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七夕前日【織姫の場合】
赤ちゃんの泣きわめく声が聞こえる。どたばたという足音が聞こえる。
「まま、みて!」
「待って。危ないから止まって! パパ、手伝って!」
織姫は、部屋の中を走り回る四才のやんちゃ坊主を追いかけ、奥の部屋に大声で呼びかけた。
「今行く」
奥から現れた男性は、息子の前に立ちはだかる。
「はっはっは。ママにかまってほしければ、この俺、PAPAを倒すのだ!」
「でたな! ぱぱ! たーくんがやっつけてやる!」
『たーくん』がファイティングポーズをとり、にやりと笑った。
その隙に織姫は、赤ちゃんを抱き、寝室へと向かう。ベッドの上で授乳を始める。何気なく首をそらすと、窓枠に下がっている、てるてる坊主が目に入った。首の部分に紐がくくりつけてあるので、頭が下がってしまっている。
男と織姫は、五年前から同棲を始めた。始めのうちは、彦星に会えなくて落ち込んでいた織姫を慰めてくれる「ただの男友達」だった。飲み会を重ねるうちに、お互いに恋心が芽生えてしまったのだ。
彼はもちろん、織姫が彦星と結婚していることを知っている。「あなたのことは愛している。でも籍を入れることはできない」と泣く織姫に、それでもいいと言ってくれた、懐の深いひとだ。
織姫は自分のことをずるいひとだと思う。彼の優しさに漬け込んでいる自覚はある。彦星もきっと七月七日以外は他の女とよろしくやっているはずだ、と思うことで罪悪感を薄れさせようとしている自分のことを、あさましく思う。それでも、織姫は欲しくなってしまったのだ。
たった一日だけの情熱的な逢瀬ではなく、日常的な夫婦の情愛が。
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