七月の一週目

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七月の一週目

 水曜日にきいた話だ。  ワダコさん(勿論仮名であり、あだ名だ)の実家は、寺だ。  寺生まれだからと言って、幽霊などが見えるわけではない……と言いたいらしいのだが、どうも彼女はそれなりに霊感というものがあるらしい。といっても、目で見えるわけではない。 「なんかこう、元気になっちゃうんだよね。太陽浴びた植物みたいに、ブーストかかっちゃうっていうかハイになっちゃうっていうか、酔っ払ってるときの酩酊感? に似てるかもしんないんだけど」  幽霊に会うと元気になる、という状態はいまいち、想像しにくい。あからさまに引く僕の一つ向こうのカウンター席に座った彼女は、嫌そうに眉を寄せて睨んできたものだが――とりあえず、話を続けよう。  その日、ワダコさんは友人の清美さんに呼ばれて、とあるファミレスに向かった。  清美さんは二十代のはじめに結婚している主婦である。カフェでもランチの取れる小粋な店でもなくファミレスを選んだのは、主婦故の節約なのだろう。そう思っていたが、実際にテーブルについてみると己の勘違いに気が付いた。  清美さんの横には、見るからに怪しい男が座っていた。  セールスか宗教だ。ワダコさんはそう確信したものの、いったん席についてしまった後である。急用を思い出したからと踵を返すのも気が引ける。なによりも清美さんのことが心配だった。  清美さんは昔から少しおとなしい女性だった。結婚した男性はハキハキと物を言い、清美さんをリードしてくれる好青年であったが、彼は少し言葉がキツイ。真面目で頑固な人だから、清美さんがよからぬ団体とかかわりを持っている、と知れば激高しそうだ。  まず現状を把握し、自分がどうにかできるようならば最善を尽くさなければ。  使命感のようなものを覚えたワダコさんは、とりあえず珈琲を頼んで彼らの話を聞くことにした。  聞いてほしい話があるの、と、清美さんが切り出した話は、案の定マルチビジネスの勧誘だった。  そこまではワダコさんの想定内だった。問題は、段々とワダコさんのテンションが『上がってきてしまった』ことだ。 「飲んでるのは冷たい珈琲なのに、もう焼酎か? ってくらいにふわふわしてくる。一発でこりゃやばいと思って、とりあえずトイレに立ったわけ。理由はわかんないけど、そのファミレス絶対なんか居ると思ってさ。そのまま逃げても良かったけど、清美が可哀そうだしとにかくどうにか男だけでも帰って貰って……と思ったんだけど」  トイレで気持ちを落ち着け、酩酊を冷まし、気合を入れ直して席に戻りかけたワダコさんは、異変に気が付いた。  客が、明らかに減っている。  平日とはいえ、それなりに大きな駅の近くの店舗だ。昼時を少し過ぎた時間は、主婦や遅いランチの客で賑わっている状態が普通である。実際にワダコさんが入店した時は、並んでこそいなかったものの、満席に近かった。  それが、すっかり席が空いてしまっている。  さらにワダコさんは異変に気が付く。酸っぱいものが腐ったような、生臭いにおいが漂ってくるのだ。 「そりゃ飯屋だからね、いろんなニオイがするとは思うよ。でも、腐敗臭なんて普通はしないでしょ、それこそ飯屋なんだから。まじかよと思って、でもあたしはテンション上がってるもんだからニオイなんかぶっちゃけどうでもよくなってきて、もう清美置いて帰っちゃおうかー急用だっつってさーって思った」  ワダコさんが元の席に近づくと、相変わらず酩酊状態が襲ってくる。  判断力もあいまいになり、もうどうでもよくなった。  帰ろう。もう帰ろう。後で電話したらいい。用事ができたからと行って振り切ればいい。  困ると言われても逃げ切れる自信はあった。恫喝されても気にしない程度には、ワダコさんは神経が図太い。  あたし、帰るわ。その一言を言うために清美さんたちの背後から近づいたワダコさんだったが、途中で目を瞠ることとなった。  清美さんの後頭部に、丸い穴が開いている。  林檎くらいの大きさの穴だ。  後頭部に開いた穴からは、その向こうの景色がきっちりと見える。穴は、貫通しているのだ。  幽霊が居ると自分はテンションがあがるらしい。その体質と付き合ってきたものの、こうまではっきりと異変が見えることは珍しい。  これは駄目だ。  そう確信したワダコさんは、清美さんに何も告げずに踵を返し、ファミレスを後にした。 「……で、そのあと、どうしたんですか?」 「え。どうもしないけど。普通に帰ったけど」 「え?」 「え?」 「帰っ……え?」 「なんだ、なんか文句あるのか新入り。じゃあアンタならどうしたって言うんだよ新入り」 「どうって……なんかこう、そのあと家に帰ったらついてきた霊が夜中に襲ってきたとか……部屋から生臭いにおいがしたとか、清美さんから無言電話がかかって来たとか……」 「あるわけないっしょ、あのねぇ人生そうそう心霊現象なんておきねーもんよ。実話怪談の読みすぎだっつの」  ぐうの音も出ない。  ぐうの音も出ないので僕は、ぐうとううの中間くらいの声を出して仕方なく反論できない気持ちをビールで流し込んだ。  よく冷えたビールも、話を聞いているうちにだんだんと温くなる。外は酷い雨だというのに、湿気のせいかいまいち涼しいとは言い難い。  なんとなく六月は雨の季節、というイメージがあるのに、実際に豪雨が通り過ぎるのは七月だ。  梅雨まっさかり。  相変わらず水曜休みの僕は、降ったり止んだり豪雨になったり小雨になったりする気分屋な梅雨模様のなか、わざわざ傘をさしてとあるバーの扉を開けた。  もう来ない。そう決めたはずなのだが、決意とは裏腹に僕の足は件の怪談マスターのにこやかな笑顔の前で立ち止まっていた。  いらっしゃいませ、お待ちしていましたよ。そう笑うマスターは今日も絶妙に怪しい銀髪に、すらりとしたシンプルな黒い服だ。顔と髪が明るい色なので、そこだけ浮き上がっているように見えて嫌だ。  にこやかなマスターに迎えられ、どうぞどうぞとご機嫌に案内されたカウンターには、すらりとした女性が腰かけて冷酒グラスを傾けていた。  これが僕とワダコさんの出会いだった。  まあ、出会いといっても、特に何のエピソードもない。怪しいバーのど真ん中で、マスターに各々紹介されただけだ。  座っていても背の高い事がわかる彼女は、すっきりとした形の眼鏡を何度か押上げて睨む。どうも本人は睨んでいるつもりはないらしいのだが、ワダコ女史はなんというか、人相が悪い。  人相の悪さに関しては、僕に言われたくはないだろう。まあ、うん、その話はどうでもいい。  水曜日の夕暮れ時、件のバーで知り合った女性は当たり前のように怪談を始めた。  そもそも僕は、怖い話が普通に好きだ。オカルト版で有名な話は大体読んだし、ひとりかくれんぼスレだって(リアルタイムではなかったが)追いかけた。実話怪談本も何冊か所有している。最近は動画サイトなどで活躍する怪談師なる人々の話も拝聴している。  ホラーが好きか、と言われたら困るが、怪談が好きかと言われたらまあうん、好きなのかな? と首を捻りながらも応と答える……感じだ。  ホラーと括られると貞子や加耶子やシックスセンスまで勿論大好き! と言い切らないといけない気がするが、生憎と僕は映像系のホラーは苦手だし。人から聞く、『少し不気味な話』が好きなだけかもしれない。  そしてどうやらこの店のマスターも、三度の飯より睡眠よりも怪談が好きらしい。彼と比べたら僕なんぞまだまだ。そう思っていたものの、いざ生の怪談を耳にすると、少しばかり前のめりになってしまう。  先週の怪談を文字に起こし、某web小説投稿サイトにアップしてみた。  趣味で小説を書いてはいるものの、別段人気の作者というわけでもない。日々新着で埋もれる投稿サイトでは、地味な創作怪談は流されて行く一方ではあるが、なんというか。……書くうちに、妙な怖さが沸き上がり、それがどうにも癖になった。  魅入られた。  そう書くとなんだか格好いい。単に楽しかっただけだと言われたらその通りで、まあ、僕に向いていたのだろう。  新人作家気分の僕は、すわ新しいネタかと、つい興奮してしまったのだ。  現実は小説より奇なり、とは言うものの、確かに毎度毎度不気味でおかしな現象がそうぼこぼこと湧き上がってくるわけもないか。前回の話のように、二人も人間が死んでいるような奇怪な話が、次から次へと湧き上がってきても確かに、困る。  しかしがっかりしてしまったのも事実だ。  そうかー何もないかーそれだけかー帰っちゃったのかー。  そう思っているのが顔や態度からがっつり見て取れたのだろう。冷酒を飲み干したワダコさんは、マスターに新しいお酒を頼んだ後にこれみよがしに息を吐いた。 「まー後日談はないけど、そういや電話しても繋がんなくなったんだよね」 「…………いやそれ十分後日談じゃないっすか? え、大丈夫なんですか友達なんでしょ?」 「友達なんだけどねぇ。んー、元々そんなに仲良くなかったんだけど、なんとなくみんな結婚する歳になるとさぁ、地元ですぐ会えて若干暇があるみたいな人間そんなに居ないし、なんとなーくだらだら付き合ってた感はなくもない。って今は自分を納得させてる」  言いながら、ワダコさんは携帯をいじる。  僕との会話なんぞ興味なしか、と思いきや、ワダコさんは己の携帯を僕に差し出して『ん』と促してきた。  電話のコール中の画面。  相手の名前は『きよみ』。 「……え、繋がんないんじゃないんですか」 「んーあー……正確には、繋がるけど、よくわらかない。生きてんのか、どうなのか」 「…………………」  恐る恐る、携帯を手に取る。人様のスマホは妙にずっしりと手に馴染まない。あの感覚がやたらと気持ち悪い。  耳にあてた時にはすでに呼び出しが終わっていた。ぷつり、という音の後に続いたのは、……………なんだ、これ。 「…………」 「どう?」 「…………えーと……男の人? が、唸ってます、ね。え、なんすかこれ。こわ……え? これいつかけてもこの人が出て唸ってるんですか?」 「そう。いつかけてもその声。ちなみに自宅の電話にかけてもソレだよ。あんま関わるのもまずそうだから流石にピンポンはしてないけど」 「これはええと……例の、宗教勧誘の人の声、だったりしますか」 「うーん。いやそれがさぁ、どうも、清美の旦那の声っぽいんだよなぁ。ちょっと、本当にそうかはわかんないんだけど……あ、だめ楽しくなってきちゃうわ、やっぱ、もうだめなのかな清美」  うふふ、と口から零れるものをこらえるように、笑う。  心霊にぶち当たるとテンションがあがる。楽しくなってしまう。  ワダコさんが楽しそうにくつくつ笑うということは、きっとまあ、そういうことなのだろう。  清美さんはどうなったのか。  旦那さんはどうなったのか。  宗教勧誘の人はなんだったのか。  さて、どれがどう関係して、一体なにが、作用したのか。 「怪談なんてねぇ、友達の友達くらいの奴を聞いてるほうがいいよ。当事者になっちゃうと、笑うしかなくなるわ」  逃げられないものには関わらないほうがいい。そう言ったワダコさんは本当に楽しそうに笑い、だから人から聞く話が一番楽しい安全だから、と付け加えた。  くつくつと笑う彼女の声の後ろに、もう切ったはずの携帯から零れる男の唸り声が聞こえた気がするけど……いや、気のせいだと、自分に言い聞かせることにした。  そもそも、すべてワダコさんの自己申告だ。  清美さんに会った話も、ワダコさんの霊感の話も、なんなら電話の先だって本当に清美さんだったのか、僕には調べる術はない。手の込んだいたずらかもしれないし、ワダコさんがそう思い込んでいるヤバい人だっていう可能性もある。 「はー……飲みすぎたなぁお花詰んでくるわマスター」 「お手洗いはその奥の――」 「いやここんちのトイレ行くわけないでしょ。笑い死んじゃうわ」  ……やっぱ、全部本当なのかも。  そんで僕は、やっぱこの店のトイレは絶対に行かないと心に決めた。 /七月の一週目・終
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