異類婚 山神の嫁

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 世の中では結婚話と申しますってぇと、新郎と新婦が互いに惚れあいまして周りの皆様方からは高砂やとお祝いして頂き、そうしてようやく夫婦となるってぇのが普通でございますが、世の中には死出の別れにも等しき、畏ろしい婚姻話というのがあるようで御座います――  時は室町。足利幕府の長い統治が続いた時代で御座います。  とある深ぁい山中に宍取村(ししとりむら)という集落がございました。  この村、周りを険しい山々に囲まれておりまして、人里に下りるまで4日はかかろうかという悪所にぽつりと点在しておりまして。そんな山の中で御座いますから人々の暮らしもさぞや質素で厳しいものであろうかと思われますがところがどっこい。里が飢饉に見舞われる年でもこの村の田畑には豊かに作物が実り、猟師が獲物を求めて山に入れば手ぶらで戻る日は無いという大変に恵まれた村で御座いました。  しかしこのような深ぁい山奥に作られた村というのには少なからず秘密の理由というものがある様で御座いまして、この村では二十年に一度、年の頃は十八までの娘をひとり、山の神様に嫁に出さねばならないという“しきたり”があるというので御座います。  そして今年は前の嫁入りから丁度二十年。山の神へ嫁を出さねばならない年となりまして、此度の嫁入りには、村の猟師豊治の一人娘、みつが選ばれる運びとなりました。  このおみつと云う娘、早くに母を亡くし父と二人で暮らしておりました。こんな狭い村の中です。例え父親と瓜二つの器量といえど娘子となればそれだけで縁談が舞い込もうというものですが、これが大変に父親思いの娘で御座いましてようやく縁談の話が舞い込んでも『おとっつぁんを一人にしたら寂しかろう』と縁談を断るほどでございました。  そんな“誰も貰い手の無い娘子”だったからこそ、選ばれたのかもしれません。  さて村の長、いつもより厳つい表情をして、村の井戸端で洗い物をしていたおみつへと声を掛けにまいりました。 「おみつ、おみつ、ちょっとおいでなさい。大事な話があるんだよ」 その様子を見て事情を察した年増の女房連中が蜘蛛の子を散らすようにささーっと姿を消してゆきました。 「へぇ、何でございますでしょうか村長(むらおさ)さま」 おみつ、はて何だろうと返事を返します。 「この村は二十年毎に山の神様へ娘を一人嫁に出しているのは知っているね」 「へぇ、そういやぁ聞いたことがございます。なんでも嫁に出さないと山の神様がお怒りなさるとか」 「よく覚えていたねぇそうなんだよ。それでね、今年が丁度その年なんだ」 「あら、そうなのでございましたか。それで今年は誰が行かれるんですか?」 「おみつ、よくお聞き。今年はお前さんが行くんだよ。お前さんが山神様の嫁に選ばれたんだ」 「あたしが、でございますか?こんなボーっとした鈍くさい、器量も良くないアタシが、ですかい?村上の留吉の方があたしなんかより余程女房役が務まると思いますけど」 「確かにあいつは家事もよぉ手伝うしよく働くし、その上顔も女子のように可愛らしいとは思うんだがね。男はお嫁に出せないよ」 「世間には陰間(びいえる)というのも需要があると聞き及んでおりますが」 「…どっからそんな話を仕入れてきたのかねぇ、この娘は。とにかく、村の中から娘を一人差し出さなければこの村は干上がっちまうんだ。それにお前さんはまだ不通子だろう。どうせもう嫁の貰い手も無ぇんだ。何が何でも行ってもらうよ。お父っつぁんの豊治にだって反対はさせねぇや。アイツもこの山でお禄を食んできた猟師なんだからな」 今までそうやって何度も村の娘を送り出してきたのでしょう。慣れた口調とそれなりの貫禄というものが村長には御座いました。 「誰も嫌だなんて仰いませんよ。父親と瓜二つの私の顔じゃあ嫁の貰い手など山の神様くらいだろうと昔から覚悟はしておりましたので」 「そうかそいつぁ殊勝な心掛けじゃのお。しかし何か未練や心残りというものは無いのかい?今までの娘たちは皆が口を揃えて『行きたくない、死にとうない』と口にし泣き崩れておったというのに」 「それでは一つだけお教え願えますか?」 「勿論じゃ。なんでも聞いてみよ」 「山の神様はイケメンですか?」 「だから室町時代の話に現代の言葉を使うんじゃないよ全く。作者がそういう言葉を調べるのが面倒だってのがバレちまうじゃあないか。山の神様のお姿を見たって人ぁ聞いた事が無いね。とにかく今からお前さんには“嫁入りの日”までお堂に籠ってもらうよ」  そしておみつは“精進潔斎”として山へ送られるまでの10日間を、村の男衆が監視する祠の中で過ごす事になりました。この間、おみつは祠の中から一歩も外へは出られず一切を他の人目につかぬままで過ごす事になります。良ぉく考えてみますってぇとこれは単なる方便で、実際のところは生贄に決まった村娘を逃がすまいという監視目的なのでございましょう。  祠の中に居る“神の嫁”には外から声を掛けることも許されてはおりません。  おみつ、父にも会えぬまま、押し殺すような呻き声を祠の外に聞きながら『あぁこれはお父っつぁんの泣き声だろうか』と推測しながら過ごすばかりで御座いました。  そして嫁入りの当日がやってきます。  村長が用意していたものは、近頃都で流行りだしたという幸菱模様の真っ白な表着にこれまた純白の打掛という、全身真っ白な花嫁衣装で御座いました。  麓の町からわざわざ籠を使って髪結いが呼びつけられ、ご丁寧に結い上げられてゆきます。その髪に飾られるのは檜で作られた木製の(かんざし)です。鉄モノを嫌うという謂れでもあるのか、嫁入り前の自決を防ぐためなのか。本当のところは最早誰にも分かりません。  おみつ、村の婆衆にたかられながら白無垢を着させられまして、戸板に乗せられて担ぎ上げられます。その担ぎ手は目の細かい籠を頭からスポリと被せられ、足元しか見えぬような恰好をしております。  道中の介添えも声を掛けることも許されず、遠巻きに様子を窺うしか出来ぬ父、豊治。おみつと言葉を交わすこともままならず、白無垢の後ろ姿に涙を流して、今生の別れ。  そうしているうちにも、おみつを乗せた花嫁行列はしずしずと山の中へと進んでゆくので御座いました。  獣道と変わらぬ道を草を掻き分けながら、村長を先頭に花嫁行列は進んでゆきます。そうして一時程歩き続けた頃でしょうか。やがて一行の目の前に小さな鳥居が現れました。  このような鳥居、毎日のように山を駆け巡っている村の猟師連中でさえ目にした事がありません。鳥居はつい最近建てられたかのように鮮やかな朱で塗られております。 「ようやくついたよお前達、花嫁を降ろしなさい」 担ぎ手に村長が声を掛けます。担ぎ手たちは壊れ物を扱うかのようにそろりそろりと戸板に乗るおみつを地面へと降ろしました。  戸板を降りて辺りをキョロキョロと見まわすおみつ。恐れ多いのか見たくないのか。担ぎ手達は頭を下げたままで平伏したままでございます。  村長、朱の鳥居とその奥を指さしながらおみつへと語りかけます。 「よいか、おみつ。ここまでの道のりは儂しか知らぬ。ここから先は“山の神様”の住まいと言われる土地だ。この先には村の者はおろか長である儂でさえも立ち入ることは禁じられておる。さておみつ――ここから先はお前さん独りで歩いてゆくんだ」 鳥居の向こう側は、さっきまで登ってきた山道が嘘のようになだらかで、明らかに何かの意思がそこに反映しているかのような、整然とした道が奥へと続いております。  おみつ、自分の行く先を確認いたしますと村長へと向き直り、深々と頭を下げました。 「今まで育てて下さった村の皆に『お元気で』とお伝え下さいませ」 それをみた村長、驚きながらも感心して応えます。 「儂はこれで4回目になるが、お前さんみたいな物分かりの良い娘は初めてだよ。分かった。皆に宜しく伝えておこう」 それを聞いてもう一度お辞儀をするおみつ。 「では、さらばだ。おみつ――」  村長と担ぎ手達が、鳥居をくぐって神の領域へと歩き去るおみつの背に念仏を唱えはじめます。だがこの念仏は花嫁の幸せを願うものではございません。“山の神”の庭に近付き過ぎた自分達に災いが及ばぬようにという念仏で御座います。  そんな村の衆を背におみつ、ただの一度も振り返ること無く“山の神”の領域深くへと歩みを進めていったので御座いました。
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