4. まじか

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4. まじか

>>どこで何してんの?  それだけだった。  何だ、これは?  まるで学生仲間のような口調。挨拶の言葉すらない。  こちらが思い悩んでいたのを知ってか知らずか——まあ、知っているわけがない。    女という生き物は時に本当に無神経だ。そう認識を上書き保存した。  こんなのありかよ——。  散々悩んでいた自分が馬鹿に思える。  どう返したものか。  頭を捻り始めたところに、女将が細い腕に一升瓶を抱えるようにしてやって来た。  スマホを伏せてカウンタに置く。 「お待たせしました」  銘柄をこちらに見せて確認し、その場で日本酒用のグラスに注いでくれる。  最近の日本酒の好みは「生」であったり「無濾過」であったり「原酒」であったりするのだが、それにぴったりの一本だった。 「はい。どうぞ」 「いただきます」  卵型のグラスの曲線が手にも心地良い。  澄んだ液体をほんの少しだけ、口に含む。  すっきりとした口当たりながら、しっかりとした旨味が鼻腔に広がる。喉越しも嫌味なところが全くない。  そうだ——。  返信する内容を思い付き、グラスを置いてスマホに持ち帰る。  当然ながら挨拶など抜きだ。極力単語だけで返してやる。 >>飲み屋のカウンタ。 >>鰆の西京焼き。 >>奥播磨純米吟醸無濾過生(おくはりまじゅんまいぎんじょうむろかなま)。  数秒間、画面を眺めたところで、すぐに返信が来るわけもないと思い直して西京焼きに箸を付けた。  美味い。  控えめな香ばしさを放つ味噌の風味とデリケートな塩味が、鰆本来の旨味を引き立てている。奥播磨との相性も抜群だ。  そこでまたスマホが着信を知らせた。 >>なに⁈ どこの店?  驚いた表情と口から涎を垂らした物欲しそうな表情、二つの絵文字が添えられている。  軽く笑ってしまったところで女将と目が合った。  女将はわざとらしい意味深な笑みを目元に浮かべている。  駄目だ。何故か分からないけれど、バツの悪さを感じてしまう。  すぐに視線をスマホに落とした。  この店はホームページもなく、グルメサイトにもほとんど情報が出ていない。辛うじて店名と住所、電話番号が分かるくらいのものだ。  面倒なので、情報サイトのリンクだけをLINEで送った。  奥播磨が進む。箸も進む。  西京焼きの風味と純米吟醸の旨味——いや。それだけではないのだろう。そこに今、彼女とつながっているスマホがある。  が、次に届いたLINEを見て、箸が止まった。  瞬時には理解が追いつかなかった。  箸を箸置きに丁寧に置いて、両手でスマホを持ち、あらためて内容を確認する。それは再確認の必要などない、短いメッセージではあったのだけれど。 >>三十分で着く。  加えて、ダッシュして走る姿のスタンプが一つ。 「まじか」  思わず声が出たことを自覚した。  店内を見渡す。その途中でまた一瞬だけ女将と目が合った。  女将が一人で切り盛りしている店だから広くはないが、週末といえども混んでもいない。  広々と六席取られたカウンタの反対側の端に別の客が一人。テーブル席に一組二人。それだけだ。 「あの」  女将にかけた声が上ずりそうになって、一つ咳払いをした。  包丁を使っていた女将が、不思議そうにこちらを見た。 「どうされました?」 「一人、連れが来るみたいなんだけど、大丈夫ですよね?」 「ええ、もちろん。さっきの名刺の女性ですか?」  女将は好奇心を隠そうともしない、とても楽しそうな視線を投げてきた。  幸いにも女将はまたすぐに手元に視線を戻したので、何故だか本当にほっとする自分がいる。  こんなドキドキを味わえる飲み屋はないだろう。 >>どこにいるんだよ?  尋深にそう送って少し待ってみたが、返信が来ないばかりか既読にすらならない。  本当に来るつもりなのだろうか。  半信半疑の信と疑の割合が、短いサイクルで行ったり来たりを繰り返しながら、奥播磨が進む。  アルコールが回り始めると、意識は再び過去に飛んだ。  APTに入ってしばらくして、季節は梅雨を迎えた。  あの年は例年以上に豪雨が多く、自転車通学もままならない、ましてやテニスどころではない日々が続くようになった。  その日も長かった雨が前日の夜にはあがって、やっとコートが使えるかなと思って様子を見に行ったところに、またぽつぽつと雨が降り始めたのだった。  暗澹(あんたん)たるグラデーションを描いた低い空と、徐々に水溜まりが大きくなっていくコート。  傘を持っていなかった。水溜まりに広がっては消える波紋と同じだけ自分が濡れていくのを感じていると、後ろから差し出された傘に視界が遮られた。 ——傘、持ってないの?  そう声をかけてきた傘の主は尋深だった。  
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