ダドリー編

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ダドリー編

「・・・は?」  第一声が品のないものだったとしても責められないと思う。 「・・・あの、もう一度お聞かせ願えますか」 「はい。当家の主、ローレンス・ウェズリー侯爵の妻に、ナタリア様をぜひともお迎えしたく・・・」  目の前の小奇麗な衣装に身を包んだ男は、嘘くさい笑みをたたえ、有り得ないことをとうとうと並べた。  あまりにもあり得ない話なので、そのあとに続けた言葉が耳を素通りしていく。 「・・・あの、誠に申し訳ないのですが、もう一度・・・」  どうしても頭に入ってこないので、五回くらいこれを繰り返したらさすがに相手もキレた。 「ですから。先ほどから何回も申し上げました通り、ローレンス・ウェズリー侯爵の妻になっていただければ、以下の事を融通すると言っているのです」  あ、だんだん素の部分が出てきたな。  ここで、ナタリアの目の前がすっとクリアになった。 「借金返済の肩代わり、ジュリアンの王立学院の学費免除と生活費援助・・・」  ナタリアの家、ダドリー伯爵家は現在、多額の借金を抱えている。  四年前のデビュタントの年から今まで、水害冷害日照り山火事と災害続きだった。  そこそこ由緒正しく、曾祖父は王都の中枢で活躍した家柄だったが、じわじわと衰えていき、今では辺鄙な領地を治める貧乏伯爵となり果てていた。  救いなのは、領地に接している隣国2国とは仲が良く、辺境警備隊を置いているものの戦争の心配がないため、いたって平和であることだ。  おかげ、ぎりぎり羽振りが良かったころに長姉次姉をそれぞれの国の貴族へ嫁がせることができた。というか、そこでダドリー家の財政は力尽きたと言ってもいい。  ちなみに、ナタリアの上には兄が一人いる。  ダドリー伯爵家の現当主、トマスだ。  姉たちに虐げ・・・、いや、可愛がられ過ぎたのか、いささか頼りなく線の細い風貌で交渉の場ではよく舐められた。 「・・・ずいぶん、好条件ですね・・・。しかもウェズリー侯爵はまだ十分にお若いですよね」  馬のように長いまつ毛をぱしぱしと瞬かせながら、おずおずと使者を見上げた。 「はい。二十七歳になられました。文武両道で、御父上の大公によく似た美貌であらせられます」  彼は、前王の弟であるウェズリー大公の次男。  社交界へ全く顔を出さず、王都との縁は税金くらいしかないような自分たちでも存じ上げる、金髪碧眼の絵に描いたような貴公子だ。  地位、財産、容姿、若さ。  完璧すぎる男。  それがローレンス・ウェズリー。 「何も私の妹ではなくとも、王都にふさわしいご令嬢がいくらでもおられると思うのですが」  それがなぜ、ナタリアに。  兄と妹は困惑した。 「そもそも、ナタリアが王都へ行ったのは四年前のデビュタントが最後です。しかもあの日は始まってすぐにすごい嵐で大混乱でした」  王宮のあちこちが落雷の被害に遭ったためとても宴どころではなく、二か月後に仕切り直しが行われたが、領地の災害復旧に忙しいナタリアは出席できなかった。  しかもその日デビュー予定だった令嬢の数はかなり多く、しかも高位令嬢たちの贅を尽くした渾身のドレス姿を前に、長姉からおさがりのドレスをちょろっとリメイクして出席したナタリアは霞んでいた。  いや。  領民たちと田を耕し、馬を駆って国境警備に参加しているナタリアは化粧で修正できないほどこんがり焼けていた。  正直、浮いている、という観点でなら目立っていたかもしれない。 「家業が忙しく、王都の学院へ通わせることもかなわなかったため、ろくに知り合いもいません」  ナタリアの一つ下で十九歳の弟ルパートも然り。彼は頑強な身体を持っていたため進学せず、今は領内の騎士団で国境を守っている。  そのかわり頭の良い末弟の十五歳のジュリアンはなんとか王立学院へ進学させた。  入学してから今まで上位の成績を収めてくれていると聞く。  だが勉学を優先しているため、社交には関わっていない。  なので、ナタリアの存在はほぼ忘れ去られているはずなのだ。  貴族年鑑を開いて端から端までさらってようやく、ああこんなのがいたな、と思う程度だろう。  そもそも、名前と年齢だけでここまで飛んできたのではないかと言う疑惑がトマスの頭にひらめいた。  兄としては働き者で健康的な妹をとてもとても綺麗だと思うが、この使者はナタリアを紹介した瞬間、ぎょっと目を見開いた。  なんだ、この農民、という顔だった。 「ウェズリー侯爵は、なぜナタリアをご所望なのですか」 「実は、ローレンス様がこちらの方へお忍びで出向かれまして。その時にナタリア様を見初められまして」  真っ赤な嘘だ。  王都からこの屋敷周辺にたどり着くには馬を飛ばしても二週間かかる。  しかも、道中に名所旧跡などありはせず、退屈な道のりだ。  ちょろっとお忍びで出向くなどある筈がない。  かなり苦しい言い訳とわかっていながら、平然と嘘をつきとおすあたり、たいがい面の皮があついというものだ。  兄妹は蛇顔の家令をまじまじと見つめた。 「寝ても覚めてもナタリア様にお会いしたいというようになり・・・」  それでもとうとうと語り続ける男のしわをとりあえず数えて平静を保つ。  いつまで続くかな、この茶番。  長い口上を適当に聞き流している空気に気付いた彼は、一つ咳払いをして胸元から封筒を出した。 「そのようなわけで、息子を哀れに思った大公閣下からのお手紙です」  受け取った封筒にでかでかと押された封蝋には大公家の紋章。  中を確認すると、家令の口上とよく似た文言が長々と書き連ねられ、最後には王もこの婚儀を楽しみにしていると付け加えられていた。  ようするに、これは王命だ。 「・・・お受け、頂けますよね」 「・・・ええと」  王命を拒否したならば、領地没収爵位はく奪というところか。 「・・・そうですね」  最初から、逃げ場などないのだ。 「では、こちらにナタリア様のご署名をお願いします」  背後に控えていた侍従から書類を受け取った家令は勝ち誇った笑みを浮かべて振り向いた。  テーブルに広げられたのはナタリアの署名欄のみ空欄の婚約届。  時間をかけて丁寧に目を通したが、何度見返してもほころびの一つも見当たらない正式な書類だった。 「・・・」 「さあ、ナタリア様」  観念して、ゆっくり署名した。 「ご婚約、おめでとうございます。今日からナタリア様はローレンス・ウェズリー侯爵の婚約者になられました」  この場に領民全員が揃ったとしたら、皆、口をそろえていっただろう。  あまりにも胡散臭すぎる。
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