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でも、彼女の白い顔が、そしてその青い瞳が、私に向けられることはない。
あの視線の先には、何があるんだろう。自分を描いてくれている画家の背後に、彼女は何を見ているのだろう。
こちらには決して向けられない、真摯でひたむきな、その眼差しで。
あの眼差しに見つめられたいと、画家は思わなかったのだろうか。自分が彼女を見つめているのと同じように、あの青い目で見つめ返されたらなら、と――
そこで、我に返った。
しまった! 没頭しすぎた。
時間が分からない。どのくらい、この絵を見ていたんだろう。
と同時に、左隣からの視線に気付く。
振り向けば、上体を屈めて大腿に肘を置き、組んだ両手に片頬を預けたイチが、こちらを見ていた。
明るい茶髪の下の黒瞳の、真剣な眼差し。
それは、記憶にない強さ。こんな視線は、知らない――
「おかえり」
出し抜けにかけられた言葉と、それまでの視線の強さが嘘のような優しい笑みに、私は目を瞬かせた。
一瞬前のイチの表情は、幻?
そんな考えが頭を駆け抜ける。でも、その疑念を深く考える前に、押し寄せる現実を認識して私は大いに慌てた。
イチがまだ隣にいるとは思っていなかった。というか、イチが隣にいたことを、今の今まで綺麗さっぱり忘れていた。そもそも、今何時?!
「相変わらずだな、ほんと。おかえり、眠り姫」
イチが、半ば苦笑するように微笑む。そのセリフの後半は、かつて一緒に絵を見に行った私に、イチが毎回のようにかけた言葉そのものだ。
「……ただいま」
昔から成長していない、と暗に言われたようで癪だけれど、残念なことに返す言葉が全く思い浮かばない。
「自分から戻ってきてくれて良かった。流石にあと二分遅かったら声かけようと思ってた」
立ち上がり、その場で大きく伸びをしながらイチが言う。
「……イチ、今何時?」
「ん? 閉館三分前。多分、館内残っているのは俺達が最後。そろそろ出ようぜ」
その言葉に、私は一も二もなく頷いた。
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