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夕食はフレンチのコース料理だった。何でも、一度は引退した一流のシェフがこのホテルの為に復帰して腕を振るっているのだという。肉や魚、野菜といった材料の調理や盛り付けに細心の注意を払っているのは、すぐにわかった。沙奈恵の皿は同じ料理でも形や盛り付けが少し違っていて、子供にも食べやすくしている。味付けも変えているのだろう。
他のテーブルも家族連れが多い。何かのお祝いをしているような賑やかな家族もいれば、静かにテーブルを囲んで食事を楽しんでいる家族もいる。
自分達はどう見えているのだろう、と孝介は思った。仲の良い家族のように見えるのだろうか。
結婚当初は良かった。だが、生活を重ねるうち、あちこちにほんの少しのほころびが見えて来た。結婚前はこんなじゃなかったのに。それは愛美の方も同じだったろう。恐らく「こんなじゃなかった」ことは昨日今日出て来たことではなく、ずっと前から自分達の中にあったことだ。
孝介も愛美も、それぞれの仕事の忙しさにかまけてそのほころびを直視しなかった。それがいけなかったのだと、今は思う。小さなほころびだったものはいつしか広がり、亀裂となり、沙奈恵が産まれた頃には埋めようのない溝となっていた。
二人をかろうじて夫婦として結びつけていたのは、ひとえに沙奈恵の存在だった。しかし、限界は近づいていた。このまま家族と一緒にいるか、家族の手を離してバラバラになるか。猶予はもうあまりなかった。
そんな時、降って湧いたように出て来たのが、この旅の話だった。抽選に当たったという連絡メールを見て、手が震えたのを覚えている。これが家族の最後の思い出になるのは明らかだった。
「パパ、食べないの? おいしいよ」
沙奈恵の言葉に、孝介は我に返った。食事の手が止まっていたようだ。
「あ、ああ、食べるよ。こんな美味しい料理、しっかり食べないとな」
多分、こんな料理は二度と食べられないだろう。
「……あのね、パパ、ママ」
沙奈恵はおずおずと、だがしっかりした口調で言った。
「学校の先生が言ってたの。離れ離れになっても、パパもママもわたしも、ちゃんとみんな家族だって。クラスのみんなも、ずっと友達だって。だからわたし、大丈夫だよ」
沙奈恵のクラスの担任は、若いけれどいい先生だと評判だった。これから自分の手を離れて行く教え子に、最後にかけてくれた言葉だろう。沙奈恵は周囲の人に恵まれていた。
と同時に、自分達が沙奈恵にまで気を使わせていたことを感じ、孝介と愛美は気恥ずかしくなった。
「さあ、ごはんを食べちゃおっか。この次はデザートだぞ」
「わあい、デザート食べる食べる!」
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