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愛で世界は救えない
氷雨を殺すことにした。
とは言え直接あの細い首を絞めることも、胸の膨らみを避けて心臓を突き刺すこともない。
愛とか言う目に見えないもので殺すのだから、現実味はあまりない。
──愛してる
ただその一言だけが、一番最後に現実を連れてくる。
おかしな話。氷雨を殺すと決めても、僕に大した緊張はなかった。
「えぇっとねー!」
国語教師の声で我に返る。
僕の他にも居眠りしていた数人が、抑揚のある声に肩を跳ねさせていた。
「どうして老いた痩せライオンは他の動物に餌を配っているのか。ここがよくテストに出るわけだよ、てか私なら出す」
正直、彼女の声は好きじゃない。
二年目で急にフランクになったヨシザワの声は、寝るにも考え事をするにも大きすぎる。
ただ今日だけは感謝すべきなのだろう。
ぐるぐると低回する氷雨への考察を、その声でかき消してくれたのだから。
始まったばかりの現代文B。
消し損ねたチョークの白い粉末が、水墨画のように黒板消しの航跡をなぞっている。
板書もないから机の下でスマホを触っていると、若からラインが届いた。
《帰り、凱世の墓参り行かね》
《いいよ》
正直気は進まない。
けれど、行かないわけにもいかなかった。
僕が初めて自分の愛結晶を恐れた事件。久慈塚凱世の自殺と、その三ヶ月後に起こった殺人事件について。僕の贖罪は、まだ終わっていないのだから。
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