僕と、彼の結婚

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   ※     ※     ※ 「……それで、これからどうする気だ?」  編集部から戻って来た僕の報告を聞いた後で、達仁は静かに言った。  卒業式を終えた達仁の部屋には段ボールが積み上げられ、カーテンすら取り払われた窓から差し込む夕陽が、剥き出しになった床を橙色に染め上げていた。  僕と違って勤勉で成績も優秀な彼はしっかりと就職活動にも励み、四月からは一部上場企業への就職が決まっていた。数日後には、会社が保有する独身寮での生活が始まるという。さんざん世話になった彼に、せめてもの餞にと良い報告を持ち帰りたかったが、結果はまたも同じだった。 「どうもこうもない。実家に戻るわけにもいかないし、とりあえず来月の家賃を稼がなきゃならないから、アルバイト先でも探してみるよ」  僕は努めて明るい声で返した。呪いが解けたような、妙に晴れやかな気分で全身が満たされていた。編集者は初めて「だいぶ良くなったね」と褒めてくれたものの、結局僕は、壁をぶち破る事はできなかった。夢破れた兵は、敗残兵として生き恥を晒していくしかない。これから先の事なんて何も思いつかなかったけれど、泥水を啜りながら生きて行く覚悟だけはできていた。  しかし―― 「それでいいのか?」  達仁は咎めるような口調で、言った。 「諦めるのかよ。お前、絶対漫画家になるって言ってただろ。あんなに面白い漫画描けるのに、もう辞めるのかよ」 「仕方ないだろ。そもそも僕には、才能なんてなかったんだ。自分の能力を見誤った。それが全ての失敗のはじまりさ」 「そんなことない!」  達仁は僕の両肩を掴み、叫んだ。 「お前には才能がある! 俺が保証する! お前は絶対、将来有名な漫画家になる! 辞めるなんて言うなよ! 描き続けろよ!」 「簡単に言うなよっ!」  僕は達仁の腕を振り払うようにして、言い返した。 「お前にはわからないだろ! 働きながら描き続けるなんて、無理なんだよ! でも、働かなくちゃ生きて行く事すらできない! もうどうしようもないんだ! 描きたくたって、描けないんだよっ!」  沈黙とともに、夕陽が達仁の端正な顔立ちに深い影を落とした。  僕はいたたまれなくなって、下唇を噛み締めた。 「……できる事なら、僕だって諦めたくない。でも、どうにもならないんだよ……。僕にはもう、自由に漫画を描いていられる時間なんてないんだ……」 「……描けばいいじゃんか」  達仁は、ポツリと言った。 「え?」 「描きたいんだろ。描けよ。働かなくたっていいよ。何も心配せずに、描き続ければいい」 「お前、話聞いてたのか? 働かないで、どうやって生活していけっていうんだよ。家賃もかかるし、水道光熱費も、最低限の食費だってかかる。卒業すれば税金や保険だって払わなくちゃならないんだ。何も心配しないで描き続けるなんて、そんな……」 「方法は、ある」  僕の言葉を遮るように、達仁は言った。 「俺と、結婚するんだ」
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