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憤然となり口を開きかけたわたしの気配を察した澤野さんにぐい、と腕を掴んで引っ張られる。そのまま引きずられてその場から退場させられかけながら、彼女がわたしが言葉を発するのを防ぐように大きめに声を張るのを聞いた。
「えーと、それで。…礼服お出しした方がいいんでしょうか。それともスーツ上下で?色は無難に黒か紺ですよね?」
とっくに着替えたと思しき茅乃さんがちょっと訝しげに澤野さんに尋ねる。
「それって。あの人の部屋にあるんじゃないんだ?柘彦さんの服なのに」
「滅多にお召しになることないですから。衣裳部屋に保管してこちらで管理しています。定期的に虫干ししたり、メンテナンスに出す手間がありますので」
「そう。本当に着ないのねぇ、正装は。普段あの方」
しょうがない人ねぇ、みたいなやれやれって雰囲気の呉羽さんの笑顔がどうしてか残酷に見える。
廊下の端に佇むわたしがその場にいない存在みたいにスルーして目の前で踵を返し、澤野さんを促した。
「わたしも一緒に選ぶわ。彼に任せておくと決まるのに時間かかりそうだもん。サイズは昔から変わってないわね、きっと。あの人今でもすらっとしているし」
「むしろ学生時代よりお痩せになってるかも。とにかく食が細くていらっしゃるから…」
二人で会話を交わしながら遠ざかっていく。
ぼうっとその背中を見送ってるわたしの頭をいつの間にか隣に来ていた茅乃さんが軽く小突いた。
「そんな顔しない。大丈夫だよ、わたしもついてくから。本当は奥様がいるんだから彼だけでも平気かなと思ったんだけど。何か失礼があったらと思うと気が気じゃないからね、こっちも。夜は泊まらないでわたしだけでも先に帰って来たいなと思うけど、どうかなぁ。ホテルの会場を借りてるみたいなんで。もし遅くなったらそっちに泊まってくるわ」
「でも。…どのみち柘彦さんは先方のご実家に泊まるんですよね」
ホテルならまだしも。よく知らない人の家に泊まって赤の他人に囲まれて、そこで社交的に振る舞うなんて。どう考えてもあの人のキャパを超えてそう。
だけど、本人が行くって言うなら。わたしにはどうにもできないし。
思わず茅乃さんの方を振り仰いで懇願した。
「柘彦さんを。サポートしてあげてくださいね。無理させないで。…仕方ないんです。できないものはできないの。本人だって、苦しいんですよ。どうしようもないことだってあるんだから」
茅乃さんにそれが理解できるかどうか。コミュ強者には難しいことかもしれないが。
案の定彼女は苦笑して思い詰めたわたしの言を軽くいなした。
「まあ。いい大人なんだから、呉羽さんの言う通り場数踏んでいきゃそのうち慣れるよ。これまでそういうの苦手だからって避けすぎて克服しようって気も起こさないもんだから。それに対して何も言わなかったわたしたちも悪いんだけどさ。…大丈夫、ちゃんと最初のうちはわたしや呉羽ちゃんが助け舟出すから。あんたが心配するようなことは何もないんだよ」
「そう。…でしょう、か…」
わたしにはそこまで確信できない。
ばたばたと慌ただしくみんなが急な要件に対応しようと走り回ってる間、一人ぼんやりとキッチンに引っ込んで夕食の支度に取り掛かりながら考えていた。
どう考えても苦手だし向いてない、って本人も自認していたことに。不承不承かもしれないけどそれにしても柘彦さんが同意して連れて行かれようとしてるのは何故なんだろう。
わたしの知ってる以前の彼ならしたくないことは絶対に承知しない、頑として受け入れないって態度がはっきりしてたのに。茅乃さんがぶつぶつ文句言ってるだけで、みんなどうせ彼の意志は曲げられないって諦め気味だった。
変わろうと決意してるとしたら。全部あの人のためなのかな。
結婚して奥さんができて初めて、誰かのために苦手なコミュニケーションも頑張ろうって。本人がそう心に決めてのことなら、わたしなんかに口挟める話じゃない。それはちゃんとわかってはいる、んだけど。
何だか変な胸騒ぎがするのはどうしてなのか。
また階段の方からざわめきが伝わってきた。どうやらそろそろ支度ができて一行が出かけるところらしい。
別にわたしが見送りに出る必要はないはずなんだけど。どうしても気になって、包丁を急いで洗って片付けると手をエプロンで拭いながら慌てて足をもつれさせて階段を降りていった。
三人はちょうど今しも通用口から外へと出ようとしていた。
呉羽さんがいたわるように柘彦さんの背中に手を添えて二人は戸口の方へと向いている。その後ろに立つ茅乃さんは見送る澤野さんと常世田さん、それから今追いついたわたしの方に目をやってにっこり笑い、
「じゃあ、なるべく早く帰るけど。留守の間お願いします。眞珂、少しでも勉強する時間ちゃんととって。夜更かししないで早く寝なさいよ」
「子どもじゃないです。もう二十歳ですよ」
反射的にいつもの調子で言い返しつつ、こちらに少しも顔を向けない柘彦さんの方が気にかかる。
扉の外へと促されるきちんと正装した彼は、普段のゆったりした雰囲気からは見違えるほどきりっと凛々しく素敵な立ち姿だったが。横顔から伺える目は虚ろで空っぽ、自分に寄り添ってる存在が誰なのかも認識してないように見えた。
「柘彦さん」
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