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こんな時でも電車は動いていた。非日常に浮き足立った人々が習慣に従い乗り込んでいく。頭に鳴り響いた『24時間の猶予』という言葉と、東京が襲撃を受けていないという点で奇妙な安心感があった。
あれは遠い国の出来事、対岸の火事。印象深い映画を観た時みたいに、時間が経てばきっと元の生活に戻る。自分は大丈夫。とにかく、家に帰ろう。
ただ一人、俺だけは自分の名前が呼ばれたことに動揺していた。車内で誰かが「そいつがジュリアンだ! 捕まえろ!」と言いやしないかビクビクしていた。捕まって、そして怪物の餌食になる。想像すると目の前が真っ暗になった。夢だ夢だと言い聞かせる。
ビニール袋の音が気に触り、リュックに入れる。腕が当たってしまいオッサンに嫌そうな顔をされた。この人は俺の名前を知ったらどんな反応をするだろう。
駅を出てケータイをチェック。「東京駅すごく混んでて遅くなりそう。誕生日なのにごめんね」と母親からのメッセージ。あの男の声を聞いてないんだろうか。こんな時に誕生日のことなんて。
うちまでもう少し。いつもの帰り道がこんなにも不気味だ。街灯の明かりが届かないところから何か出てきそうで早足になる。自宅は駅から徒歩10分。寝静まるには早い時間なのに人気がない。やはりあのニュースの影響か。
「ジュリアン!」
突然、上から呼びかけられた。三階建てマンションの屋上に人影。月光を背にして顔が見えない。
名前を、呼ばれた。それだけだが、俺が走り出す理由には十分だった。
嫌だ、捕まりたくない。白い息を吐きながら急ぐ。リュックの中のビニール袋がガサガサとうるさい。
家まであと少し。角を曲がって、突き当たり。
もうすぐだと思ったのに。
見たくなかった光景が目に飛び込んできた。
怪物の集団。
スライム、ゴブリン、狼男、オーク、その他もろもろ……が、勝手知ったるうちの町内の道路いっぱいに広がり、俺の方に向かってくる。ゲームではない、質量を持った恐怖。
ゴブリンがマンホールの上に足を踏み出し、オークが棍棒で力任せに電信柱を薙ぎ倒し、スライムが触れた鈴木さんちの花壇がみるみる溶けてゆく。
「おい、冗談だろ……」
足がすくんで動けない。やばい。
こんな時はどうしたらいい。警察? 警察で対処できんの?
ケータイを取り出そうとして手が滑り、落とした。
「あっ」
声を上げたときには、スライムが吐いた液がペシャッとかかった。煙をあげてケータイが溶ける。
やめてくれ、機種変したばかりなんだ。
くだらないことが頭に浮かぶ。そんな間にもどんどん怪物たちとの距離は縮まり、腰が抜けて座り込む。すがるように胸の指輪に触れようとして、気づいた。
指輪が光っている。
目が眩みそうな黄金の光が訴える。叫べ、かの者を呼び寄せろと。
意識するより早く、言葉が口からまろびでる。
「エルザ!」
静寂。
敵は警戒し、動きを止めたが。
一秒、二秒、三秒。
何も起きない。
ああもうダメだ。
驚かせやがって。そう言いたげなオークが豚に似た鼻を鳴らす。先陣を切って走ってくる。
ドスドスと地面を踏み荒らし、独特の嫌なニオイが近づく。棍棒が振り下ろされる。ぎゅっと目をつぶる。
――夢だろこんなん、起きろよ俺!
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