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「はぁ……」
本日何度目かの盛大なため息が口から漏れた。
窓から見上げる青空には、飛ぶ鳥の姿も雲もない。動きのない空に、窓に貼り付けられた一枚の絵のような錯覚すら覚える。
単調に、均一に窓を塗りつぶす空色。
どうしてあの色は、私の胸にあいた穴を塗りつぶしてはくれないんだろう。
……我ながら、なんてイタい表現。
たまたま、授業もバイトも予定もない休日なことも手伝って、胸に穴が空いてからここ何日か、ずっとこの調子。時々振動するスマートフォンを見る気にもなれない。
「あー……もぅ」
一方で、頭の理性的な部分は警鐘を鳴らす。明日は平日だ。面倒な教授の授業もある。この状況は宜しくない。何か、何でも良い――ココロと身体を動かすきっかけを探さないと。
そう考えた途端、またしても、存在しないはずのキズが疼いた。私はゴロリと身体の向きを変える。
空から引き剥がされた視線が、壁に架けられた絵を捉えた。
若草色のビー玉を同色の目で不思議そうに見つめて、そっと前肢で触ろうとする黒い仔猫が描かれた、優しい、小さな水彩画。
私のことを「ゼロ」と呼んだ、会わなくなって久しい幼馴染が、別れの日にくれた絵だった。自分の作品を家族以外に贈ったのはこれが初めてと言っていたのを、今でも覚えている。
――この絵が家にあれば、ゼロが美術館ばかりに通い詰めることもないだろ?
ふと、その時の幼馴染の言葉が脳裏に蘇る。今までどれだけ絵を眺めても、思い出しもしなかったのに。
「……そうだ、美術館行こう」
あの幼馴染の言葉は、あながち間違いではない。私は昔から美術館が好きだ。彼と付き合いだしてからは縁遠くなっていたけれど、元々は美術館で日がな一日作品を眺めているのを趣味にしていた。
この傷を癒やして、日常を取り戻す。
それには、美術館に行くのが一番良い。
時間はお昼すぎ、今から行けばまだ間に合う。
明確で短期的な目標は、身体を動かす原動力になった。私は立ち上がって、支度に取り掛かる。
目の前のことに集中できるようになったおかげで、胸の痛みは知覚されなくなった。
アパートから出て、抜けるような青空を仰ぐ。
――この絵が家にあれば……
そう言えば、あいつのあの言葉に、私はどう答えたんだっけ?
(1. 失恋 了)
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