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堤さんに軽く手で制される。
「大丈夫だ、来訪者用のカメラは事務室に繋がってるから。そこから遠隔で開けられるよ。お前の脚で走ってったってそれよりは遅いから、どうせ間に合わない」
そういう仕組みになってるのか。いつも外から帰ってくるとき、自分の手で開けてたから。別に車降りる必要ないって知らなかった。
確かにうぃん、と音がして自動で門が開いていく。難なく赤いスポーツカーは敷地内に入ってきて、再びその後ろで門は何事もなかったように閉まっていった。
「…こんにちは。こんなお天気の中お疲れさまです。ご精が出ますわね、皆さん」
ばたん、と音を立ててドアを閉めてから彼女がわたしたちを見つけてこちらに近づいてきた。
わたしより遥かに世馴れた師匠が明るく軽口を叩いてすかさず応対してくれた。
「相変わらずお綺麗ですね、お嬢さん。いやもう奥様か。とてもそうは見えないよねぇ。お若くて、いつもきびきびしてらっしゃる」
「こう見えて結構歳、いってるんですよ。お世辞ならありがとうございますとお応えしておきますけど…。こんにちは、あなたは式でお会いした奈月さんの彼ね。いつもこうやって小まめに会いに来て。お仕事は大丈夫なの?」
矛先が哉多に向かった。奴もやっぱり人当たりだけはいいので、特に怯んだ風もなく平然と言葉を返す。
「あ、俺まだ学生なんで。今四年ですけど…。就活と卒論あるんでいろいろと落ち着かないけど。何かと暇見つけてここに来てます」
「そう。仲良しで羨ましいこと。…わたしたちも見習わなくちゃね」
「お見合いなんですから。まだまだこれからでしょ。関係を深める時間なんて一生かけてもいいわけだし、いくらでも先がありますよぉ」
微妙な話題になりかける雰囲気をあっけらかんとひっくり返して自然とその場を明るくした。さすが、空気読まないことには定評がある男。
彼女はふと口の端で微笑んで、わたしと哉多を見返した。
「そうね。…まだ結婚したばかりだもん。もっと頑張らなきゃ、わたしも」
それからぐるりと庭園を見回し、ついで館を見上げる。
「こんな素敵なお屋敷と。丹精込めたバラ園があるんだもん、絶対失敗しないように。きちんとこの資源を活かして最高の状態で、よりたくさんの人たちにここを知ってもらえるようにしないとね」
「…あの人もどうやら。お屋敷に恋した口かね?旦那さんにというより」
彼女が充分に遠ざかったのを見計らってから師匠がぼそり、と突っ込みを入れる。哉多は霧吹きで薔薇の葉っぱに水を吹きかけて微かな虫の巣を飛ばしながらそれに対して軽く相槌を打った。
「まあ。そういう側面はあるんじゃないすか?だからあんなにかやちゃんと意気投合してるんだろうしね。だけど完全にそれだけとも言えないでしょ。あのタイプ、周りの人間が思う通りに動かないと気が済まない性格じゃない?あんまりあの旦那が奥さんに毛程も関心を持たないのがあからさま過ぎると。変に荒れそうで、ちょっと心配なんですよねぇ…」
「そうか。気性激しそうだもんな、確かに。…奈月、お前巻き込まれないように気をつけろよ」
「へ?わたしですか」
突然前触れもなくこっちにお鉢が回ってきてきょとんとなる。薔薇の葉や枝に虫がついてないかひとつ一つの木を見て確かめて回りながら片手で霧吹きを構えて思案しつつ適当に答えた。
「わたしなんか。呉羽さんみたいな人からしたら多分眼中にもないと思う。ただのお屋敷の下っ端の使用人でしょ。名前覚えられてると思わなくてさっきびっくりしたくらいだから。きちんと向かい合って話したこともないよ」
師匠が何となく意味ありげに肩をすくめる一方、哉多の方は遠慮も何もないあからさまな口振りでずけずけと言い募る。
「わかんないかなぁ。そういうのがむしろ剣呑なんだよ。かやちゃんや澤野さんに対してはきちんと敬意を払って接してるのがわかるけど。うっかりお前があの旦那と親しげなところ見せたりしたら意外に本気で切れそう。ちょっと、下に見てるところがかえって危ない感じだよな。こんなちっぽけな泥棒猫に夫を掠め取られた、みたいな勢いで騒ぎ出すんじゃないの」
いろんな意味であんまりな物言いだ。彼女に対しても、わたしに対しても。
「どうせお屋敷の隅っこに住み着いた野良猫ですよ。それに、わたしと柘彦さんは誓って疑われるようなこと何もないし。もし万が一目が合ったとか口利いたくらいのことがあったとしても、そんなくらいでキレるほど冷静さを失う人じゃないでしょ。ていうかまず。…そこまで自分の夫に対して。特別な関心ってあるのかなぁ…」
実際に不貞があるのならともかく。視線を合わせたとか二人で会話した、くらいで逆上するのってどう考えてもただのやきもちだ。
あの人はそこまで個人的な感情彼に対して持ってはいなさそうだし。わたしが目をつけられる要素って、他には全然思い当たらないもんなぁ。
「奈月は若いな。まだ全然わかっちゃいねぇじゃんか。自分の配偶者がよその野郎に取られる、で怒りに燃えるのは何も愛情のせいとは限らねぇよ。特にあのタイプはな。人間にゃ所有欲ってもんがあるんだ、ややこしいことに」
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