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「境界線?」
「独身と、既婚者の境界線のこと! どいつもこいつも、わたしより先に結婚したわ。わたしよりブスなくせに、幸せそうなのよ。おかしな話でしょ?」
「へえ」
「なによ。そっちから聞いてきたくせに、どうでも良さそうな顔をしちゃって」
「ああ、ごめんね? まさか、お姉さんが、おこがましくも自分のことを『美人』だなんて思っていたことに驚いてしまって」
ん? 聞き間違えただろうか。
この男はいま、わたしのことを『美人ではない』と。
そう、言ったのか……?
「もともとの顔立ちはそこそこだったようだけど、毎日毎日、嫉妬の焔でその身を焼いていたからかねぇ。厚化粧では隠せないほどに、残念な顔つきになっている」
顔面が痛いほどに引き攣る。
わたしは、いま、悪い夢でも見ているのだろうか。
「お姉さんからは、とっても甘い匂いがしたんだ。豊かな現代では珍しいぐらいに、悪魔好みの不幸せを溜めこんでいたからね」
男は、呆然とするわたしの顎を長い指でとらえて、酷薄に笑った。
「死ぬ前に、悪魔のオレが良いことを教えてあげるよ、お姉さん。結婚しているから幸せで独身だから不幸せだなんていうほど、人間の幸せは単純じゃないようだ。独身であっても顔をしかめるほど不味い奴もいるし、既婚者だけどたまらないほど美味い奴もいる。結婚しているか否かは、その人間が幸せかどうかを見定める指標としては、クソほども役に立たない」
血のように赤い舌が、『美味そうだ』というように舌なめずりをする。
「死ぬ直前に知ることになるなんて残念だったねぇ、お姉さん。お姉さんが信じてきた境界線なんて最初からないんだよ。あるとすれば、幸と不幸の境界線があるだなんて馬鹿げた思い込みを持っていることかもね。そういう人間は、総じて不幸で、とびきり美味いんだ」
【完】
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