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小高い丘の一軒家。赤い三角屋根に、煙突から煙が上がっている。
あっという間の旅を終えた後、しばらくは魔王軍の残党から身を隠すことになってしまった。若干十六歳で隠居生活だ。ツイてない。
そんなある日、丘の上の新居に、意外な人物が訪ねて来る。
「もう、こんなところに居た! 随分、探したんだからね!」
懐かしい制服にポニーテール。短いスカートから覗く素足が眩しい。
そして何より、大きな栗色の瞳に、八重歯が覗く口元。明るく元気のいいこの声は。
「なっちゃん! どうしてここに?」
幼馴染だ。何かとうるさい。
「なんでじゃないの! 異世界に行こうと何処に行こうと、危ないことをしていたら、すぐにわかっちゃうんだからね!」
「なんでや。」
「ご飯はちゃんと食べてるの? いじめられてない? 毎日歯磨きしてる? どうせ勇者になってくれなんて担ぎ上げられたんでしょうけど。困っている人を、放っておけない性格だもんね。」
「なぜそれを?」
「だーかーらぁー!」
人差し指をピンと立てて、その指を鼻先に当てられる。
「好きだから、なんでもわかっちゃうの。…なんちゃて。」
彼女のその上目遣いの微笑みに、危うく心臓が止まるところだった。
焦った。なっちゃんはどちらかと言えばそういう感情から最も遠いところにいる人だ。
昔から当たり前のように傍にいて、まるでお母さんのように口うるさくあれこれ言ってくる。
女性として意識することは、ないと思っていた。それなのに。
駆け足になっていく、この胸の鼓動はなんだ。
「な、なっちゃんこそ、こんな危ないところに一人で…。そもそも、どうやって、あっ!」
気がついた。
なっちゃんの膝小僧には擦り傷だ。よくこの膝で、電車の痴漢をホームの白線のように駅構内の地べたに一体化させている。
強烈な膝蹴りの、まさに膝の皿の部分だ。
「大変だ! ちょっと見せて!」
「きゃっ!いいよ、大した怪我じゃないよ!」
後退りで遠ざかって行くなっちゃんの足を、屈み込んだ僕の手が掴んだ。もちろん怪我の傷口には触れないよう、注意深く、優しく掴む。
「ダメ。僕の言うこと、聞きなさい。」
「………っ。 は、はい…。」
「あっちに座って。」
僕の手招きに従い、なっちゃんは木製テーブルの置かれたダイニングへ向かう。そして同じく木製の椅子に、おとなしく腰かけた。膝の傷が見えるように、ちゃんと、スカートを少したくし上げている。
えらい、えらい。
「僕、薬草に詳しくなったんだ。消毒になるものがあるからね。少し待ってて。」
石造りの壁に暖炉。部屋の隅には薪を積んでいる。なっちゃんは物珍しげに部屋の中を見回しながら、肩にかけていたスクールバックを床へ下ろした。
「なによ、お兄さんぶっちゃって…。同い年のくせに…。」
なっちゃんが何か呟いたようだ。薬草を入れた瓶をしまっている棚を、ゴソゴソ漁っていたので、よく聴こえない。
「ちょっとだけ…頼もしく…なったかな。」
「え? なに?」
「なんでもない! …あの、お弁当、作って来たんだけど。」
「やったぁ! なっちゃんの卵焼き美味しいからなぁ!」
このところ、まともな食事を口にしていない。この世界の食糧事情を考えれば当然かもしれないが。
戦争がこのまま終結すれば、やがては豊かになっていくことだろう。即席勇者は、御役後免だ。
「えっ!? そ、そんなに喜ばなくても…。もっと作れば良かったなぁ。」
「わーい!わーい!わーい!」
僕は万歳三唱でテーブルの周りを走り回った。
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