エピソード1

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Side天野みずき 今日から新学期が始まる。 私は、中高一貫のエスカレーター式の私立の高校に通っている。母親の強い希望から中学受験をして見事に受かり今に至る。自宅から学校までは電車通勤で通っていた。 でも私は別に中高一貫の学校へ進学することを望んでいたわけでもないし、今だってできるなら転校してしまいたかった。逃げてしまいたかった。 誰も自分のことを知らない街で、一からスタートさせたかった。そんなことを私の母親が許すわけなどないことはわかっている。だからそれは今後絶対に起こることなどない、空想の話だ。 私の母親は教育熱心で小さな頃から将来は一流の大学へ入学し、一流の企業に勤めなさい。そう言っていた。でもその言葉のどれも抽象的で、小学生のころ『偉い人になるのよ』といった母親に『偉い人ってどういう人?なんで偉い人にならないといけないの?』と質問したことがある。 それだって、母親はすぐに顔を赤くして“いいから勉強しなさい”と怒られたことがある。テストで90点をとっても、どうしてあと10点取れなかったのかという母親だった。 父親は中小企業に勤める普通のサラリーマンだ。四角い顔に丸眼鏡をかけていつも仏頂面で新聞を読んでいる。 私に無関心というわけではないのかもしれないけど、全て母親に任せているというスタンスで成績の悪い私がこっぴどく怒られている横で無表情でご飯を食べている、そんな印象しかない。嫌いではないが、助けてという視線を無視する父をいつしか軽蔑するようになった。 家庭にいることが窮屈で、だからせめて学校生活だけは充実させたかった。小学生までは普通だった。 友達と喧嘩をしてもすぐに仲直りできたし、好きな子の話やアニメの話、本の話…最近出た少女漫画を貸し借りし合うような友達は多かった。 でも、それが狂ったのは中学生になってからだ。 中学2年生の頃、クラスの中心人物である宮野まりちゃんに従わなかった、それだけで世界は一変した。 まりちゃんは快活で常にクラスの中心人物だった。 先生もこういう“中心”になるような子が好きらしくて 『先生って結婚してるんですかー?』 『先生~今日は自習にしましょうよ!』 なんて、きっと私が発したら怒られてしまいそうな内容でも 『仕方がないなぁ』 なんて笑いながら彼女らと楽しそうに会話をする。 そんなまりちゃんのグループに入りたがる人はたくさんいた。私は正直タイプが違うから仲良くしたくはないけど、そんな態度をとると次の日から無視をされてしまうのだ。 まりちゃんの存在は“絶対”で、彼女があの子が嫌いというとみんなで無視をする。そういう“決まり”なのだ。 でも、私にはそれが出来なかった。だって2年生になってまりちゃんが嫌いといった子が私の数少ない友人の千絵だったからだ。 教室ではすぐにこのことが広まった。 たった40人弱のクラスで普通に考えたらくだらない、そう一言で片づけてしまえそうな状況なのにこのクラスではそういう決まりなのだ。何故まりちゃんにそんな権利があるのかわからない。 社長の娘で裕福だから?快活で成績がいいから?顔も可愛いから?そんなことは、どれも理由になってはいない。それでも、仕方のないことだった。 すぐにそれは千絵の耳にも届いたようで私に離れないでと懇願するような目を向けられたのを覚えている。私は絶対に裏切ったりしない、悪いのはそんなくだらないことをするまりちゃんだ、そう言った。 安心したように目じりに涙を浮かべて言った『一生の友達だよ』そのセリフを思い出すたびに今も胸がきゅっと縮まるような痛みを感じる。 しかし翌日から無視をされたのは“私”だった。 どうやら千絵がまりちゃんに『悪いのはまりちゃんだよ』といったあのセリフを切り取って彼女に伝えたらしいのだ。 『勝手に悪者にするなんて最低だよね』 教室のドアを開け大声でそう言われた瞬間、私はすべてを悟った。 千絵に目を向けると教室の奥にいるまりちゃんの席の横に立ちながらニヤニヤ笑っていた。腹立たしいのに、声が喉の奥で詰まって出てこない。 泣き叫ぶことも、やめて、ということも何もできなかった。それからいじめの標的は私になった。 3年生の時にはまりちゃんとはクラスが離れることが出来たが、彼女と同じ部活(バスケ部)のメンバーがまたしてもクラスの中心人物で同じように陰口を言われ、ものを隠され、無視をされる。 高校1年生になったら、またまりちゃんと同じクラスになって状況は変わらないままだった。 成績はどんどん落ちていき、母親からは毎日のように嫌味を言われ、学校ではいじめられる。自分の存在価値が見いだせない。 息を吸うことも、吐くこともできずまるで溺れているようだった。 バタバタと手足を動かして必死に助けを乞いたいのに声が出ない。そのうち力尽きて沈んでいくのだ。 早く、この世から消えてしまいたい。どうやったら楽にこの世からいなくなれるだろう。 楽しみも、希望もない。一生このままだと思ったらゾッとした。 今日は学年が変わるからクラス替えの日だ。全くワクワクもしないし、嬉しくもない。まりちゃんと同じクラスだろうがなかろうが変わることなどない。 電車に揺られながら窓ガラスにうっすら映る自分の顔を見て目を背けた。あまりにもひどい顔をしていたから。 と、誰かと肩がぶつかって私はすみませんと反射的に顔を下げた。しかし、すぐに私は顔を上げて目を見開いた。 ぶつかったのはサラリーマン風の小太りの50代ほどの男性だ。そんなことはどうだっていい。 私が驚いたのは、その男性の頭上に“54”という数字が見えたのと、その背広を着たサラリーマンの体が黒いモヤで覆われていたからだ。 私がひどく驚いた表情をしていたからだろうか、どうかしました?と私の顔を覗き込んできた。 咄嗟に首を振って視線を落としなんでもありませんといった。 私には小さな頃からその人の寿命が数字で見える。54ならば54歳で亡くなってしまうということだ。 しかし、それが具体的に何月何日に亡くなるのか、どういう理由で亡くなるのかそれらは全くわからない。54歳のいつ亡くなるのか、死因は何なのかわからない。 ただ、死期が近づく人の体は徐々に真っ黒い靄のようなものに包まれていき、それが黒く、濃くなっていくのだ。今ぶつかってしまったサラリーマンの人の年齢はわからないけど、多分長くはないはずだと思った。 その能力は小さな頃からあったようでよく数字を発する不思議な子だったと親から言われた。 しかし小学生になるまではそれがどういう能力なのか全くわからなかった。周りの子に話しても不思議な顔をされるだけだ。自分でも何故数字が見えるのかわからなかった。 それがどういう意味を持つのか理解したのは祖母が亡くなってからだ。 祖母には頭上にずっと63という数字が浮かんでいた。亡くなる一か月前、祖父母の家に遊びに行ったとき祖母の顔を見るなり吃驚して固まった。 祖母の体は真っ黒いモヤに包まれていたからだ。近づくことすら怖かった。 そして思ったのだ。 あぁ、もしかして…これは死期の知らせなのでは、と。このモヤは禍々しくて幼いながらに近づけないと感じた。 その後、祖母は階段から落ちて亡くなった。打ち所が悪かったようで、その知らせを聞いた時全身に鳥肌が立ってガタガタと奥歯があたり震えていたのを今でも鮮明に覚えている。 それから黒いモヤが見えると約一か月ほどで亡くなってしまうことがなんとなくわかるようになった。 私には人の死期がわかる。しかし、それは他人だけ、だ。母親は82と頭上に数字が見え、父親は76だ。 なのに私は私の死期がわからない。鏡を見ても写真を撮ってもわからない。 一番知りたいのに、わからない。 でも、きっとそれは近いのだと思う。 だって今日も私はいつ死のうか、いつこの世を去ろうか考えているのだから。
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