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#1 夜明けの前には夜が来る
タワーマンションの屋上から夜空を見上げる。
空気が澄んだ夜空には満天の星が輝いている。
地上は暗闇に包まれまるで底の見えない穴のようだ。
そこは生きているものには地獄だったろう。
でも私には……。
---+++---
その日はなんの変哲もない朝から始まった。
私はいつも通り目覚めると制服に着替え、食事をして家を出た。
家族とはこれといった会話もなし。
学校近くでバスから降りると同じ制服を着た人々と一緒に同じ方向へ向かう。
校門をくぐり朝の喧騒の中を三階の教室へ進む。
皆が挨拶を交わしたり流行りものの話題で盛り上がっている中、一人廊下側の席に座る。
午前の授業が終わり昼休みになると私は購買部で売れ残ったパンと紙パックのオレンジジュースを買って席に戻った。
昼食を食べ終わって午後の授業まであと15分になったところで、激しく音を立ててドアが開き、誰かが教室に駆け込んでくる。
息を切らせたその人は「校内に不審者がいるから、教室から出ないようにって!!」と叫んだ。
一瞬教室が静まり返るが、すぐにまた喧騒が戻ってくる。
その時突然どこかで悲鳴のような声が校内に轟いた。
再び教室中が一瞬沈黙し、みんなが窓から外に乗り出して辺りを見回す。
やがて誰がが聞いたことのある名前を叫ぶと皆が同じ方向を向いて口々になにかを喋り始める。
「何あれ?血じゃない!?」
誰かの口をついて出たその言葉に、それまで無関心を装って席に座っていた私も少し腰が浮きそうになる。
外では何が起こっているのだろう?
ざわめきに悲鳴が混じり始めて、みんなが窓を離れる。
抱き合って泣きじゃくる人、うつむいて何かをつぶやき続ける人、焦点の合わない目で茫然と虚空を見つめる人。
皆が避けるように引き下がって窓辺には誰もいなくなった。
私は立ち上がると教室を横切って窓辺に立つ。
そこから私はコの字型の校舎に囲まれた中庭に視線を落とした。
校舎の一番奥まった部分にある玄関から校門までをつなぐセメントタイルの道の半ばまで黒い点が連なり、その先にスーツを着た男性が倒れているのが見えた。
さっき誰かが呼んだ聞き覚えのある名前。
数学の石狩先生だ。
いつも明るく皆からも好かれているその先生は、今は地面に倒れたままピクリとも動かない。
玄関の中では誰かが争うような声が聞こえてくる。
ふと石狩先生が動いたような気がした。
私の視線がくぎ付けになる中、石狩先生はよろよろと立ち上がるとゆっくり玄関を振り返って歩き始めた。
いつもの背筋の伸びた快活な歩き方とは全く違う。
ゆらゆらと揺れるように、足を引きずるように進んでいく。
その足元には黒い足跡が残っていた。
コンクリートの地面に浸み込んで黒く見えたそれは、血だった。
よく見ると先生のスーツは襟首から噴き出した血で赤黒く染まっていた。
そのまままだ言い争いが続いていく玄関まで、先生はゆっくりと歩いて行った。
先生が玄関に姿を消してほんの数秒後、再び悲鳴が轟く。
言い争う声はそこで途切れ、今度は女性のものらしい悲鳴が響き渡った。
ほどなくパトカーが数台サイレンを響かせて現れる。
校門に乗り付けたパトカーから、そのサイレンを聞きつけた先生に出迎えられた警官数名が飛び出して玄関まで走っていく。
再び争う声、悲鳴、そして……。
突然響いたのは短い破裂音が数回。
後になって考えれば、あれは銃声だったのだろう。
それは映画やドラマなどで聞いたものとは全く違った。
何の外連味もない、ただの破裂音。
そして静寂。
その後、さらに多くのパトカーと数台の救急車が押し寄せ、学校の玄関は完全に封鎖された。
私たちはそれぞれの親に迎えに来るように連絡を取らされた。
日が落ちてあたりがすっかり暗くなったころ、多くの生徒は迎えに来た親に連れられて学校を後にしていった。
一部の親と連絡が取れなかった生徒たちは荷物を持って体育館に集合させられる。
私もその中にいた。
玄関が封鎖されたため、私たちはうち履き用の靴しかなかった。
親たちが迎えに来るのはいつになるのか。
誰もが不安を抱えて夜を迎えていた。
---+++---
過ぎ去った日常の終わりを思い返していた私の耳に、誰かの悲鳴が届いた。
下にはまだ生きている人がいたらしい。
そしてその人はたぶん……今死んだ。
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