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「お義兄さん、ありがとうございます」
糸は起き上がって受け取る。
クスリが切れたヤク中患者のごとき早さでカップアイスの蓋を開ける。
ペパーミントグリーンでドレスを汚さないよう、義母が例のビッグトートを漁って、高級スカーフを膝に敷いてくれた。どうやら寒いときに首に巻こうと思って持ってきた防寒具らしい。
しかし、糸のさえない気分を最も紛らわせてくれるのは、チョコミントのアイスではなく、憧れのドレスを身につけた興奮でもない。
想像以上に見栄えのする今日の堂道の姿だった。
妊娠したのは、池手内の乱が一件落着したあの日、あの場末のラブホテルで、朝方にした五回目だと思っている。
それ以前もその後も、その五回目以外に避妊を怠ったことはないからだ。それに関して、堂道は鉄のパンツ同様、鉄の誓いを立てていた。
にもかかわらず、妊娠。
婚姻届はすでに一週間前に出していたというのが、堂道のせめてもの救いらしいが、世間の判断は微妙なところだろう。
もっとも、糸はデキ婚でも授かり婚でも、もはや何婚でもいいのだが。
周期的に妊娠するタイミングではなかったはずなのに、不思議なものだ。できるときにはできるものらしい。
人知の力が及ばない領域。
準備期間の短さは、偶然やラッキーが重なって実現が可能になったことや、式の規模的なものもあったし、会社の労務的な兼ね合いもあった。
そんな理由をさしおいて、堂道自身もなぜか、やたらと日どりを急いでいるところがあって、今思えば、密かに生まれていた命に急かされていたのかもしれない。
結婚前に子どもができる不用意だけは絶対やらかさないと豪語していた堂道の、いや父になる人の名誉のために。
「まあ、大きく順番が前後したわけでもないんだし。おめでたいじゃないの」
カイ子が大きく笑った。
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