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呉羽さんは気後れした風もなく、平静な声で茅乃さんに向けて穏当に受け応えた。
「ごめんなさいね、急にこちらに泊まることにしちゃって。来週から急遽アメリカに出張が決まったの。そしたら少しでも時間のあるときに柘彦さんに会いに来ないと、って思って…。今日は急げば早めに仕事じまいできそうだなってなったから。ちょっと頑張ったの、わたし」
嫣然と微笑む。わたしは身を縮めてこそこそと隣のキッチンへと退散した。
予期したとおり、茅乃さんのはしゃいだ声で二人の仲を囃すのがこっちまでびんびん響いてきた。
「もう、羨ましいなぁ。聞いてるとやっぱりわたしもそろそろ結婚したいかなぁ、って思うようになっちゃいますよ。ちょっとでも時間があったら隙あらば駆けつけて顔を見たい、なんて。そんな毎日だったら張りがあるだろうな…。あー、わたしもお見合い。しようかなぁ…」
「嘘つけ。仕事の邪魔になるものはあと十年は人生に組み込みたくない、まだまだ自由でいたいのとかほんの数週間前言ってたくせに。よく言うよ、あんな心にもない迎合」
キッチンまで聞こえてきた茅乃さんの大声に、哉多が白けた顔でぼそりと突っ込んだ。まあ、ここで小さな声で言う分には。絶対に向こうまで聞こえないからいいけど。
「嘘って決めつけるのはよくないよ。もしかしたらこの数日で考え変わったのかもしれないじゃん。茅乃さんだってまあ一応そういうお年頃なんだから。影響されて結婚したいって気になったって別におかしくはないでしょ」
わたしがたしなめると、奴は声を抑えはしたけど頑強に首を振って言い張った。
「あの人に限ってそんなのないよ。ああやってご機嫌取っとけばお屋敷に気持ちよくお金落としてもらえる、って目算なんだろ。見てろ、そのうち。資金援助のお願いか館改修の相談始めるぞ。そのための前振りなんだよ、あのおべんちゃらは」
言ってるそばからうっすらそんな方向に話が傾き始める。
「アメリカでは取引先のお客様のところを回られるんでしょ?お忙しい中ご苦労様です。結婚なさったこともご報告なさるの?せっかくですから。こんな結婚生活です、って写真なんかも披露なさればいいのに。いい機会だから柘彦さんやこのお屋敷や、庭園の写真も撮っていかれたら?」
「そうね、完全にビジネスだけの顧客はともかく。プライベートの交流もあるお仕事関係者にはちゃんとこの機会に報告しとかないとな…。あ、ありがとうございます。柘彦さん、お食事の邪魔して申し訳ないけど。ちょっと、顔上げて。下鶴さんの方を見て」
スマホのカメラのシャッター音が微かに伝わってくる。ご飯食べてるところを写真撮られるのか。何かの罰ゲームみたい。飯くらい落ち着いて食わせろ、なんて。…柘彦さんに限って。言うわけないよね。
「まあ。あんな貴族が使うみたいな豪華なダイニングで超美形の旦那と上品に上流階級よろしく飯食ってるとこ。そりゃ知り合いに自慢して回るよなぁ、これ自分ちなんです!とか言ったら。外人さん、ニホンジンはみんなタタミの部屋に寝起きしてるんじゃないデスカ?とかめっちゃびっくりしてくれそう」
「さすがに洋室に住んでる方が今どき多数派なことくらい。日本に友人がいるくらいの人なら普通に知ってると思うよ…」
能天気に聴き耳を立てて伸び上がってそっちを伺ってる哉多に適当に相槌を返しながらわたしはオードブルをきれいに盛り付ける。澤野さんにチェックしてもらってOKのお墨付きを頂いた。
「ん、よし。上手に仕上がってるわ。そしたら眞珂ちゃん、それ向こうにお出ししてきて。すっと前に置いてちゃっと帰ってきちゃっていいからね。その間にお魚完成させちゃうから」
「は。…行ってきます」
オードブルを二人前、手にしてダイニングへと向かう。背後から哉多の小声が飛んできた。
「絡まれても相手にしなくていいよ。頭だけ下げてぱっと戻ってきなよ」
どうしてかみんなすごくわたしのことを、呉羽さんにいちゃもんつけられそうだって心配してくれる。だけど結果的に言うとそれは杞憂だった、と言っていいかもしれない。
一礼してしずしずと入室し、丁寧に彼らの前に皿を置くわたしは能條夫妻の視界に入ってはいなかったようだ。茅乃さんでさえわたしの存在に全く気を取られた風もなく、呉羽さんと二人やたらと盛り上がって声を弾ませている。
「わあ、いいじゃないですか。我が腕ながらこれ、よく撮れてると思う。被写体がいいからなぁ…。館のいろんなとこ、是非撮っていってくださいね。明日バラ園でも撮りましょうよ、ご夫婦で。…これ見たら海外のお友達も。このお屋敷に来てみたいって言ってくれないかなぁ?それでインスタに上げてくれたりとかね。ワールドワイドにこの洋館、有名になったりして…」
それが狙いなのね。なるほど、茅乃さんがいつになく浮かれるわけだ。
呉羽さんも傾けて見せられたスマホの画面に顔を寄せながら、満足げに頷いて調子を合わせる。
「こんなすごい洋館に住んで、こんな素敵な旦那様と暮らしてるなんてみんなにどう思われるかな。…どう控えめに報告しても自慢してるって思われちゃう。でも、そうね。海外のお友達を日本にお招きするときはここに泊まってもらって。ちょっとしたパーティーなんかもできるといいかな」
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