エピソード7

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7月に入った。 梅雨入りをして半月ほど経っていて例年だと中旬くらいには梅雨が明けそうだけど昨日見たニュースでは今年の梅雨明けは全国的に延びるのではと中年のニュースキャスターが話していたのを聞いてうんざりしたのを思い出す。 毎日空を見上げても曇天が広がり今にも雨が降り出してきそうだ。折りたたみ傘だって常備していないといけないし湿度も高いから衣服が肌に張り付いて気持ちが悪い。 だから梅雨は好きじゃない。好きな人はいないだろうけど。 梅雨が明けたら今度は真夏日が続いて暑い毎日になるのだと思うとそれもそれで憂鬱だ。 塾には相変わらず週に3日通っていて学校で行われる全国共通模試も増えた。 全国模試では相変わらずお母さんの希望する大学の判定はDかEで成績が伸びていないように思えるがそうでもない。最近は自主的に勉強するのが楽しくなった。 お母さんが勉強についてあまり口を出してこなくなったことも理由の一つかもしれない。 もちろん塾はどうだったとか、テストの点はチェックするが普段なら何時間も同じことを言われたり嫌味っぽい言葉を何度も投げかけられるのにそういったことが少なくなった。 将来、やりたいこともないし就きたい職もない。 でも、だからこそ未来の私がどんな選択をしてもいいようにできることはやっておこうと思った。 全ては自分のため、だ。 朝陽君が言うようにお母さんが言うから、先生が言うから、そうやって周りを主語にして考えるのをやめたら以前よりもずっと気分が楽になった。 未だにいつかまたいじめの対象になってしまうのではと思っているけどもしそうなっても自分なら立ち向かえるのではないかと思えるようになった。 「午後から雨の予報だったけどすごい雨だね」 「うん。そうだね」 授業の休憩時間に窓の外を眺めていると朝陽君に声を掛けられる。 泥色の雲が外を覆い、大粒の雨が窓を打ち付ける。 雨粒が窓を叩きつけるたびにそれが弾けて形を変えるさまを見ていると違う別世界にいるように感じる。 「もう少しで連休があるけど前に行った喫茶店に行かない?」 「うん!行きたい」 朝陽君の突然の誘いに一瞬で顔色を明るくして頷く私は単純だ。 好意が彼に伝わっていないか慎重に接しようと思うのに、いざ彼と話すと楽しくて顔が綻んでしまうしこういう誘いにははしゃいでしまう。 もしかしたら賢い彼には伝わっているかもしれない。それでもいいや、と思えるほど彼との時間は楽しくて心が穏やかになる。 やっぱりこれは恋なのだと再認識する。 勉強にも身が入るようになり、学校生活も友人は朝陽君以外いないけどいじめもなくなって過ごしやすくなった。お母さんとの関係も徐々に良くなっているように感じる。 あと、一つだけ。私にはどうしても解決したいことがあった。 「誕生日パーティーはいつする?」 「あぁ、そうだったね。来月か」 「朝陽君の誕生日は8月30日なんだよね」 「そうだよ。早いよ、時間が過ぎるのはあっという間だな」 何かを思い出すように、何かをかみしめるようにそう言った彼の目はやはりどこか寂し気で、でもどこか嬉しそうだった。 いまだに彼の頭上には“16”という数字が浮かんでいて、それを見るたびに焦燥感に駆られる。 笹塚さんの件以降、それは余計に私の心を覆って焦りだけを置いていく。 未来を変えることはできないのだろうか。 数字が見えるだけで具体的に何月何日がその日なのかはわかっていない。 そしてそのくせ自分の数字は見えない。 雨はその日一日中アスファルトを叩き続けていた。 7月の連休 私たちは初めて彼と出会って一緒にチーズケーキを食べたあの喫茶店に来ていた。 傍からみたら私たちはカップルに見えていないだろうか。隣を歩く度に心配になる。 私はそう思われても嬉しいけど彼は嫌じゃないかな、とか複雑に色々と考えてしまう。 前回はチーズケーキが期間限定のスイーツとして宣伝されていたけど7月は桃のタルトらしくて私たちは即決してそれを注文した。 店内は相変わらず常連客で溢れていて、休日ということもあって混みあっていた。 奥の席に座ってゆったりした音楽を聴きながら朝陽君と他愛のない会話をする。朝陽君の私服姿は見慣れたけど他の子よりもそれを見る機会は多い気がするから少しだけ優越感に浸れる。 今日もあまり天気は良くなかった。 でも雨は降っていなくて、予報によると今週中にも梅雨が明けるらしい。 「勉強は?どう?」 「この間の模試もあんまりよくなくて。塾で受けた模試も全然ダメ。全部D判定だった」 「なるほど。でも前よりも楽しそうに見える」 そう言われて咄嗟にそうかな?と誤魔化すように返したけどその通りだ。勉強が好きというわけではないけど、頑張りたいと思えるようになった。 少し前の自分なら考えられない。 「朝陽君のお陰だよ。本当にありがとう。お母さんにも理解してもらえたかはわからないけど、前よりも私の意見聞いてくれるようになった気がする」 「それはよかった。でも全部実行したのはみずきだから俺は何もしていないよ」 そうやって私が彼に感謝を向けてもいつも全部私へ跳ね返してくる。 ちゃんと伝わっているだろうか。 「そうだ。8月、夏休み入ったら海でも行こうよ」 「いいけど…泳ぐのはちょっと…」 「わかってるよ、みずきは泳げないからなぁ。海を見るだけでもいいからさ。隣の県に遊びに行こうよ。もちろんみずきがよければだけど」 「…行きたい」 朝陽君がさらに表情を柔らかくして嬉々として「じゃあ約束」という。私が泳げないことは体育の授業で知っているのだろう。恥ずかしい。 コーヒーの香りの漂う店内でちょっぴり大人になった気分で二人だけの時間を楽しむ。 今回はコーヒーを注文した。 飲めないわけではないけどそんなに普段から飲む機会のないコーヒーを飲むことで背伸びした気分になれる。 「はいどうぞ。ゆっくりしていってね~」 店長がそう言って私たちのテーブルにアイスコーヒーにミルク、砂糖に今月の限定ケーキを並べる。 店長は私たちを覚えていてくれていて、接客業をしている大人は皆、こんなに記憶力がいいのかと脱帽する。 テーブルに並ぶケーキに頬を緩めていただきますと手を合わせてから二人同時に食べ始める。 幸せな時間だった。 それなのに心のどこかで彼の頭上の数字についてわだかまりが残っているせいでふいに苦しくなる。 「あと、今月末予定ある?」 「今月?」 朝陽君はうん、と頷いてケーキを喉に流し込んでから話し出す。 「今月30日なんだけどうちに遊びにこない?ちょうど休みだし」 そうだったっけ、と思いながらおもむろに携帯電話を鞄から取り出してカレンダーを開くと確かに休日になっている。上目遣いで彼に視線を移す。お互いフォークを持つ手を止めた。 「うちって、朝陽君の家?」 「うん。母親もいるけどよかったらうちでバーベキューやる予定なんだ。どう?」 「えっと、それは…」 ただの友人とはいえ、私は一応女子だ。 朝陽君のお母さんに変に思われないだろうか。彼女でもないのに、とか…。 険しい顔になって、首をひねる私に朝陽君はクスクス笑って言った。 「そんなに深く考えないでいいよ。うちの母親はフレンドリーだし何も言われないよ。ばあちゃんもいるけど同じような感じかな」 「そうなの?」 「うん。うちは大丈夫だけどみずきは?大丈夫?」 そうだ、朝陽君の家よりも私の家の方が心配だ。 夕飯までご馳走になってしまうとばれてしまうから絶対に話しておかないといけないし、事前に話したところで反対されるのは目に見えている。 前よりも口煩くなくなったとはいえ、男の子の家に行ってしかもバーベキューとなればそれなりに遅くなるだろう。それを許すとは思えない。 「行くけど、遅くならないうちに帰るよ。だからバーベキューは大丈夫。家族で楽しんで。誘ってくれてありがとう」 「どうして?いいじゃん、バーベキューしようよ」 「でも…」 やけに押しが強いなと思った。いつもの彼ならそこまで言わないような気がする。 そっか、わかった。そう言って引いてくれそうなのに。 「親が心配なの?」 「うん。もちろん行きたいけど男の子の家に遊びに行ってしかも夕飯までって…認めてくれないと思う」 そう思う理由もちゃんとある。小学生のころ、いじめられる前に友人の自宅に遊びに行ってついでに夕飯までご馳走になったことがあった。 事前に夕飯までご馳走になることは伝えていなかったけど友人の親から母親に電話をしてもらって承諾を得て楽しんだのに帰宅後、物凄く怒られたのだ。 事前の連絡がないことを怒っていたのではなく、勉強の時間を遊びに費やしたことに怒っているようだった。 高校生になった今、お母さんはなんていうだろうか。 昔を思い出して苦虫を嚙み潰したような顔をしていると朝陽君が前のめりになって 「ダメって言われたら俺も説得しにいくから」 そう言った。 そこまでして私を誘う理由が思い浮かばない。バーベキューがしたいのなら、家族でしたらいいのに…と思ってしまうのは普通だと思う。 「わかった…とりあえず言ってみるね」 「うん、楽しみにしてる」 バーベキュー自体小さな頃にしたことがあるようなないような曖昧な記憶しかないけどきっと楽しいものなのだろう。ワイワイと楽しむイメージが脳内を駆け巡って自然に笑みが浮かぶ。 朝陽君と学校の話やテストの話をしているとあっという間に時間が過ぎる。 暗くなる前に帰らなければいけないのにグラスの中にあった氷がすべて溶け切ってしまうほどの長く滞在していた。 またね、そう言って私たちは別れる。
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