第17章 猫はどこで眠る

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師匠は花鋏を手に手早く余計な芽を摘み取りながら、冷静な口調で結論づけた。 「そこに愛があるかどうかなんて関係ねぇ。自分の持ち物を目下だと思ってる相手にちゃっかり掠められたと思ったら。レベルの高い奴に対してより余計に腹立つだろ?」 「う。…つまらない雑魚だからこそ、って言うわけ。ですか」 目下、ってはっきり言われた。まあ、ねぇ。現代日本に身分制度はないっていうのは建前としてありでも。師匠の言いたいことはわかる。 「とにかくあのご当主に近づかないように気を配って距離置いとけ。数年も経てば旦那に対してなんてどうせ何の関心も持たなくなる。今はな。新しく手に入れたぴかぴかの玩具だから…。飽きて目もくれなくなるまで関わり持たずに目立たないよう大人しく身を潜めてりゃ、台風警報もそのうち何の爪跡も残さず遠ざかっていくさ」 花鋏を使いながらどこか達観した口振りで堤さんがそう結論づけると、哉多が元気よくはいはい、と小学生みたいに手を挙げて嬉しそうに発言した。 「大丈夫ですよお師匠さん!何たって眞珂には俺がついてますから。ぴったりくっついて今より一層ラブラブアピールしておけば。こいつにはちゃんと彼氏いるんだ、って認識されて矛先がこっち向かなくて済むんじゃないかなぁ。あの人からの敵意の的にならなけりゃそれでいいんでしょ?」 堤さんは花鋏を操る手を止めて、一瞬渋い顔を見せた。 「『振り』だけならな。実際にいちゃいちゃする必要はねぇだろ。こいつも嫁入り前の若い娘なんだから。あんま、気軽にべたべたすんなよ」 「やだなぁ師匠。軽い気持ちで触ったりしませんよぉ。俺はこう見えて実は結構紳士なんですよ。人は見た目じゃ計れませんよ〜」 「ふん。へらへらしやがって、本当に頼れるんかい。当てにはならんけど」 憎まれ口を利いてからわたしの方へ向き直った。 「まあ、ごく普通に振る舞ってりゃ大丈夫だろ。今んとこそれほど先方の眼中にないのは確からしいし。ただご当主に関しては地雷踏む可能性がなくもねえから、せいぜい慎重にな。奥さんより付き合い長いとか、信頼関係があるとか。そういうとこわざわざ見せねぇでいいから」 「…大丈夫です。見せる機会もないですよ」 わたしは屈んで薔薇に向き直り、きっぱりと言った。 自分は他のみんなよりちょっとだけ、彼の心に近い場所にいた。ここに来てから長いことそんな風に自惚れてる時期もあった。 だけど彼の中の、他人といるときの精神的な負担やいたたまれなさには全く気づいていなかった。多少は支えられるかも、なんてただの思い上がりだったんだ。 そんな繋がりよりも彼はお屋敷とバラ園を資金と経営手腕で立て直してくれる人を選んだ。それが事実なんだから。距離も近くないし信頼関係にもない。 自分の中の彼への思い入れは少しずつ捨てなきゃならないな。この調子だと、例え胸の奥に押し込めておいても周囲に全く気取られないでいるのは難しいのかもしれない。と立ち上がってそっとため息をついた。 その晩の夕食の時間。 豪奢なフォーマル用ダイニングルームを当主夫妻を迎えるために念入りに整える。今夜もお二人はここで揃ってお食事を召し上がるらしい。テーブルの中央に新鮮な薔薇を活けるわたしを手伝って、横で台の上を布巾できれいに拭きながら哉多が文句を言った。 「俺たちはここで食べるんじゃないの?なんか、使用人感半端なくない?」 澤野さんがナプキンとカトラリーを整然と並べつつきっぱりと応えた。 「わたしたちは実際使用人だから。ご当主とその奥様はご主人さまなんだし、立場が違うに決まってるじゃない。だけど、哉多くんは考えてみればわたしたちとは違うか。柘彦さんのご親戚のそのまた親戚だから。なんなら自分はここで一緒に食事する権利がある、って堂々と主張してもいいのよ?そんな勇気があれば、だけど」 奴は滅相もない、といった顔つきでふるふると首を横に振った。 「勇気は別になくもないよ。だけど、あの人たちに混じって自分だけここで食べるのは真っ平ごめんかな。ご飯の味全然しなさそうじゃん?眞珂や澤野さんと一緒に向こうで食べる方がいいや。楽しくなさそうだもん、こっちじゃ」 まあ。気持ちはわからなくもない。 それでもその気になれば哉多は臆するところなく平然と呉羽さんと渡り合って会話もこなせそうだけどね。できると楽しめるはやっぱりまた別なのか。こいつも見た目ほど天然てわけじゃないんだな。 と内心で感心してると、二人が連れ立ってダイニングルームに入ってきた。正確には呉羽さんが柘彦さんを連れて、だ。溌溂とした顔つきと活き活きと光の溢れる目で現れた彼女に半分隠れるようにして入ってきた彼の顔は、能面というか誰かの手で仕上げられた精巧な作り物のようで。生気ってものが全く伺えなかった。 「柘彦さん。食前酒はわたしが選ぶけど、それで構わない?」 断られたり異議を唱えられる、って全く想定してない泰然とした態度。席についた彼はほんの僅か、頭を上下に動かしたように見えた。 「よかった、念のため食材をひと通り揃えてあって。東京からなら車でひと走りしてくれば。高速混んでなければほとんど時間かからないですもんね?」 仕事が一区切りして、挨拶のためにダイニングに入ってきた茅乃さんが弾んだ声で彼女に話しかける。
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