果たせなかった対局

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 母・祥子(しょうこ)からの電話を受けた時、(あゆみ)は将棋の対局シーンを描写していたところだった。 「おじいちゃん、どうだった?」  歩は開口一番、祖父・武夫(たけお)の病状を尋ねた。すると祥子からは、静かな声が返ってきた。 『胃癌だった』 「嘘。ついこの前まで、元気だったじゃん!」  歩は、思わず叫んだ。そうなんだよね、と祥子は言った。 『かかりつけのお医者さんから、一緒に話を聞いたんだけど。つい半年前の血液検査では、何も異常がなかったんだって。でも今回、貧血の値がただ事じゃなくて。それで急きょ胃カメラを受けたら、腫瘍が見つかったの。明日、大きい病院に移ることになった』 「……」 『もうちょっと早く、行ってあげていたらねえ。言い訳になるけど、感染症のことがあったから……』  祥子の、重いため息が聞こえてくる。歩もつられて、深い息を吐いた。  祥子の父・武夫は、今年九十歳になる。二年前に妻を亡くして以来、一人暮らしを続けてきた。父親を案じた祥子は、何度か同居話を持ちかけたが、昔気質の武夫は『嫁に行った娘の世話にはなりたくない』と言い張った。幸い元気でかくしゃくしていたこともあり、祥子は仕方なく、父親の意向を尊重したのである。  とはいえ、武夫が一人暮らしを始めてしばらくの間は、祥子も定期的に世話をしに行っていた。ところが、世界的に猛威を振るう感染症のせいで、昨年から国内でも、往来の自粛が求められた。そんなわけで最近は、祥子は心配しながらも、電話で様子をうかがうにとどめていたのである。電話口での武夫は、いつも明るく、にぎやかに喋っていたという。それで安心していたのだが、数日前当然、『すまないが、来てくれ』と電話があった。父親がこんなことを頼むなどよほどのことだ、と祥子はあわてて駆けつけたのである。
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