのだ。  このパズルゲームは、なかなかクオリティが高かった。  ぼくは一生懸命に、家にネコのエサとオモチャを置いて、ノラ猫を呼び込み、“ジュエル”を集め、そしてパズルゲームにいそしんだ。  何度も何度も繰り返しているうちに、なんとなく“ねこじゅえる”が人気のある理由が分かってきた気がした。  気がつくと深夜の12時を回っていた。 「あぁ、もうこんな時間か・・・」  明日は、また朝9:00からヤマシロストアでの勤労が待っている。そしてその後は17:20から学校だ。  ダラダラした時間を十分に満喫したぼくは、こうして春休み最後の夜を終えた。
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